金曜日ですね~
お仕事お疲れ様でした
あなたは、このコロナ禍で生活に
何か影響がでていますか?
この1年余りで
今までの生活から、ずいぶん変わり
職種によっては
生活に困っている話が毎日毎日
TVで放送されています。
そんな最中、
私は今回、初めての起業を始めました。
何故に今なのか
実は、私自身はずっと
「自分には、起業の才能はない」
そう信じて生きてきました。
その理由を、少し聞いていただけますか?
前にお話ししたように
私の家は、定職を持たなかった父親のために
とても貧乏でした。
そばにいた親戚は田畑をたくさん持っていたり
歯科医だったりしたので
貧乏なのは、私の家だけでした。
母は内職をしていました。
そのため
いつもお金の工面で大変だったと思います。
父は、クリーニングの配達人をしばらくやっていました。
そして趣味がパチンコ。(笑)
父は、母にとっては”遊び人”だったのです。
でも私たち子どもにとっては「優しいお父さん」でした。
特に私は、いつも父と一緒でした。
パチンコ屋にも行きましたし
飲み屋さんにも行きました。
(父はお酒が飲めないのにお酒の席が好きでした。)
父には、友達がいっぱいいました。
女友達もいっぱいいました。
一方で母は、地味な人でした。
生まれてすぐ位に、家が火事で焼け
兄姉と母の子ども3人は、ばらばらに
里子に出された経歴の持ち主です。
母は田舎の、食料や雑貨など何でも売っている、
小さなお店をしていた、子の無い夫婦にもらわれました。
でも、母が里子になったのがきっかけなのか
子の無かった夫婦に、子どもが生まれ始めました。
母はあっという間に、6人兄弟の長女になりました。
母の話では、かなり苦労をしたそうです。
私たちは、母の実家に遊びに行ったとき
特に祖母の、母の弟妹たちと母の扱いが、
明らかに違うのを子どもながらに感じていました。
そんな父と母の生活は
父の急死で16年間くらいで
あっという間に終わってしまいました。
46才、心筋梗塞でした。
そのころ家は、近所で焼き肉屋をしていました。
そのため朝、父親は遅く起きてきます。
その日も、中2の私は、いつものように
父が寝ている姿を見てから学校にでかけました。
いつもと変わらない朝でした。
でも、それが、父の最後の姿になりました。
父が他界する前夜不思議なことがありました。
店があるので、両親の帰りは深夜。
その日は、店が休みでした。
父親は遊びにはいかず、珍しく家にいました。
その夜、中2の私は、父の腕枕で
小林旭さんの出ている映画をみていました。
14歳の思春期の私が、父親の腕枕なんて
私は完全なファザコンだったんですよ。
小林旭さんは母の好きな俳優さんでした。
そんな話をしながら、久しぶりの一家団欒。
父も、母も笑顔でした。
兄も妹もみんな笑顔でした。
私は今でも、その家族の風景を
はっきりと覚えています。
そんな次の日、
父親は
一人で逝ってしまいました。
大人になってから母親に聞いたのですが
そのころ、お店のために借金が100万円あり
母親は返す手立てもなく
どん底の状態だったそうです・・・
今の私たちが生きているのは母が、
父の死後に夜勤をしながら働いて育ててくれたからです。
でも、実は
マイナス100万円からの出発ではなく
ゼロからの出発だったのです。
どういう意味?
お分かりにならないと思いますが
100万円の借金が、たったの2日間で、
ゼロになったのです。
母の口癖は~
「あの時、お父ちゃんが死んでくれてよかった。
生きていたらもっと借金が増えて、
一家心中になりかねなかった」
「旅芸人についていくと言っていた時もあり
本当に呆れた・・・」
などなど。
そんな父の100万円の借金。
保険金で返せました~~~!
なんて、結末ではありません。
だって、父は
死ぬ前に、保険を解約したんですから
実は、100万円の借金は、
父親の香典収入でゼロになったのです。
うちの父は、人付き合いが良くて
いつも人と遊んだり、旅行したり、
おごったり、お酒も飲めないのに
騒いだりと
とても明るい人でした。
PTAの会長をしたり、地域に公園を作ったり
ひとのために力を尽くすのが好きな人でした。
そのため、
葬儀には大雨の中、たくさんの知人の皆様が
参列してくださいました。
父は、自らの借金を、自らの葬儀により
返却したのです。
でも、それだけではありません。
そんな父は
香典収入のどんでん返しで
「名誉」も回復したわけです。
素晴らしくありませんか
それがなかったら
母は、ずっと~父を恨んだでしょう。
私たちも
違う育てられ方をしたかもしれません。
そんな父母の姿をみて
私たちは育ちました。
そして、
兄は、国家公務員(税務署)
私は看護師(初めの仕事は、国立病院)
妹は保健師(市役所)
いわゆる堅い仕事を選択しました。
どうしてかというと
私は
自営や起業を
失敗、借金としか
考えていませんでした。
そんな私が、起業なんて
自分でも笑えてきます
でも実は
人から良く、「起業に向いている」と
言われたことがあります。
でも私自身は、
父に似ているから
素質は無い、
そう信じていました。
でも、
私は
SNSでみる女性起業家がとても好きで
素敵だと思っていたし
尊敬していたし
応援したいと思っていました。
芸能人を好きで応援もしているし
クラウドファンディングも好きで
わくわくしながら参加したりして
自分だったら、何をしたいかなぁ~
なんて
ついつい、夢を膨らませてしまう
そんな
自分に気が付いていました。
そこで、
この59才で
自分軸ダイエットというものに出会い
不安や悩みもなく
最速で
起業を始めてしまいました。
自分軸ダイエットは
今までに出会ったダイエット方法とは異なり
人生を幸せなものにしたり
大きく変えることのできるものだったからです。
父の香典どんでん返しの衝撃が
どうにかなるさ~という
私の、お金に対する基本的考え方になっている
そんな気がします。
出会いとは、本当に不思議ですね。
ナースちあきの最近の呟き
・去年のある日、久しぶりに通帳記入をしたら
思っていたよりもお金が増えていました。
・定期預金が満期になったのを忘れていて
1か月遅れで銀行にいったら
また、お金が増えていました。
・韓国に行っていないので、私の通帳のお金が
増え続けています。
・お金ってほんとうに不思議です。
・父の香典事件で、私自身には
お金は必要なだけ入ってくるという考えが
定着しているようです。
・ドキドキするものには使う。
欲しいものがないと別に使わない。
・コロナ禍で実は、韓国にかけるお金を
せっせと寄付をしました。
・お金は天下の回りもの
さぁ、一緒に幸せダイエットしましょね。
ただいま公式LINEを準備中です。
しばらくお待ちくださいね。
(笑)
韓国の友達が貸衣装屋さんをしています。
そこで一枚パチリ!
~韓国へ 飛べない今どきのブログ旅行~
韓国旅行100回越え、韓国どこでも行きました。
そんな私の、韓国ブログをお楽しみください。
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