2019/1/7から、静岡てんかんセンターに薬の調整のために3カ月弱入院しました。
備忘録として記録します。


この病院では、週に二回療育を受ける事ができました。

ちなみに当時、孫娘は1才半健診で療育を勧められて、
それから週に一度、地元の発達センターの、発達が多少気になる子供の為のサークル的なクラスに通っていました。

ただ一昨年の急性脳症で、右半身麻痺と重度の知的障害の後遺症が残ってしまった孫娘に合うクラスは全くなく、
施設長や担任との何回もの話し合いの末、脳症から10カ月後に、一つ下の学年の同じクラスに通い始めましたが、

身体が飛び抜けて大きいのに、その療育は全く孫娘に合っておらず、
活動に全く興味のもてない孫娘と、それに付き添う私にも、
週に一度の2時間半あまりの療育は苦痛の時間でしかありませんでした。

てんかんセンターの療育は個人療育で、先生が孫娘の興味あることを見つけては、ひたすら何度も何度も飽きるまで付き合ってくれました。

そして、一つできると大きな拍手と大きな声と、すごい笑顔で「できたー」と、ほめてくれるので、

ふだんは、周りに気をとられてどんどん興味が他に移っていき、
やる気や集中力という言葉から大変遠い所にいる孫娘が、
もう一回、もう一回と根気よく続けるので、とても驚きました。

そして、それまではじっと座っていられないので、座るべき時にはベルトで椅子に固定して座らせられていたのに、
普通の椅子に30分以上も黙って座り、集中して続けることができるようになりました。

何度目かの療育の時間に新版K式の発達検査を受け、
それまで積み木は口に入れるか舐めるか、投げる物でしかなかったのに、
ここで初めて7個も積み上げ、
型はめも型を口に持って行くことなく、上手にはめることができ、発達年齢が一気に上がりました。
退院直前に再度受けた検査では、この時できなかった凹凸のない型の上に、同じ形の図形を置くことができて本当に驚きました。

光の部屋(スヌーズレンの部屋)では、
真っ暗な部屋に色を変えながら泡の出る水の入った筒(バブル・ユニット)に興味を持ち、
筒に耳をつけてブクブクという音を聞いていました。

壁や床に映るミラーボールのプロジェクターから出るクルクル回る光には、引っ張られるように、光が回る方に体が傾いていましたが、光にも模様にも平気な孫娘は光の丸をふらつきながら追いかけていました。

途中からは集団療育が始まり、二人以上での活動でしたが、相変わらずマイペースな孫娘は個別の時と変わらず、自分がやりたいトランポリンを何度も何度もせがみました。

退院する頃には、床に貼ってある靴のマークを見たり、
私が「靴!」と言ったら、
その場所で靴を脱いだり、履いたりするということを理解し、
左足はブンブン足を振って靴を脱ぎ、 
麻痺のある右足は、左手で最初は爪先を持って引っ張っていましたが、
何度か教えると、かかとを引っ張って脱ぐことができるようになりました。

薬の調整により、最終的には新しくディアコミットを始めましたが、
イーケプラをゼロに、マイスタンとデパケンを2/3まで減らしたので、
孫娘の知的の部分に薬の副作用がかなり影響していたとは思いますが、
初めて個人療育の成果を目の当たりにして、

退院後の新年度から、地元で通園することになっている療育園の肢体の集団のクラスで、
果たして孫娘に合った療育が受けられるのか?
孫娘が毎日楽しく通えるのか?
私の中で、かえって不安要素が大きくなってしまい、退院後の心配事がまた一つ増えました。