6時きっかりに目覚ましがなった。
「・・・よ・・・よしっ」と琴子がつぶやく声が聞こえた。
琴子と俺は、おふくろの長年の夢だった『二人の寝室』での初日の朝を迎えていた。
琴子が鳴らした目覚まし時計で、まだ睡眠中だった俺も起こされた。
が、目覚まし時計は琴子の側にある(琴子が必要な為)
今日は琴子の努力で早めに止められたが、今後は俺が止める羽目になるんだろう、きっと。
「お、起きた・・・・・・ぞ」
すごく眠そうな声の琴子。
そんなに眠いなら、まだ寝てくれと思う俺。
こっちは6時半に目覚めて用意する予定なんだ。
後30分はまだ寝ていたい。
きっと琴子のことだ。
“今日から毎朝6時に起きて完璧な朝食を用意する”などと無駄に張り切っているに違いない。
俺のためだけに努力する『新妻・琴子』も悪くないと思って、俺はわざと寝たふりをしていた。
6時半。
目覚ましも鳴らさずに時間通りに起きると、隣で琴子が熟睡していた。
「さっき無駄に鳴らした目覚ましはなんだったんだよ」
一応聞いてみるが、夢の中の住人には聞こえないらしい。
わざわざ人の寝顔を覗き込んでたくせに、、、一体なんの努力なんだか。
でもそれが実に琴子らしくて、呆れるより先に顔が笑ってしまう直樹だった。
一度は諦めた琴子を手に入れたんだ。
きっとこんな毎日が当たり前になるんだろうなとくすぐったい気持ちになりながら「起きろ、奥さん」と軽く唇にkissを落とす。
・・・全く目覚める気配がない★
うーむ、夫としての努力が足りないのだろうか!?
せめて前日の夜、俺が寝かせなかったからって日には寝坊してもらいたいくらいなのだが・・・
残念ながら昨日はハワイから帰ったばかりで、二人ともごく普通に就寝したのだった。
今日は早く帰って琴子に『新妻の心得(夜編)』でも聞いてみようかと思いながら、直樹は朝の準備をすべくベッドから降りた。
洗顔をして部屋に戻りワイシャツに着替える。
スーツの上着を手にして下に降りるとおふくろがご機嫌で朝食の準備をしていた。
「おはよう、おふくろ」
俺は食卓につくといつもの通り、新聞を広げながら朝食が置かれるのを待っていた。
「おはよう、お兄ちゃん。琴子ちゃんはまだ寝てるのかしら」
「そう。6時に目覚ましを鳴らしながら、未だに起きないよ」
新聞の一面に目を通しながらそう答えた。
「おはよう、お兄ちゃん」
裕樹が挨拶しながらダイニングに現れる。
「バカ琴子はまだ起きてないの?」
「ああ」
「琴子がお兄ちゃんの妻になったからって急に『完璧な奥さん』になるとは思わなかったけど、案の定、バカ琴子はバカ琴子だね。予測通りでお兄ちゃんも呆れてるでしょ。ったく朝ごはんくらいママを見習って用意しろよな」
天才の弟らしく裕樹は“今は俺の妻である琴子”を初めて会った時から馬鹿ににしてた。
今更琴子が義姉になったところで、この精神年齢が逆転している姉弟の関係は改善されることはないと思う。
俺も裕樹に琴子を『義姉』として扱うことは期待していない。
逆に義姉として敬意を持つ様なら裕樹は琴子を女として見てると思えてくる。
そうなるとたとえ9歳年下でも裕樹は俺のライバルとなるだろう。
裕樹がまだまだ子供であることに直樹は安堵していた。
裕樹が『大人の事情』で起きられないことがあるって知ってたら、今のような台詞は吐けない。
明日辺り・・・きっとそうなるだろう。
これから毎日そんなことになる日常を想像すると、直樹は自然と口元に微笑を浮かべた。
「まあ、あいつに朝ごはんは期待しちゃいないさ」
直樹の言葉の真の意味が分からない裕樹が同調する。
「そうだね、琴子の料理なんて食べられたもんじゃないからね」
裕樹は悪態をつきながら母が朝ごはんを用意してる様を眺めていた。
「こらこら、裕樹。あまり琴子ちゃんのことを悪く言うもんじゃないぞ」
親父がダイニングに現れると同時に裕樹を嗜めた。
「そうよ、裕樹。琴子ちゃんは起きられない事情があるんだから」
おふくろが余計な知恵を裕樹に授けようとする。
「おふくろ。メシ!!」
俺はおふくろが余計な事を言う前におふくろの口をふさぐ必要があった。
気付いた親父も「マ、ママ・・・」と注意しようか迷ってるようだった。
久々に元・入江家全員だけが顔を揃えて食卓につき、穏やかな気分で会話をしながらの朝食を取った。
こんな事は琴子が来てから初めてだったかもしれない。
琴子たちが家を建て出て行った時は入江家だけの面々で食事をしたが、お世辞にも楽しい食事とは無縁の雰囲気だった。
それを思い返しても、やはり琴子との結婚は間違えていなかったと思う直樹。
今そばに居なくても、琴子が俺のもとに居るだけでこの家は明るくなれる。
が、しかしもうすぐ会社にいく時間となると琴子には目覚めて見送って欲しかった。
今日の失態をからかわずに出かけねばならないなんて、実に面白くない。
琴子の慌てふためく顔は直樹の一番の好物なのだ。
そろそろ目覚めてくれよと時計を恨めしく眺めてる直樹にドドドドドと階段を響かせる足音が聞こえてきた。
琴子が飛び起きて、階段を駆け下りてるんだろう。
リビングのドアを開けずに後ろのダイニングのドアから琴子は飛び込んだようだ。
「あら、おはよう琴子ちゃん」というおふくろの声が聞こえた。
それを聞いて安心した俺はゆっくり玄関へむかった。
またもドドドドドと足音を響かせながら、リビングのドアを開けて琴子が飛び出してきた。
バタンとドアを閉めながら「い、入江くん」と涙を浮かべて琴子が登場。
待ちかねた。
やっぱり、予想通りの琴子が俺の目の前にいる。
俺は嬉しくなり、予定通りの台詞を口にした。
「よお、おはよう」
「ご、ごめん。あ、あた・・・」
泣きそうな琴子に背を向けながら靴を履く。
「ずい分早くから目覚ましなってたから、どんな朝食ができるのか楽しみにしてたんだよな。あー結婚するっていいなーって」
一息でそう言ってから少し溜めて
「おれっていい嫁さんもらって幸せだな」そう、しみじみと呟いた。
青ざめている琴子を横目で見ながら「いってきます」と告げて振り向かずに家を出る。
・・・今俺は満面の笑み過ぎて、琴子に顔を見せられない。
訓練してる運転手すら、ビクっと一瞬硬直したのを俺は見逃さなかった。
それを知らない琴子は「い、入江くん」と悲痛な叫びをあげていた。
「あ、あたし・・・明日こそは、明日こそは!! 入江く・・・」
その決意を聞き流しつつ車に乗ると、運転手にドアを閉めてもらった。
さて、さて、その日の夜は
・・・残念ながら紀子ママの手によって楽しい日常を当分お預けされる直樹であった