by:チーズ
本文
「余命はもって1年でしょう。」
医師の残酷な宣告を、父は独りで聞いた。
まだ冬の寒さが残るある日。父から家族全員リビングに集まるよう言われた。空気が重く、深刻な話がはじまることをすぐに悟った。
それは突然のことだった。私が小学6年生のころ、母が病を患ったと知らされた。後から聞いた話だが、病気が見つかったときには、既に手遅れの状態。治療の施しようがなく、余命宣告をされていた。
「前向きな気持ちで治療をしたい」。父は、そんな母の気持ちを汲んで、余命宣告をされていることを母には告げなかった。また、母自身も知ろうとはしなかった。けれども、母は自分の体調がどんどん悪化していくので、そう長くないことはきっと察していただろうと、私は思う。
それでも、少しでも長く生きられるようにと母はマクロビオティック、いわゆる野菜中心の健康的なご飯を食べるという食事法を始めた。そのため、家族で外食をする際は野菜中心のご飯屋さん。また、小麦粉も極力控えていたので、蕎麦屋に行くことも少なくなかった。
しかし、当時の私は、蕎麦が苦手だった。
「えーっ、また蕎麦?もう飽きた。」
「蕎麦は嫌だ、うどんがいい。」
わがままを言い、母を困らせたこともあった。
ところが、そんなわがまますら言えない状況になった。母の症状はどんどん悪化し、ご飯を食べることも難しくなったのだ。毎日やせ細っていく母の姿を見るのは、とても辛かった。
まもなく自宅での闘病にも限界がきて、母は緩和ケア病棟に入院することになった。母と会える日も少なくなり、会話もなかなかできない日々。幼いながらに、私が代わってあげられたら、と思ったりもした。
それから数週間後、母は帰らぬ人となった。
もっと優しくすれば良かった。
わがままを言って困らせなければ良かった。
もっと早く異変に気づいてあげられていたら…。
時が戻ってほしい、そう何度も願った。
あれから8年。あの時、母はどんな思いでいたのだろうか。大学生になった私は、ふとした瞬間に考えることがある。
私は、あの頃苦手だった蕎麦も美味しく食べられるようになった。ただ私にとって蕎麦は、当時の苦い記憶が蘇る食べ物である。何気ない出来事ではあったが、私にとっては何故かあの時の光景が頭から離れない。それは、母が病気と闘っていたときに、わがままを言ってしまって困らせてしまったという苦い記憶-もっと母に寄り添ってあげれば良かったという後悔があるからだ。
しかし、それと同時に、母と過ごした楽しい思い出でもある。私が母との記憶で一番に鮮明に覚えているのは、家族みんなで食卓を囲んだこと。食事は毎日するものだからこそ、あの光景が色濃く記憶に残っているのだと思う。
また、もう一つ母に言われたことを思い出す。それは、
「小学校の卒業式まで持たないかもしれない……。本当にごめんね。成人式の振袖姿も見たかったなぁ…。」
そう泣きながら言われたことを。
20歳になった私は、数日前に成人式を終えたばかりだ。振袖は、母が好きだった赤色のものを選んだ。
私の晴れ姿を、空から見ていてくれただろうか。
母に成長した証、感謝を伝えられただろうか。
そんなことを思いながら、空を見上げてみる。
明日は蕎麦を食べようかな。
作者の言葉
食べ物を通して、思い浮かぶ人や思い出はありますか。私にとっては、蕎麦が亡き母を思い浮かべる食べ物です。蕎麦を食べるとき、母との楽しかった思い出や辛い記憶、いろいろな感情が蘇ります。
母を亡くした当時は、喪失感に襲われ泣いてばかりいました。そんなときに、
「もうこれ以上辛いことはないからね、これから頑張ってね。」
と看護師さんに言われたことを思い出します。きっと母も空から見守ってくれている、そう思いながら頑張ってきました。
出会いがあれば、別れは必ずおとずれます。大切な人と過ごすことのできる、今この時間を大切にしてほしいです。
また、このエッセイが、何か大切な思い出を思い出すきっかけになればいいなと思います。