あの日からもうすぐ八ヶ月がたつ
まだまだ日常は戻ってこない。表面上は何もかも終わったかのようであっても、ココロは薄皮一枚で
すぐにも血を吹く。
我が家は全壊だった。引っ越すことも出来ずに修理しながら暮らしている
この大きな災害の中で生きていることをかみ締めている
あの日からもうすぐ八ヶ月がたつ
まだまだ日常は戻ってこない。表面上は何もかも終わったかのようであっても、ココロは薄皮一枚で
すぐにも血を吹く。
我が家は全壊だった。引っ越すことも出来ずに修理しながら暮らしている
この大きな災害の中で生きていることをかみ締めている
未だ体験したことの無い災害
地震があって、其の後津波があって何もかも壊れてしまった。
沢山の人が死んでしまい、もう帰ってこない。誰がこれほどのことを考えただろうか。
わたしの生活も元には戻らないと思う。心の中に大きな痛みがある。
人は自分につながっている人が不幸せになったら幸せにはなれない。自分ひとり幸せであることは出来ない。
家族は死ななかった。沢山の物をなくしたけれど、家族の命は助かった。
それだけがすべて。
夫婦ってどうして分かり合えないんだろう
結婚するとき、これからこの人を知っていくんだと思った。わかったと思ったことはなかったけれど、何時か未知の人ではなくなっていった。それがある日エイリアンだと気がついた。
同じ感覚で生きてきたと思っていたのに、相手はまったく異なる感覚を持って生きてきたことを知った。なすべきことをなし、子供を育て、互いに支えあってきたけれど、実は共同作業は出来るが通い合う物がないままにわかったつもりで生きてきたことに気がついた。
さて、これからの人生を如何生きていったらよいのだろうか。相手は今までの関係に何の不足も感じていないから、もっぱら問題を感じているのはこちら側のこと。
別れて自分の人生をやり直すか。別れないで人生をやり直すのか。寂しさと孤独感をだましながら二人で生きつつ孤独であり続ける人生は、ごくありふれた物。珍しくもないことだから私はことさら自分画家愛想だとは思わない。
孤独であることは、むしろ人間の本質であるようなそんな気がしている。私たちはあたかも自分の幻想に恋をして幻想と結婚し、そのまま長い夢を見続け、ふと現実に目覚めたのだと思う。それは今までの生活を外見上何も変えないことになる。しかし、内面は大きな違いがある。もはや夢を見ることをやめるのだ。静かに透徹した目で自分の人生をまっすぐ見るのだから。
もう一度自分自身に問いかける。これでよいのか。
自分が生きていることが本当に嬉しいのか
家族が巣立ち、それぞれが1人の大人として悩みを抱え、もう親rとして何もしてやれない。出来るのは時々のお金の援助と、困ったときの相談相手くらい。それすら言葉が届くとは限らない。
職業柄、人のなう闇を聞く立場のあるが、私の悩みや気持ちは、向かう相手がいない。紙に向かって呟きをこぼすが、それで収まるほど単純なものではない。
人生は公平ではないなとしみじみ思う。私が人にすがらないのは、若いころ頼ろうとした人に手ひどく拒絶された体験があるから。子供時代にとことん日とは便りにはならないと身を持って知ったから、それ以来自分の手で何とかできることを心情に生きてきたように思う。悲しみはいつも傍らにあり、それが私のカラーになった。
痛みを持たないことが真実ではないと感じ、痛みがあることに信頼を置く生き方は身の程を知るという意味で私を守った。この感覚は人に寄りかからず、たとえ貧しくても自分の手の業で満ち足りることを知るということで、私に安定をもたらしてくれたのだと思う。
私は私なりにこのつつましい人生を、ありがたいものとして受けていくのだろう。私は生きていてよいのかとか生きていて楽しいのかとか考えない。それは厳然たる事実であって、判断の訴状に乗る物ではない。
毅然たれ。柔らかくあれ。哀れみを知る者であれ。命の始まりと終わりに立ち会う覚悟のできている生き方をしたい。
哀しいことを悲しみ
嬉しいことをそっとつぶやく。そんなことをまたここでやってゆきたいと思う。日々のささやかな思いを無記名で誰にともなくつぶやく場所が私にとっては必要なのだと思うのだ。
今日は戦争を考える日
平和しか知らないから 今日は 戦争について考える
私の中にあるエゴ 怒りの感情 押さえ込んでいる恨みつらみ
納得いかない思い 不安
その中で一番コントロールしにくいのが漠然とした将来への不安だ
明日のこと 明後日のことは何とか手の中にある
しかしやがて来る 老いや、、病気の自分は どう考えてみてもまったく対処できない
それが
国家的な規模であったなら この漠然とした見通しのなさは
他の国や、民族に向けてぶつけられたら 形が見えて 紛争につながってゆくのかもしれない
それはやがて拡大されていくかもしれない
何かが
とてつもなく不安で、やりきれないから あらかじめ 相手をたたいておく
相手から掠め取っておこう
そうして被害を受けた物がそのことに気がついたら正当な権利を主張するだろう
あやまちがあって、それを正すのに 暴力しかないとしたら いつか私たちは止まることのない力への階段を転げ落ちるだろう
言葉であったり、契約であったり、それを防ぎうるさまざまな手立てそのものが。正義出ないのならば、もはや力を押しとどめる理性は存在しなくなる
知性で、お互いの現実をしっかりと解決できなければ
人間はまたも滅びのリスト野ってしまうのだろう
何とか始まった新学期
今日まであれこれあったけれど学校を休むゆとりもなく、せっせと通っている。もっとも朝は親が送っていく。なぜか7時20分のバスに間に合わない。いくら必死に起こしても間に合わない。仕方が無いから学校まで送っていく。自力で行こうにもバスが無い。駅までいって乗り換えて学校に行くのだけれど、困ったものだ。結構道が混むので朝気軽に送ってゆくわけには行かない。早く慣れてくれいと思う。
学校で何が楽しいかというと
猫が一杯いること。いえではペット禁止なので外で猫をかわいがって、それが魅力でこの学校に通っている。嬉しくてたまらないらしい。私のデジカメを猫用に持っていってしまった。守衛の叔父さんに見つかりとこっぴどく怒られるから隠れてえさをやらねばならず、スリリングらしい。
もう三日もたった
大学生になって三日もたって、毎日いろんなことが起こっているらしい。
一日目、緊張のあまりお弁当食べられず。
二日目、お弁当忘れて断食
三日目、お弁当は持っていった。授業の教室を調べて欲しいとメールが来た。検索している間に何とか自分で解決した。ボケ・・・・
今日で連続、朝のバスに間に合わないから、父に車で送ってもらい、帰りだけバスで還ってきている。定期を買ったのだから使って欲しいと母は思う。
シラバス、科目登録、諸手続きいろいろ。まるで歌のようだ
♪大人の階段登る~♪
日差しが暖かくなって
もういくらなんでも冬タイヤは脱ごうかと夫はタイヤを持ってイエローハットに行った。みんな同じことを考えたらしく午後一杯かかるという・・・・あああ・・・あ
午後から訪問が一件入っている。間に合うのだろうか。あせっても仕方が無いからできることをやっておこう。
たまっている手紙の返事もあったな・・・
物事をきちんと整理して混乱しない生き方を考えよう
仕事をしていたとき、物事の整理のプロだった。頭の中が整理されていたってことだ。今この混乱は難だろうか。
整理されていないってことだ。
整然と整理されていればこそ、正しい判断を瞬時に下すことができる。
年だからではない。面倒くさがって手を抜いた体と思う。
自分を甘やかすのはやめようと思った。
私立大から電話が来た
入学手続きをしないのかという問い合わせだった。国立大に合格した旨を伝え辞退した。申し訳なさがあったけれど、仕方が無い。それにしても、滑り止めという言葉がいやだ。ご縁が無かったのだと思うほうがまだましだ。大学も受験生を選び、受験生も大学を選ぶ。シビアな関係だな。
これからの四年間。そこに行っただけの物をちゃんと手に入れて欲しいと思う。自分次第だ。もしも途中で投げ出したくなったら、自分にとって何が大切なのかを思い出して欲しい。
夢を見た
自分の船を水に浮かべる夢
どこに向かっているのか分からないのに
少しの不安も無い
風が吹いている
空が開けてくる
闇に光が見える
やがて夜が明けてゆく兆し
私の船は今港を離れる
心が震える
もう 失う物は無い
のんびり行こうよ
沢山の人の人生を見た。人間がまっとうに生きていくのは大変なことなのだと分かった。私にできることは自分の後に来る者たちに生きる喜びを伝えること。そのためには生きることがどんなに悲しみがあり、苦しくても、そこから先にきっと安らぎの時が来ることを知っていること。誰かが「これが正しいことだ」と詰め寄っても真実はひとつだけではないと知っていること。解決の方法もまたその人なりの物があると分かっていること。
答えが無いのが人生なのだから、裁いてはいけない。私にとっての正解が、あなたにとっての正しさとは限らない。それは一見無責任に見えるけれど、また限りなく自由に開放される。
自分のペースでのんびり行くことができるならばそれはそれで最高だ。人に合わせて自分を駆り立てる生き方が幸せとはいえない。
人間は
どうして生涯を限られた相手と送るのが幸せと思うのだろうか。経済的なことが大きいということは分かるけれど、それは愛情や気持ちの安定よりも優先される価値のあるものなのだろうか。
気持ちが離れたら、繁殖が終わったら後を抱え込むことなくパートナーも親子も別れてゆく生き方は人間にはなかなか難しいのだろうな。自分が後残り時間わずかなのに、毎日毎日重たい気持ちを抱えて、生きてゆくのは、死んでゆくのは、これでいいのだろうか。
せめて心のそこから笑い、ああ生きられてよかったと思う瞬間を毎日といわずとも、幾度かは体験し、自分の人生もまんざら捨てた物ではなかったねと、満足して終わる。そんな人生を願うことがそんなに罰当たりな物なのだろうか。振り返って、どこまで振り返っても金太郎飴みたいに、哀しい日々がd的たら、もういい加減いやだと思うのは当然ではないか。
私は何のために生きているのだろうか。そう思っても致し方ないではないのか。たとえ明日死ぬとしても、飛び出してみたい衝動に駆られる。
このごろ、こんなことを訴える女たちに出会う。この気持ち私の中にも色濃くあるよと思う。
飛び出してどこへ行くのか
家庭の主婦は行く当てなど無い。私の友人は新幹線に飛び乗って、どこでもいいから少し遠くで、見知らぬ土地に降りて駅前のホテルに泊まって、ひたすら眠ったそうだ。その人は年寄りを看取り、旅立ったすぐ後に検査入院だからと誰にも告げず入院しあっけなくそのまま亡くなってしまった。
私たち取り残された友人たちは、いったいあの人の人生は何だったのかと思った。百歳を越えた年寄りを世話し、お葬式を出し、ほとんど直後になくなってしまった人生。私たちは泣くになけなかった。
どうしたいのかとか、幸せなのかとか、聞くこと背無かった。ただ、黙々と母であり、嫁であった人生。歌うことが好きで聖歌隊で歌っているときが一番輝いていた。もっと何かやりたいことがあっただろう。言いたいことがあっただろう。行ってみたい所,食べてみたい物があっただろう.なんと,けなげな人生。無駄という物がひとかけらも無い人生。たまらない・・・・・・
もうそんなに長く生きていることは無いから
あと五年くらい。そこを自分のひとくくりと思って時間を何に使うのかを考えていこうと思う。
何をしなければならないのか、遣り残したことは無いのか。これだけはやらねばならないと思うことを絞ってゆこうと思う。持ち時間は短い。自由に考え、行動できる時間は短い。いつそれが奪われるかは、私たちには分からないのだから。季節の移り変わりで死んでゆく虫たちのほうがはるかに身の処し方を知っている。
書き方が分からなくなった
メンバー限定をクリックしてしまい、解除できない。
まあグダグダと書いた部分もあるのでこのままでよいかもしれない。
娘は第一志望の国立大に合格しました。やっと少し経済的に楽になると思うと嬉しいです。
これからもう少し自分らしさを大切にして生きようと思います
そのためにはどこかで毒を吐かねばならず
またグダグダここにはくかもしれません。人の毒気など何の足しにもならないのですが、紙と違っていっぱつで消せるのが嬉しい。第二に私のこんな小さな日記は誰いもみられてはいないという確信があるので、ひっそりと自分の為に加工と思っている。
読者がいないということはありがたいことです