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埔里
台湾に生きる日本
ここが田舎だからか、今日が日曜日だからか
お金がないのに、すべてのATMでお金が下せない私。
温泉に行くつもりで早起きしたのに(お金がないので)いきなりやることがなくなってしまった。
そいやサパでも欧米人がカードが使えなくて、困ってたな~。
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ぶらぶら街歩きをして、1時間25台湾ドルのネットカフェに行って、20台湾ドルの肉ご飯を食べて、時間をつぶす。
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ルーローハンていう肉ご飯。80円くらいで、めっっっちゃくちゃ美味い!
すると、なにやら遠くからカラオケの歌声が聞こえてくる。
見ると、公園で、お年寄り達がカラオケをやっていた。
近づいてみて、よーく聞いてみると・・・
「こーれーでおよーしよー。
そんなに強くないーのにー♪」
ゆゆ、裕次郎の歌???
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それは、石原ゆうたろう!
集まってる老人方は、70〜80代くらいの人ばっかり。
ということは、子供時代は日本人として育ってきた世代。
ほかにも、次郎長がどうしたとか男のブルースとか北島三郎とか、日本演歌のオンパレード!
あんまり見てて楽しいので、私は近くに座ってずっと聞いていた。
すると、ずっと私を気にしていたおばさまがたまりかねたように話しかけてきた。
話しかけられたのが中国語だったので、カタコトの中国語で「すいません。日本人なので分かりません。」と言ったら
「あらーーーっ!(日本語)」
って笑ってびっくりして
みんなに「ちょっと!日本人の子だよ!」って言いに行った(笑)。
みなさんがそれぞれの歌の合間に私のところにやってきて、いろいろ日本語で話をしてくれる。
1人で来たというと、ほんとにびっくりされて、これで2年近く1人で旅行などといったら憤死されそうな勢いで心配された。
「こっちへいらっしゃい!」って席を空けてくれた。
お茶をくれたり、みんなを一人ずつ紹介してくれたり。
話を聞いたら、みなさん若く見えるが、実は80代の方々だそう!
ということは、終戦時は20歳くらい?
隣に座ったおじいちゃんは、84歳。
日本兵として出兵もして、札幌に親友がいるそうだ。
「ほんとにいい時代だった。戦争があるまでは、ほんとにいい時代だった。いろいろあったがもう昔のことだよ。」って、目が赤くなってきた。
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やっぱりというか、歌えとすすめられる。
歌本の目次を見ても、本格的な演歌ばかりで歌えそうなものがない、と、そこへ目に留まったのは「リンゴの唄」。
戦後のヒット曲でよく母が歌っていた。
これならいけるかも。
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立ち上がってマイクを渡される。
伴奏が始まり、私がマイクを持つと、みなさんすっごいエキサイト!
ほとんどの方が立ち上がって(笑)、手拍子をしてくれる。
あー、プレッシャー。
「あーかいーリンゴーに、くちびーるよーせーてー♪」
台湾の公園に響く私の歌声。早く終わってくれ~!
歌い終わると、またまた怒涛の拍手!
みなさんが、かわるがわる隣に座ってきて、いろいろ話してくれる。
午後5時になって、宴は終了。
みんなが片づけを始める。
「また、いらっしゃい。
一人は寂しいわよ。恐いわよ。
今度は誰かと一緒にね。
私達は毎週、ここにいるから。」
胸がキューーーンとする。
みなさんと握手をし、お別れ。
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日本が普通に生きてる台湾。
残金をはたいた晩ご飯を食べていたら、食堂に普通に「瞳をとじて(平井堅)」が流れてきた。
最後に埔里に、ほんとに来てよかった。