藤子不二雄考 | 塩田泰造オフィシャルブログ「塩田泰造のムギムギデイズ」Powered by Ameba

藤子不二雄考

最近、藤子不二雄を読み返しています
 
そのきっかけは
自分は、今まで、青空、公園、更地…
極論すると、この世界のすべてを、
無意識に
藤子・F・不二雄先生のフィルターを
通してみていたのではないか?と、
感じることがあったからです
 
この感覚は、1970年代に子どもの時代を
過ごした人にはわりと共感してもらえる
現象なのではないか?とおもいます
 
それほどまでに
藤子・F・不二雄先生の作品は
少年(少女もそうかもしれない)特有の
純粋さ、幼稚さ、潔癖さ、好奇心、優しさ、
抱えきれなくなると投げ出すキャパの狭さ、
でも奥の奥のほうに持ってるなけなしの勇気、
が、等身大に投影され、
常に未来に向かっている眼差しと熱意は、
生涯に渡ってブレなかった
 
ドラえもん、エスパー魔美、キテレツ大百科…
子どもに支持を受けた代表作にとどまらず
大人向けの衝撃作
ミノタウロスの皿、定年退食、気楽に殺ろうよ…
においても、根っこの核心のようなものが
真っ直ぐ一気通貫しており
さぞ芯が強くて純粋なひとだったのだろうと
想像します
 
時は経ち
 
もしも、藤子・F・不二雄先生のように
湧き出でる好奇心と
少年時代の大志を胸に抱いたまま
まっすぐ成長できたならば、
いつのまにか、成長過程で
幼稚さや身勝手さは、徐々になりを潜め、
守りたい家族、仲間、友だちを幸せにする
素敵な大人になれたのかもしれません
 
だけど、現実は、そうはなれなかった
自分は、
夢見る少年ではいられなかった…
 
その時、不意に
 
もうひとり、友だちがいたことを、
 
ちょっと冴えなくて、ちょっと汚れてて
すぐ誘惑に負けて横道にそれるけど
またすぐこれじゃいけないと奮い立ち
照れ笑いしながら〝あすなろ〟を目指す
地味な友だちの存在を思い出したんです
 
その名は、藤子不二雄A先生。
 
藤子・F・不二雄先生のフィルターを
通してみる世界が眩しすぎて
だんだんその光に耐えられず
寝ぐらに帰って布団を引っかぶりたくなった
 
そんなかつての少年を
あたたかく、迎え入れてくれたのが
43年間に渡って、脈々と描かれた
『まんが道』シリーズなのでした
 
おれは、何を書いているのだろう?
 
まんが道、だいすきです
 
皆さま、佳いお年をお迎えください