適応障害奮闘記(仮)

適応障害奮闘記(仮)

2020年9月末に人生二度目の適応障害の診断を受けました。
ポッキリ折れてしまいそうな気持ちを整理して次に繋げていけるように、記録に残したいと思って立ち上げました。
(20201125追記)ちょっと元気戻ってきました。趣味だったものの話もできたらいいな。

Amebaでブログを始めよう!

2020/0106

 

こんばんは。今日はバイト先の連勤が終わったので早めにご飯とお風呂を済ませて、かなり余裕のある感じです。睡眠薬もバッチリ飲んでるのでこのブログを書き終える頃にはぐっすり眠ることができる気がします。

 

 

昨日は、思い切って前職の辛かった話をしましたが正直、1年目に適応障害と診断された時にはまだまだ環境も人も恵まれていたし、心の余裕もない中でもある方だったなと、今なら思います。

 

2年目で再発した頃は、環境も人も変わり心の余裕も本当にない感じでした。(橋の上から飛んで死ぬ・電車に飛び込むことも考えました)この頃の話はもう少し時間が経ってからの方がいいかなと思います。まだまだトラウマみたいになっているので。

 

 

さて、今日はタイトルの通り。仕事やめた前後で満身創痍だった私にたくさんの人たちが励ましの言葉をくれました。この時に気付かされたのは学校・バイト・部活のつながりって案外死んでないもんなんだなぁってことです。

 

正直、自分はあまり友達が多い方ではなかったし、社会人になってから滅多に連絡・会うこともなくなったので、私が弱ることで心配するのは2・3人だと思ってました。その予想とは裏腹に数十人の人たちがラインやインスタ、ツイッターでメッセージをくれたのは本当に驚いたし、心の底から嬉しかったです。

 

・現在シングルマザー中学時代の友達

・大学で同じゼミだった友達

・大学の部活の同期

・大学の部活の顧問の先生

・大学生時代のバイトの後輩

・大学時代のバイトの同期

・卒業してから連絡取ってなかった中学時代の友達

・高校時代の友達

 

思い出せるだけでも本当にたくさんの人が電話くれて、ゆっくり休んで。って言ってくれたり、甘いもの食べに行こうと連れ出してくれたり、仕事なんか関係なくただ喋ってくれたりと、仕事辞めたことにとてつもない罪悪感を抱いていた私に、休むことを許してくれた(休んでもいいと思わせてくれた)のはこれまでに会った友人たちでした。感謝しかありません。

 

 

 

仕事が辛いこと、もう死んでしまった方が楽なのでは。と思っていることなど、本来は人の目に触れさせたくないと思っていたのですが、この時ばかりはうちに止めるのが辛く、ツイッターのリア垢で延々と鬱ツイートをいていました(笑)まあ50000%これが引き金になって色んな方面から連絡をいただいたんだと思うのですが、総じてよかったと思います。

 

(病む前に)弱音を人に聞いてもらう!!!!!

 

 

これをモットーにこれからは生きていこうと思います。

 

 

今日もずいぶん長く書きました。

なんか、適当感が拭えないのでもっとしっかりした文書きたいです。

 

ここまで読んでくれた方ありがとうございました。おやすみなさい。

2021/0105

 

年明の投稿で今年こそは毎日!!って意気込んだものの1日目から頓挫しました(笑)

間が1日なのでノーカンということにしましょう・・・!

 

気持ちが乗らないときに無理に書くものでもないと思うので。

筆が連続で乗ればラッキーと思うことにします。

 

さて、ブログを始めてからあまり病んでる系の話題はしないことにしていた(思い出すのが辛かったのと気持ちがどうしても引っ張られてしまうため)のですが、今日は思い切って前職の辛かった時期のことを思い出して、書いてみようと思います。

 

うまく言葉にまとめられるかも、伝えられるかも分かりませんが、頑張ります。

 

 

 

前職で私は小中高生に勉強を教える塾の先生みたいなものをやっていました。

担当する科目は英語・国語・社会(学年問わず)入る授業は集団だったこともあり学期ごとの区切りになっていて、学期が変われば担当する科目や学年・クラスが変わる方式でした(大体の塾はそうなのかな?)

 

 

入社当初は始めて会う子達とうまくやっていけるのか、自分の授業を理解してくれるか、かなり不安だったのですが、日数、授業回数を重ねていくうちに子供たちとも打ち解け、世間話や好きなゲームやアイドルの話題で盛り上がったり、テスト直前の補習でやったところが実際に出た!!と言ってきてくれる子もいたりと、『楽しく・やりがいを感じる仕事だなあと』その時は感じていました。

 

 

 

この仕事がしんどい。と初めて感じたのは入社1年目の夏頃です。(終わりに1回目の適応障害になりました)入社する以前から、体力的にきついのは覚悟していて、休みも不定期なのも承知していました。大学生で部活・バイトで家には寝に帰るくらいだったので体力には自信があったりましたし、歳月が経てばそこは慣れると思っていました。

 

 

 

 

 

実際は体力はゴリゴリ削られ、その余波で頭の回転も悪くなり、常に寝不足、全身が鉛のように重い状態が何日も続きました。(明日教卓に立つのが怖くて夜泣するのも幾度とありました)その原因はおそらく下記3つかなと・・・

 

①労働時間が長い

基本的に昼から出勤のはずなのですが、授業の準備、前日までに残っている業務もしくは会議や研修があり、午前中出勤が多く帰りの時間は生徒の対応や教室清掃、明日の準備、他のデスク業務をやっているうちに日付が変わり、家に着くのはてっぺん超えた後。

平均労働時間は  12〜14時間  (改めて見ると信じられませんね。)

 

②家に帰っても休めない

てっぺん超えで帰宅した後は、ご飯、風呂、そして明日以降の授業準備に追われてました。

平均睡眠時間は3〜5時間。(準備が終わり切らない場合は起床時間も早くなっていってました)

 

③休日が少ない&あっても仕事のことを考える(仕事する)

2ヶ月に1回は1○連勤があったり、休日に半日出勤があったり物理的に休みが少ないのもありましたが、休日も休日で授業準備(次週分やテスト補習分、プリント作成)に追われ、気持ち的に休めてない状態でした。(働いていた時にはここは気づけませんでした)

 

 

上記の状況と少しの歪みが引き金になり、私は1年目の夏終わりの出勤中に過呼吸を起こし、救急車で運ばれる事態になりました。

 

 

 

後日行った精神科で適応障害と診断され第一次奮闘期が始まるわけです。

 

 

 

 

1年目の話をメインで書きましたが3つ挙げた状況は2年目以降も変わらないどころか一部は悪化するので、本当に自分と相性合わない仕事だったなあと今ならしみじみ思います。

 

長々書きましたが今回はこの辺で、読んでくださった方はありがとうございます。

(しばらくしたら修正もしくは削除するかもしれません) 

 

 

 

2021/0103

 

あけましておめでとうございます。

前の投稿からかなり間が空き、気づけばもう年が超えてしまってました。

今年は毎日何かしら投稿できたらいいなあ。と思います。

 

 

さて、大晦日から三ヶ日にかけて、バイトもなかったので

私は家族とテレビを見たりお雑煮を食べたりしていました。

 

気持ち的なところは、一時期よりもだいぶ落ち着いてきていて、

バイトがない日は頓服なしでも割と平気になりました!!

睡眠薬の方も、バイトがある日は飲まなくても寝られるように

なってきたので、こちらも好調です!!

 

 

就職に関してはもう少しゆっくり考えながら、

色々なバイトをやって経験を増やしてから考えようと思います。

このご時世なので焦っても仕方ないので・・・。

 

 

やりたいことも増えてきて!気持ち的に前向きになれそうな気がします!

がんばるぞーーーーーー!!

 

2020/1207(月)

 

今日は精神的に大分落ち着いていたので良い日でしたね。

 

あとは、珍しく早起きができたので、前から気になっていた映画を2本見てました。

 

『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』→面白かったです!

『イミテーション・ゲーム』→超面白かったです!

 

 

普段洋画を積極的に見る方ではないのですが、最近読んでる漫画がモリアーティ教授メインの話ってこともあり、シャーロックホームズの方はそこだけで見ること決めました(笑)

 

※以下ネタバレあります。まだ見たことない方は気をつけてください。

 

途中途中の推理パートも良かったですし、教授と探偵の自分以外の駒を使った駆け引きにはドキドキしましたね。ラストも原作に忠実で最後ユーモアもありで満足でした。

最後の舞台であるライヘンバッハの滝はスイスにあるそうで、いつか行ってみたいな。なんて思いつつ2作目に突入しました。

 

 

2つ目の方は、最近エニグマが海底で見つかったというタイムリーなニュースを見ていたので、おすすめに出てきた瞬間、「これは見なければ!」と思い視聴しました。(ブログ主は大学で近代ドイツ史を専攻していたのでww1やww2前後の歴史的ニュースはつい追ってしまうのです・・・)

 

これが、本当に面白くて!!

冒頭で主人公のアランがどうしても暗号解読のチームに入りたくて、あれやこれやと手回しするところや、中盤であまりにも解読マシンに没頭しすぎて周りから理解されず、人が離れていってしまうところなど、結構無茶なことをしたり、言ったりするのでひやひやしながら見ていましたが、終盤のところ(特に天才故に多くの秘密を抱えてしまい苦悩するところ)や一番最後のシーンは、ある意味ゾクゾクさせられましたし、悲しくて涙してしまうところもありました。

 

これが史実とは・・・。時代がもっと性に寛容であったなら彼は、もっとすごい偉業を成し遂げていたんじゃないかと思うと、歯痒くなるとこまありつつ、時代背景から考えると難しいよなぁと複雑な気持ちになりました。

 

それにしても、エニグマの解読を可能にした。これによって終戦が2年も短縮されたなんて本当にすごいですよね!!それを何百人の人たちがではなく1人の数学者によってなんて、想像しただけでもとんでもないことだと感じます。今度彼の伝記が上下巻であるようなので買って読んでみることにします。

 

 

たまには、映画を見るのもいいですね。また気になる映画があったら見てみようと思います!!

 

 

 

そんな感じで今日はここまでにします。

読んで下さった方、ありがとうございました。

2020/1206

 

気がついたら今年もあと1ヶ月。

時間の流れの速さにはびっくりしますね。

 

働いていた時には、1日の長さが一瞬で1ヶ月の長さが、やたらと長く感じていたのですが、仕事を辞めてからは、どちらもあっという間に感じられます。時間感覚の違いには精神的にどのような違いがあるのでしょうか・・・?今度そんな感じの本でも読んでみようかな。

 

 

 

適応障害になってから2ヶ月。

 

仕事を辞めてから1ヶ月。

 

 

特に仕事をやめてからの数週間は精神的に地獄のような期間だったように思います。

先日の定期検診で主治医の先生からも「最近、声にハリが出てきたね。どん底を知ってるから、本当に安心した。」って言われるくらいには、精神的に死んでたんだと思います。

 

 

思い返してもしんどかったな。と

 

上司たちの期待に応えられなかった自分

子供たちを無責任に放り出してしまった自分

周りからの心配を押しのけて続けた結果、結局辞めることになってしまった自分

メンタルを自分で維持できなかった自分

我慢できなかった自分

親に心配をかけてしまう、期待を裏切ってしまった自分

 

全てのことを自分の所為にして、責めて、後悔して、泣きまくってた1、2週間。

 

ご飯も食べられず、夜寝ることもできず、同じことを考えて、自分を傷つけて、涙を流す。

この、無限ループはかなり辛かったし、苦しかったですね。

 

 

 

今は、その、無限ループも落ち着いて、最近やり始めた「認知行動療法」の甲斐もあってか、自分を自分で傷つけることも少なくなってきたように思います。

 

今までで根付いてる自分自身の考え方を、すぐに転換するのは難しいですが、少しづつ前進しているのが分かって嬉しいです。

 

甘いものが以前のように美味しく食べられているのが何より幸せです!(笑)

最後に最近近所でお気に入りの喫茶店にあるワッフルの写真を載せて終わります。

 

 

ここまで長々と読んでいただいて、ありがとうございました。