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元jw3世の部屋

jw3世が「世」に出て考えるいろいろなこと。

これは僕が中学生の頃、当時の巡回監督が演壇から話して聞いた経験です。


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あるところに神権家族がいました。

両親と一人息子は忠実に奉仕をしていました。

しかしある時その息子は世に流されて、離れていってしまいました。

そしてその息子は、しばらくして交通事故に遭って亡くなってしまいました。



彼の葬儀の時に会衆の人は、
一人息子をなくして母親である姉妹はどれほど悲しんでいるだろうか、
と思い、慰めに行きました。

しかし、姉妹は全く泣いておらず、気を取り乱した様子もありませんでした。

不思議に思った会衆の人が、恐る恐る理由を聞いてみると・・・。

「私は少しも悲しくありません。

 むしろ、息子が死ぬことを許されたことについて神に感謝します。
 
 息子はハルマゲドンで滅ぼされず、楽園に復活する時にまた会えるのですから。」

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この話を聞いた時、僕はまだ覚醒していませんでしたが、
なんと恐ろしい話だろうかと思いました。

同時に、やっぱ離れてもいいことないな、と感じたのです。

今思うと組織の思うつぼですね・・・。

周りのおばちゃん姉妹連中が

「ああああ、すごい信仰ね~~」

なんて言ってるのが思い出されます。



この話、だれかえらいひとが考えた下策な作り話であってほしいのですが、
巡回監督が演壇から話すくらいですからやはり実話なのでしょうか。

どちらにしても、とても「愛」によって生きるキリストの弟子のすることではありません。



先日ふと思い出したので記事にしました。

こういうことを考えると、やはり今は終わりの日なのかな?なんてことが頭をよぎります。

なんてったって

「終わりの日には、対処しにくい危機の時代が来ます。というのは、人々は・・・自然の情愛を持たない者・・・となるからです。こうした者からは離れなさい。」
(テモテ第2 3:1~5)

って書いてありますから。

確かに2世信者にとっては対処しにくい危機です。

ただ、この聖句には「対処しにくい」とあるだけで、「対処できない」とは書かれてないです。

「やればできる!」と信じて歩いて行くしかないので、がんばります。(我ながら曲解である)



この記事を書いてる間にも家族から奉仕に誘われました。

もちろん、「勉強してるから」と断りましたけど。 
ものみの塔の初代会長チャールズ・ラッセルが、
ピラミッドのサイズを使って終末預言をしていたという話は有名です。

もちろんトンデモ話ですが、当時は受け入れられていたんですよね(ガクブル

ところでラッセルさんはどこでこんなトンデモ教義を思いついたんでしょうか。

別にラッセルさんのオリジナルではなかったようですね~。

http://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/dic/pyramidology.html

↑この記事によるとチャールズ・ピアッツィ・スミスという人物がピラミッド終末預言をはやらせたようです。

http://buta.exjw2.org/books3.htm


↑そしてこの記事によるとラッセルは、スミスの書いた図をパクって「聖書研究」と称して本にしてたんですね。

エホバってこんなおっちゃんにご自分の民を任せられたんですって~。

エホバってそんなにアホなの????

いや、そんなわけないでしょ。

はっきりいって、「ラッセルは神に任命された忠実で思慮深い奴隷」とか本気で信じてる人は、神様を冒涜してます。

あ、そうだった。

ラッセルは奴隷級に含まれないんでした。そうでした。

いや~、
新しい光が差し込むってすばらしいなあ!!!

(JW批判系ではアルファな、ある人のブログ文面を真似してみました。ごめんなさい。)
卒業後、僕はいったい何をすればいいんだろう。

何もやる気が起きない。

毎日をただダラダラと過ごし、親のすねをかじって飯を食らう。

そんな日常はいやだ。

将来自分がどうなりたいのか見えてこない。

地方の通信制高校卒業で、教育関係の仕事に就きたい、とか言える身分じゃない。

なんの力もない、技能もない、知識もない。

はあ、死にてえ。

3年間無駄にしたなあ。。。

補助開拓を続けていればもうちょっとましな3年間だったのかなあ。

バイトをもっと増やしていればましだったのかなあ。

艦娘のレベルは上がっていくのに、自分は全く成長できていない。

こんななにもない自分に、誰か生きる理由をください。

やる気をください。力をください。

なんて叫んだところで誰もくれはしないから、自分で見つけるしかないんだなあ。

いろいろつらいけど、全てをエホバの証人の家庭に生まれたせいにして逃げることだけはしたくない。

関係ないとは思わないけれど、それは正しい事ではない。

何かを見つけないと。

「高校生」という肩書を失う前に。
久しぶりの更新となりました。みなさんの記事はほぼ毎日見させていただいてます。
励まされています(苦笑

今週のものみの塔は
「可能性を十分に発揮できるよう、他の人を助けなさい」
というものでした。

1節には、
「スポーツの得意な子もいれば、絵や工作の好きな子もいます。子供がどんな才能を持っているにせよ、親は子供の可能性を最大限伸ばしてやりたいと思います。」
とあります。
しかし、エホバの証人の親は本当に子どもの才能を伸ばしてやりたいと思っているのだろうかと疑問に思えてきます。自分たちが真理だと思っているものに盲従して欲しいとでも思っているとしか、今の僕には思えません。
部活動もダメ、進学もダメ、全時間の仕事もダメで可能性を発揮できるでしょうか・・・。

この記事では最初から若者の可能性を、この組織の中だけに閉じ込めようとしています。
続く節ではギデオンとアモスの例が挙げられ、エホバが彼らの「可能性をご覧になった」とあります。
しかし神は人の心を正確に把握することができる方で、しかも未来を見通す力を持っておられます。
「可能性を見られた」などという不確かな言葉で語るのは、少し違う気もします。

9節以降では「可能性を発揮できるよう助ける方法」として、「褒めること」が挙げられています。
僕も小さいころからずっと褒められて育ってきましたよ・・・((
適切な褒め言葉ならいいんですけど、「才能がある」とか「賜物がある」、「頭いい」なんてのは本当に止めてほしいです。そのせいで小学生に上がったばかりの僕は、他の同級生を見下した態度を取る、クソ生意気なガキでした。保育園も行ってないから、協調性もなかったですし。ものみの塔のおかげで「漢字がすらすら読める」というアドバンテージも、中学年に上がるころには通用しなくなり、僕は自分がいかに傲慢だったかを、いろいろなことから痛感するようになります。まあこれはJWの問題、というより僕の家族の問題なんでしょうけど。
ついつい自分のことを語ってしまいました。

結びの19節には、
「この組織の中で指導の任に当たる資格を持つ兄弟たちが必要です。」
とあります。ここから、若い兄弟たちが流出している現状が伺えると思います。

20節には
「将来のための土台を築きましょう」
とあります・・・。
僕は、聖書に書いていない、「1914年以降が終わりの日である」とする組織の教えに惑わされず、将来のために堅実な歩みをしていけたらと思います。

やはり県外に出て知らない土地に行ったほうが自然消滅しやすいのかな、なんて考えてます。
卒業まで約半年・・・。いったい僕はどうなるのだろう。
無事、三日間の地区大会を乗り切りました。

覚醒している身では、
「あのプログラムよかったよね!!励まされたわー」とか
「あの実演にあったようなことを当てはめたいね!」
とかいう周りの人との会話が、辛くて辛くて仕方なかったです。

感じたことは、
「なぜ王国の設立が1914年であるか」が全く説明されず、
「王国100周年です!!めでたやめでたや!」ばっかりだったなあ、ということです。
考える力を奪っている気がしました。

関心を示して会場に足を運んだ人の中には、何のことかさっぱりわからなかった人も多かったと思います。

遠くの会衆の兄弟に久しぶりに会えるのはうれしいですけどね。
周りと自分との大きな温度差を感じました。

今晩、新しいDVDを見ました。
「自分の決定が他の人にどんな影響を与えるか」
真剣に考えるべきだと思いました。
僕がここで折れて開拓でも始めてしまったら、妹や弟たちは何の疑問も持たずにこの宗教を続けてしまうと思います。自分で考えて、「本当にエホバの証人をやりたい!」と思うならば、それは彼らの自由です。でも、その選択肢しか与えられずにエホバの証人になるのであれば・・・。本当に悲惨だと思います。

最近よく祈るようになりました。
「善い生き方ができますように」「後悔しない人生を歩めますように」
「平和を追い求めていけますように」
エホバ、どうか助けて下さい。