駒が いつも
順調に進んでいける
わけじゃない
ある升目に着いたら
いきなり
3コマ戻ったり
1コマ休むはめになったり
かと思えば
2コマ進んでみたり
もう1回サイコロが振れたりとか
今日ふったサイコロ
ふりだしに戻っちゃった
なにこれ? ひどくない?
わけわかんないんだけど
あせっちゃだめだ
これはすごろくだ
たぶん そんなもんなんだよ
サイコロにどんな目が出るか
なんて
誰もわからない
それに
明日ふってみたら
案外 おもしろい升目に着くかもしれない
そうだろ?
じっくりいこう
前だけは しっかり見すえて
ゴールは必ずある
いつかあそこに
必ず たどり着くのだから
過去文の修正をしました。
5/6「祈るキッチン」
こちらは文の順番を変えて。
5/8「目の前に象が迫っていても、曇りなだけなどと言うな」
こちらは真ん中あたりを微修正。
あと、前日の
5/11「母の日に思う」
は、UPした当初から半日くらいで、ずいぶん修正しました。今朝も線「――」を移動させたかな(笑)
最初から完成させてからUPしろってことですけどね~(苦笑)
どうもせっかちなもんで。
ま、そんなこんなですが。
どうぞよろしく。

今年の母の日のプレゼントは、生きのびることができた私の命。リボンをかけて贈りましょう。
……なーんてブラックなことを言って、無料(タダ)で済まそうとはしないで。
スコーンを焼きました。
まあ、ミックス粉を使ったので、ちょっとズルというか、粉を混ぜる工程をはしょって楽をさせてもらいましたけども。(#^^#)
焼くにつれて、スコーンが口(?)を開けていくのが楽しい。少し乾いた、粉っぽい甘い匂いが台所に広がります。
形のいいのを選んで、まだ温かいうちに持っていったら、喜んでもらえました。よかったよかった。お父さんと、お茶の時間にどうぞ。
でもやっぱり、本当のプレゼントは私の命かな。(←しつこい?)
あれですねー。自分もいつか死ぬんだと実感すると、死はタブーな話題ではなくなりますね。むしろジョークなどでどんどん言えます。嫌がられるのであまりやりませんが (^^;)。
――それまでの私にとって、死は他人事でした。自分が死ぬなんて、考えたこともなかった。もちろんいつかは寿命になるのでしょうが、まだ何十年も先のことだし……。目をそらせ、必死に違う方向に顔を向けていました。
今は、視界のすみに死がいるのが分かっています。まあいいか、という気持ちです。いるならいるでかまわないし、私は今やるべきことをしていましょう、と。
死を考えることは、生を考えることだ、とよく言われます。その通りでした。
今年もまた、母の日に。
私はプレゼントを作ることができて。
あげる人がいる。
そのことを、うれしく思います。
耳をふさぐな
目をそらせるな
それは確かにある
身内だけで笑うな
本来はどこを見るべきか?
無いとまわりが言うから無いのか
仲良しクラブは平和なときだけ
ひとたび地がゆれれば
人は低くなり
建物は飲みこまれ
国は線を変えるだろう
大丈夫という保障はあるのか
すでに兆しは現れてきているのに
享楽におぼれ
ふりあげた手がつかむのは泡だらけの夢
足元のじゅうたんはすでに引きずりおろされて
バランスをくずしたら
倒れるだけ
――ただ 倒れるだけ
(写真:足成)
キッチンに立ち
夕飯の支度をしていると
手は忙しいのに
だんだん
心は静かになってくる
これらの
野菜や魚や肉が
おいしいごはんになりますように
体の栄養になりますように
食べたら
幸せな気持ちになりますように
1日の疲れが取れますように……
……
あ、もうこんな時間
帰るコールはまだかしら
残業が長くなりすぎませんように
仕事がとどこおりなく終わりますように
トントン
コトコト
トントン
コトコト
今日も
思いをこめて
来た
南国よりの
春の使者
ここにも
あそこにも
ほら
空の 隙間から
現れ出でて
光と 陰
乱反射させ
口々に 新しい季節を述べ伝える
その姿
弾丸のような 速さで
風を抜き去り
重力などないかのように
ひらり
雲を蹴散らして
尾のナイフで
冬を切り裂け
羽の旗で
春を宣言せよ
使者たちよ
夫が 雨と風の中、仕事に出かけるのも、
義父が、家事を 手伝ってくれるのも、
私が、普通に 起きていられるのも、
当たり前のようで、たぶん
当たり前ではない。
今日、3人で 桜を見に行った。
青空に 白い雲のように広がる 満開の桜は
喜びに満ちた枝を 風に揺らし、
見上げる私たちは、「見事だねえ」と
たたえながら、そぞろ歩いた。
当たり前のようで、たぶん
当たり前ではない。
重なる手
よりそう心
今日という日
当たり前ではなく。







