市川崑監督、1956年製作。ビルマの地で終戦を知らされた日本部隊。竪琴の名手であった水島上等兵は、傷を負い、ひとりビルマの地をさまよう。そこで彼が見たものは。彼が選んだ生き方とは……

名作! 音楽を効果的に使っているので、原作を読むより、映像のほうが内容を理解しやすかったです。『埴生の宿』『荒城の月』『一高の寮歌』『○○』(←最後の曲は、見てからのお楽しみ)

日本兵の死体の山のシーンで流れる音楽が、グレツキ『悲歌のシンフォニー』そっくりの和音進行だったので調べてみたら、グレツキは1976年の作曲でした。この映画のほうが20年も早い。伊福部先生、時代を先取りしてたのね。さすが♪

ビルマ人のバーチャン役は北林谷栄。上手いのなんの。ところで、同じ市川崑監督が1985年にまた『ビルマの竪琴』をリメイク。キャストが一新された中で、ひとり北林谷栄の名前が。まさかまた……? (^^;;;

どうして色があせると白と黒になるんだろう。赤や青じゃなく。モノトーン。ふしぎだな。
三原色は赤・緑・青。どうして3色が集まると白になるんだろう。
絵の具の色。ならべるときれいなのに、どうして混ぜるときたなくなるんだろう。
絵描きさんは、世界を色で見ているのかな。音楽家は、世界を音で聞いているんだろうか。じゃあ小説家は言葉で?
リンゴは赤い。でも本当に赤いんだろうか。
咲きたての白い花、とてもきれい。生まれたての白。この色をキャンバスに描くのはむずかしい。絵の具は生きていないから。枯れかけた葉っぱも、色が息づいている。生きていれば、きたない色もいい。
画家の絵は、その人の見た世の中。心の中。
色、色、色。今日の朝の空は、やさしい水色をしていた。色、色、いろ……

コーヒーが好きです。コーヒーを入れる時間が好きです。機械でやればボタン1つで済むのでしょうが、私はこの、手間はかかるけれども、ゆったりした時間がとれるやり方を守っています。

人数分の豆をカップで計り、ミルに入れます。ハンドルを回して豆を挽く時が、いちばん楽しいです。ガラガラいう音、手に伝わる感触、台所に挽きたてのこうばしい香りがただよいます。
ヤカンを火にかけます。口から湯気が出てきたら、火を止め、すこし冷まします。サーバーをセットし、フィルターに豆を。そこへお湯を円をえがきながら注ぎます。このとき新しい豆なら、泡立ちながらふくらみます。ふくらんだ山がへこんできたら、一気にお湯を注ぎます。下にコーヒーがたまるのを待って、カップにそそいで、できあがり!

築地駅から聖路加病院のほうへ行く途中に、“ライブコーヒー”という店があります。ここの豆はよくふくらみました。おすすめ♪

大人になった今でも、気に入った絵本を見ると買ってしまう私。この展覧会には国内・国外のさまざまな絵本作家の原画が展示され、とても楽しかったです。

イギリスのチャールズ・キーピングの、色の組み合わせと調和。
ブライアン・ワイルトスミスの描くリスと落ち葉は、色がじつに鮮やか! 彼に師事したバーナデット・ワッツの『赤ずきん』も花が光っていました(絵本では出せない色)。
チェコのミルコ・ハナークは水墨画のような水彩で動物を。
ポーランドのユゼフ・ヴィルコンは1作ごとに画風が変わる。私は奇妙な魚のオブジェがお気に入り。
ロシアのエフゲーニー・ラチョフ『てぶくろ』『マーシャとくま』の原画に感涙!!!
中国の武建華は、下手っぽく描いてるけど超上手い。
日本では初山茂の絵が1枚見れたのがうれしかった。
『スーホの白い馬』の赤羽末吉(独学!)の、幅広い画風に感心。
瀬川康男も良かったです。

昨日は麻11時に置きました。浴寝たので紀文が良かったです。
近所のしょっぴん具モールへいってCDヲ連たるしてきました。後teaシャツも買いました。手折るケットも蚊居ました。
どとーるに震製品のフローズンカフェも課があったので乃んだらとても甥しかったです。
癒えに帰って、ソファを処分するため火族で外に運び打しました。遅々が鋸やく義貫を出してきて、トン間屯缶解体しました。
結うご飯は、刺し身今若がおい叱ったです。味噌誰にすこ氏お巣と枯らしが肺っていました。活けました。
寄る葉根ぐ流死かったです。

なぜ? 私は混乱しました。あの母子が原因なのは確かです。でも、たった20分くらいの出会いで、そんなに人の心は動くものでしょうか。
動く、と思いました。子供の純真さ。母子の姿。どんな別れも悲しいもの。
老婦人はいかにも汗をかいたように、しかし目のまわりを、ハンカチではたいていました。
電車が動きはじめました。
私はうたた寝をしているふりをして、目を閉じました。そして横浜に着くまで、そのままでいました。

あれから何日もたちますが、あの老婦人のことは忘れられません。あれはどういう涙だったのでしょう。母子に対する涙だけだったのでしょうか。もしかしたら、過去の誰かを思い出してのものだったのかもしれません。それはいったいどんな思い出なのでしょう……。
今となっては分かりません。ただ、あれが温かい涙であってほしい。喪失感ではなく、幸せな気持ちを呼びおこした涙であってほしい。そう願っています。

電車が、やっと大磯を通過しました。車内にアナウンスが「次は平塚、平塚ぁ」と流れると、老婦人は、男の子にほほえんで言いました、「ほら、平塚だって。ボクがいい子でがまんしてたから、ちゃんと着くわよ」
男の子は、うるんだ目を老婦人に向けました。いい子だったかなぁ、と私は心の中で思いましたが、彼女の言葉は魔法のように効き、それきり、駅に到着するまで静かに窓の外をながめていました。

ドアが開きました。
「それじゃ、失礼します」
「さようなら。ボク、バイバイ」
老婦人が手をふると、お母さんに抱かれた男の子は、黙って手をふりかえしました。いつのまにかほおは乾いていました。
新しい乗客が入ってき、母子は見えなくなりました。

私はその時、ぼんやりと自分の手元をながめていました。視界のすみに、老婦人がまだ手をふっているのが感じられました。熱いのか、彼女はハンカチを取り出し、顔をふきました。
いえ……彼女は泣いていました。

先日、通勤電車に乗っていたときのこと。向かいの座席は、若い母子と、老婦人でした。2~3才の息子を膝に座らせているお母さんは、困っている様子でした。息子が「まだ平塚じゃないの?」とぐずっているのです。どうやら2人は平塚駅に行くらしいのですが、電車は小田原をすぎたばかり。駅をこれから4つも5つも通過しなくてはなりません。男の子は電車が止まるたびに窓を見あげ、違うとわかると泣くのでした。

「平塚はもうすこしよ。がんばろうね」急に、隣に座っていた老婦人が声をかけました。そしてお母さんに、「かわいい息子さんね」。
お母さんは、見ず知らずの人に話かけられてちょっと警戒したようでしたが、すぐにうちとけて、おしゃべりを始めました。
男の子はしゃくりあげていました。お母さんがかまってくれなくなったので、口をとがらしていました。ほおには涙の筋が2本、光っていました。

同じく7/15(土)、横浜市民ギャラリーにて。“公募写真展 2000年『視点』”第25回写真展
みんなセミプロの腕前。写真の中に主張があります。

気に入ったものは……
熊副穣「長島端島炭鉱」――壊れたコンクリート建築がギリシャ神殿に見える不思議さ。
寺島萬里子「ハンセン病は癒えても」――今も残る病のあとにショック。
伊藤孝憲「死のあった場所」――今は静かなアウシュビッツ。
松本俊次「母ちゃんは工場長」――生気あふれる女性の姿。
山田洋子「浅草キッズ」――昔は大勢いただろうワンパク小僧たち。
松崎盛樹「峠の村」――近所とのおつきあい。
大谷桂子「読書タイム」――並んで本を読んでいる制服の女性社員。
中田フミ子「1999年子どもの日に」――クレーンにはためくこいのぼりの壮観さ。
森住卓「民族の嘆き」――廃虚となった家にたたずむ老人と子供。

あと、会澤重行「1999年「秩父」」、山本やす子「家」も良かったです。

7/15(土) 三百人劇場にて。東京京劇団 第11回公演“わかる京劇シリーズ vol.1 「小商河」”

また京劇に行ってしまいました(笑)。今回は、前半、京劇の衣装やしぐさの解説をしてもらい、後半、実際にその演目を見る、という構成でした。解説は、NHK講座の講師で知られる山下輝彦さん。京劇のスタイルや話の前後背景を説明してくれました。その後、俳優さん達に登場してもらい、動作についての解説もしてくれました。鞭を手にしたら、馬に乗っているということなのだ、とか、机は、山や橋になることがある(そういえば先日の「三岔口」では寝床になっていた)とか、楽団のテケテケテケ…♪という棒の人が指揮者なのだ、とか、いろいろ教えてもらいました。

今回は、役者が見えを切ったところで、拍手の前に「ホッ!」「ハッ!」と掛け声があがっていました。中国ではああいう風にするのかな? きっと京劇の「ブラボー」なんですね。