こんばんは!なかじまそらです。
茨城の教育委員さんの発言がマスコミで取り上げられ
ショックを受けております。
障がい児が生まれる前にわかれば
数を減らすことができる。
障がい児を育てるのはたいへんだから
教員の予算もたいへんだと。

確かに、当事者の立場で、生前診断で障がいを持つ可能性があるとき
産むか産まないかの選択をするのは当事者の権利だと思います。
産まない選択をすることを禁止する法律がない限り、
決めるのは当事者夫婦であるとは思います。

産まない選択をすることを非難するつもりはありません。
なぜなら、産まないことを選択することで受ける
精神的なダメージは想像できないから。

なかじまそらは24週の妊婦健診で息子の病気の胎児診断を受けました。
この時、息子が病気の後遺症で障がいが残ることを覚悟したうえで
出産しました。
私は24週までがんばってくれた孝行息子に心から感謝しました。
私にとって最も残酷な選択をしなくていいようにがんばってくれたから
障がいを理由に産むことをあきらめたくない理由がありました。

なかじまそらには3つ年上の双子の姉がいました。
なぜ過去形かというと、今は姉は一人だけだからです。
双子の出産は難産の上、最初に生まれた姉のほうは
重い障害が残ってしまいました。
姉と一緒に暮らした記憶はほとんどありません。
福祉サービスがほとんどない地域で
3歳で遠く離れた施設に入所させられ、転々とした後
15歳で遠く離れた施設で病気で亡くなってしまったからです。
当時幼かった私にも、重い障害を持つ姉の存在は
家族にとって負担になっていることは感じていました。
姉の危篤の知らせを受けた時、
このまま、姉が亡くなればきっと楽になれるんだろうな
子どもながらに思いました。
しかし、本当に姉が亡くなったと知ったとき
取り返しのつかないことをしたような気持ちになりました。
さらに、「死んで親孝行をした」身内の言葉を聞いたとき
家族の犠牲になって、遠く離れた施設に
入所させられた姉の人生はいったいなんだったんだろう!
姉への贖罪の気持ちもあって
赦しを請いたい気持ちで
姉の生きた時間が無駄ではなかったことを証明したいと思うようになりました。
のちに福祉の道に進むことを決意し
当時はめずらしかった通所施設で姉と同じような障害のある人たちのもとで
働き始めました。
7年間、施設で働く中で、姉への贖罪の気持ちは
利用者さんとの出会いをとおし、感謝の気持ちに変わりました。
その後、Uターンして老人関係の相談業務につきましたが
結婚6年目に授かった息子が障がい児になるかもしれないと覚悟し、
それでも出産に臨むことができたのは
姉の存在があったからでした。

私はずっと、障がいがある人は社会に必要な人であることを
証明することが自分の使命だと思ってきましたが、
でも今はそんな必要はないと思うようになりました。
人がそこにいるだけですでに、意味があるんだと思えるようになったからです。

人権教育をかかげるのなら
理屈をつけずに、障がいがあろうがなかろうが
人が生まれながらにして持っている権利があることを忘れないでほしいです。

こんな風に考える人間もいるってこと!