気付きにくいアナウンスなき変説 | ながめせしまに@無為

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これ知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなす。これ知るなり。

 現在進行形ですすむ政治・経済の問題の理解を深める際に、様々な評論家・学者の主義・主張・見解を見聞していると、時の経過とともに主張が検証可能となることで、信頼できる人や、国を思って真剣に論壇で戦っていると感じる人が分かるようになってくる。

最近、とある人気のある評論家Mの解説を聞いて気づいたが、数年前に解説していた内容と真逆の主張をしていた。変説に至った根拠も説得力がなく、数字遊びや論点ずらしに終始しており本当に同じ人物の主張だろうかと思えるほどの変容であった。


その方は、自分は庶民の味方であるとう具合に解説をしており、著書も出すたびに一定数売れるなど、それなりに影響力を持っている。いかにも庶民によりそっているように話すが、専門的な勉強を積んでない人では、その変説になかなか気付かないだろう。実に巧妙に話すものである。


 ここで重要なのは、もともと信頼を寄せていたのはその人の主義・主張・見解だという点である。しかし、その人の話を長く聞くうちに、いつしかその人に対して信頼を寄せてしまうケースが多々ある。その場合、そういう人はその人の主張ではなく、その人物を信頼しその人の言うことを批判的に検討することなく鵜呑みにしてしまうようになっている。非常に危険なすり変わりといえる。

その方が寄稿しているものを読んでいると、明らかに主張が変説しているが、当の本人は「私は首尾一貫してます」という態度なのである。、特にこういう理由があり、以前の主張を取り下げ変説したとは一言もない。

その人を支持する人の多くが、「その人が言うこと=絶対正しい」というように正常化バイアスでも働いてるのだろうかと疑問に思ってしまうほど、根拠なき変説に気付かない所か、変説した主張まで盲目的に信頼をよせるている人もいる。


中には変説に気づきおかしな点を指摘する方もいるが、論理的に主張で説明だてて反論するのではなく、罵倒・中傷といった形で人格攻撃をしている。およそまともに議論ができる雰囲気ではない。


根拠なき変説に気付くことなく、また指摘されても最初から話を聞く姿勢ではない。そうした彼等も本来は国益を願った人達であるが、国益を害することでさえ支持しているのであるから怖いものを感じる。


分かりやすいケースでは、最近だと、消費税増税延期を大義とした2014年末の衆議院議員解散総選挙において、それまでさんざん消費税増税がいかに景気に悪影響を及ぼし経済に深刻な影響を与えたかを解説しておきながら、”附則の景気条項を使えばこんな解散総選挙なんてせずともできること。今回の選挙は大義なし”と断じた瞬間だった。


自民党内でさえ、消費税増税を唱える人が多数存在する状況が明らかで、景気条項を利用して国会を通すのは実質的に出来ないことが分かっていた。にも関わらず、そのような主張をすることは、表向きは消費税を否定しながら、実際は消費税増税しろといってるようなものである。

現在進行形で進む政治経済問題について、理解が不足している場合にはなかなかこの変説には気づきにくい。いつのまにかポジショントークな内容になっていたりしますので、誰の意見を参考に勉強するかも慎重に選択しなければ、いつのまにか足元をすくわれかねません。


変説自体は悪い事ではないと思いますが、変説するように至った契機、経過、理由などをしっかり説明して頂ければ、その都度判断することができる。公の場で言論活動をする人には、最低限そのくらいの姿勢はあってほしいものです。