「入江くん、コーヒー飲む?」と聞かれ、「ああ」と返事をしてから『入江くん』呼びはねえなと我に返って琴子に注意しようとしたら、もうキッチンに行ってしまっていた。

 

 なんだかんだ、俺は琴子の入江くん呼びを気に入っている。

 

 結婚したのに苗字呼びはおかしいと思うのだが、同居してから4年呼ばれ続け、しかも俺のせいで交際期間をほぼ0なまま結婚に至ってしまった。 

 

これはおふくろのせいもあるのだが・・・。

 

 なので、結婚したから『入江くん』呼びは止めろと言っても琴子は納得出来ないのだろう。 

 

二人きりの時くらいは名前を呼ばせようと努力した事もあるが・・・恥ずかしそうに上目遣いで、涙目になられると・・・別方向にベクトルがいってしまい。 

 

早い話が、名称の呼び方などどうでもよくなるのだ。

 

 俺はいつまで『入江くん』だろうか。

 子供が出来るまで!? いや、そこまでは流石にないだろう。

今は新婚だから・・・。

 

 

と、子供が出来るまでズルズルと7年も呼ばせてしまったのが失敗。

 

 仕事仲間でもある琴子は職場では入江先生と呼び、プライベートでは未だに入江くんと呼ぶ。

 

 「久しぶり、入江くん」とかつての同級生に苗字を呼ばれ、俺は目を細めて指輪の有無を確認する。

 

 女子の場合は結婚で姓が変わるから、要注意とはいえ・・・別に俺に関係のない事だから気にする事なく旧姓で呼ばせてもらう。

 

 「太田さん、何か!? ここでは医師なんですが」と返答すると、太田さんは「懐かしい顔があったから・・・ごめんね」と照れ笑いする。 

 

「ようやく薬剤師として、こっちに戻ってこれたの。これから職場の仲間として宜しくしてほしいなと思って」と笑顔で手を前に出された。 

 

今も昔も握手をしたいと思わない。 

 

「仕事上・・・」と言ったところで、琴子が「入江くーーーん」と俺を呼びながら廊下を走ってくる。

 

 全くあいつは・・・。

 

 「え!? 相原さん??」と驚いた顔をする太田に「あれ? 結婚したの知らないのか!?」と小ばかにするように聞いた。

 

 太田は俺を信じられないような目で見つめながら「ま、さか・・・?」と聞き返す。 

 

俺は走ってきた琴子を片腕で受け止めて「俺の妻。現在、妊娠中。お前、廊下走るなよ」と注意した。

 

 ああ、ついでに『入江くん』呼びも注意すべきだったな。

 

 「えっと・・・ごめん。後ろ姿見かけたからつい」と上目遣いで謝る琴子に苦笑する。

 

 この顔には怒れる自信がないな。 

 

「この人は太田妙子さん。元A組の同級生で薬剤師。斗南に勤務になったようだ。同僚だってよ」と琴子に『紹介』すると、琴子は斗南の同級生だと紹介したにも関わらず「初めまして。入江琴子です」と太田に頭を下げて溜息をつかれた。

 

 「元F(組)だから」とフォローすると、琴子が頬を膨らませて抗議する。

 

 「もうっ 何年言えばいいのよ」と拗ねる琴子の耳に「まあ、一生? お前が、入江くん呼びを止めたら俺もF組ネタを封印してやるよ」と伝えると真剣に悩んでいた。 

 

「一生・・・そばに居てくれるんだ」

 その言葉に脳が痺れたのは、俺なのか、太田なのか。 

 

「学歴に拘って、大事なものを取りこぼすのはバカね。学生時代と社会人では考え方も随分変わったわ。入江先生、ご指導お願い致します。あと、お手柔らかに」と頭を下げて去っていった。

 

 まあ、これからちょくちょく顔を合わせる事になるだろうけど・・・。

 

 「入江くん・・・浮気、しないよね!?」 不安そうに眉を寄せる琴子の眉間に触れ、皺を伸ばしながら「バーカ」と答えた。

 

 『入江くん』呼びされたからって、誰にでも惚れてたまるか。

 

 俺が反応するのは一人だけだって事に気づけよ・・・。 

 

でも、そろそろ「浮気を心配すんなら、入江くん呼びは止めろ。妻のお前も『入江』なんだから」と言ってやると、琴子は「分かった」と力強く言った後、小さい声で「ね、年内には・・・直す」と自信なさそうにつぶやいていた。

 

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いつもと違う形で記事を書いたら、変換に失敗しました。

読みづらくてすみません。

直したのですが、ちょこちょこ編集するかもです。