麦わら物語 その六

 

 

 

 
雨風をしのいでくれて、安心できるはずの
部屋がボクを圧迫感し暗闇に飲み込もうとする
ボクにもう居場所はない
 
すっと、朝まで眠りにつけたらラッキーだが
2、3時間程で目が覚めるともう最悪
 
動機が始まり、空気が歪み、部屋の壁が迫り
ボクを圧迫し、暗闇がボクを呑み込もうとする
 
なるべく家には帰りたくなかった。
 
家にいて動機が始まり出すと
何かしら、気を紛らわせようとするのだが
TVをつけても落ち着かない
漫画を読んでも落ち着かない
 
ふと、電話があったりすると
嘘のように我にかえれたりした
だから、家にいて動機が始まり出すと
会社の同僚に悟られまいとしながら用事を作っては
電話した。
 
ここで、罪悪感が現れる。
しょっちゅう、電話したら相手に迷惑や
人に迷惑掛けたら嫌われる・・・・・orz
夜中には電話なんかできひん
人に迷惑掛けたら嫌われる・・・・・orz
 
だからダイヤルQ2(よく助けてもらった)
夜中に電話しても誰にも迷惑かけない。
でも、長くは続かない
通話料がべらぼうに高くサラリーマンの給料には
限界があった。
 
スナックで飲んでおねえちゃんと会話して
酔っぱらって家に帰って朝まで眠る。
これも金銭面に限界あり。
 
ない頭で色々考えた。
便所掃除
丁寧に時間をかけて掃除した。
ウォーキング
朝まで一晩中歩いたこともあった。
時には、電柱を殴りながら手を血まみれにして
時には、バットをもって族に殴りかかりながら
(よく捕まらなかったと思う)
 
なかなか診療内科に行けなかったのは
診療内科に行くのが怖かったから
メンタルクリニックって言うライトな表現のところもあるけど、そんときの心理状態は
 
診療内科=精神病院
精神病院に行くヤツ=キチガイ
 
キチガイのレッテルを貼られてしまうと
もう誰もボクの相手をしてもらえなくなる
一人ボッチになる・・・・・
そう思ってたから・・・・・
 
でも、騙し騙しにやっていくのも限界があり
社内で会議中、発作がはじまり
耐えられなくなって
やっとこさ、診療内科を受診
 
自律神経失調症・パニック障害
 
安定剤と睡眠薬を処方してもらった

 

予期不安によるパニックは安定剤よりも

カウンセラーや人とお喋りしてるほうが

安定してくれたと思う。

 

でも、人とお喋りしても人と別れてからの

一人の部屋は直ぐに眠れなければ

孤独感を掻き立てまたツラくなった。

 
睡眠障害には
夜眠れるように睡眠薬を飲んだ。
睡眠薬を飲むと起きられなくなり会社に遅刻
取引先との商談に遅刻
睡眠薬を軽いのにかえてもらう
効き目なく眠れなくなる
睡眠薬を戻すのは起きれなくなるのが怖い
また眠れず会社に行くのがツラくなる。

 

ボクは1ヶ月間の休暇をいただき

気分転換に実家に帰った。

 

実家に帰って数日後、ボクはは母親に
拝み屋のところへ連れて行かれた

心療内科にいくことすら、ハードルが高かったのに

拝み屋って・・・


メチャメチャ抵抗した。
それでもオカンは譲らず

ボクもこれで母親の気が済むのならと根負けした。


でも半分は、別の理由が頭にあった。
麦わら家はホントに呪われてるんじゃないか!?


叔父さん(父の弟)は、自衛隊で辛い思いをし

精神を病んで廃人のように暮らしてたし
父親も精神を病み入院したし
叔母さん(父の妹)は株の運用に失敗し首を吊った。
いとこは、職場の人間関係に病んで入水自殺

未遂ですんで、今でも廃人のように暮らしてる。

母は父にDV、叔母(母の姉)に家を盗られた。

今度はボクって・・・
もう、おしまいにしたかった。


帰りのタクシーの中で母に言われた

『あんた!お父ちゃんみたいになったら嫌やで!!』

 

この時、この苦しさは身内にも

誰にもわっかてもらわれへんねや・・・・・

そう思った。
ホンマはタダ黙って見守って欲しかっただけやねん。


もう、実家にもおられへんと思った。

 

このあたりから

母親との確執と憎悪が始まったかも知れない

憎悪と、こんなになって申し訳ないという罪悪感と



大阪のマンションでの静養をはじめると

大阪に戻ったと聞いて近所に住む

会社の先輩が訪ねてきてくれた。
ホントありがたいなあと思った。

 

ところが

その先輩が宗教の勧誘をしてきた。

死にたくなった…orz

どうせなら会社を近くの最寄り駅でと

地下鉄四ツ橋線肥後橋駅の

ホームの一番前にたった。

けど、足がすくんで死ねなかった

 

でも、もう人を信じるまい

もう人を頼るまいそう誓った。

でもね、結局はこれもボクが引き寄せてんねん

元々、人間不信で誰も信じてないねんから(笑)
 

1ヶ月たち、一度会社に出社したが

ドアの前で足が固まり

会社に入ることが出来なかった。

 

休職をもう1ヶ月伸ばしてもらったが

もう、ここに居場所はない

そう思って暫く日を置いてから辞表を提出した。

これからどうしようかと実家にも帰れず

途方にくれアウトローへと

 
ここも、幼少や少年期の体験からアウトローという
流れを引き寄せたんだと思う。
 
この時期に
宅地建物取引き主任者の資格も取得したし
司法書士の勉強を始めた。
勉強のため建売り住宅の会社に潜ったこともある
 
今思えば、どれも不動産関係
よっぱど、取られた家を取り返したかったのかもしれません。(笑)
 
ボクの潜在意識は
好きな人は、どうせボクから放れていくんだからアウトローになっても、もうどうなってもエエわ!(ボクのまわりから人が放れていくあの苦しさ、あの寂しさ、あの孤独感を味わうのなら、最初から、もう一人ボッチのほうが楽だ)
族にしたって、アウトローにしたって暴力がつきもの
暴力を身にまとえば、DVだった父親から母親を守れたかも知れない。
金を掴めば、盗られた家を取り戻せたかも知れない。
恐れられれば、小学校の先生もまわりもボクを笑わないかも知れない、馬鹿にしないかも知れない。
そんな感じだったと思う。
 
でもね、心のあり方がかわらないと
心のクセはいつでも、どこへ行っても
同じことを繰り返すねん。
 
そして、段々と
触れあいのなかった両親との愛着障害
母親を守れなかった無価値感
家を取り返せない無価値感
先生やまわりに対する劣等感
裏切りによる人間不信
自律神経失調症・パニック障害
情けない自分が申し訳ないという母親への罪悪感
ガキの頃からずっと続いてた孤独感
両親への憎悪
 
その重たさに耐えきれなくなって
ボクは感情を一つ一つ捨てていった。
 
 

麦わら物語 その八