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サパ
行ってきました、郊外の村、ライチャイとタヴァン。
サパのホテルから日帰りトレッキングツアー。
昼ごはんつきで、10ドルなんでまあ安くていい。
バックハーは、日曜マーケットに行かない限り、見所はないらしい。
この、ライチャイとタヴァンには、見事な美しい棚田があるそうなので、それも見てみたかったし、モン族とザオ族の村にも寄る。
夜には、ハノイ行きの列車も予約済みなので、それに間に合うように(シャワーの時間も入れてある!)帰ってくれるらしい。
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夕べは、夕方から湯船をひっくり返したようなどしゃぶりが延々続いたのでどうなることかと思ったが、たまには「晴れ女」になるもので、朝からピーカン!おてんと様、ありがとう!
今夜は(列車に乗ってる間は)降ってもいいからね!
私ら参加者5人のガイドは、ツーちゃんってモン族の少女。
英語がペラペラで、日本語、韓国語、中国語やスペイン語、フランス語などもちょっとできる天才少女だ。
可愛いし、性格はいいしで、アメリカ人女性は「私がもっと年でお金があったら絶対に養女にしたい!」ってくらいの惚れ込みよう。
ツー
「トレッキング?イージー!イージー!」って、宿の男の子は言ってたが、けっこうキツイ!
もう1人のアメリカ人の女の子は、ぜんそくなのか「ヒュー!ヒュー!ゼ~ゼ~!」って言ってて、かなり心配だった。
私も結構しんどかったのだが、そんな中、現地の女の子やおばあちゃんが(慣れてるのであろう)、ピョンピョン飛び跳ねながら私らの後をついてきて、商魂たくましく物を売ってくる。
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昼ご飯
途中では、滝にも寄る。
知ってたら水着でも着てきたところだが、他の欧米人はさっそく「ひゃっほ~!」ってバンバン飛び込んでた。
それを笑いながら見てるモン族の少女達。
ベトナム人は、ほんと美少女が多い。
可愛いというより「可憐」。
トレッキングが終わり、サパへ戻るバンを待っていた私達。
そこへ、ある物売りの少女が来たので、私はいつものように「シンローイ、ホン~(ごめんね、いらないよ)」って笑顔で言った。
すると彼女はあまりやる気がなかったのか、私の隣に座り、話しはじめた。
カタコトの英語で「お母さんの名前は?お父さんの名前は?」ってきいてきたので、「お母さんは○○だよ。お父さんは△△。もう死んじゃったけどね。」って言ったら、彼女が私の手を握ってきた!
「私のお父さんも死んじゃった・・・!」
なんか、同じ境遇でも私と彼女とでは全然ことの重大さが違う気がする。
わずかの後ろめたさを持ってしまった私。
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バンはなかなか来ない。
少女とは30分ちかくも話したと思う。
「あなたは美人だし、英語も出来るから将来いい仕事に就けるよ。」と私。
彼女は、「そう思いたい。大人になったらこの村を出て外国に行くの。そして、いい仕事をして、家族にお金をたくさん送ってあげる。それが私の夢。」
弟と妹が6人いるそうだ。
すっごくいじらしくて胸がキューッとなり、ミサンガを2本買った。
なんかほんとベトナムって昭和の日本みたいだなあ・・・。
迎えのバンが来て、私達は乗り込み走り出す。
「ありがとう~!ムギ~!」って大きく手を振る彼女を見たとき、なんか胸がキューーンとして、「神様がもしいるなら私なんかおいといて彼女こそ幸せにしてあげて!!!」とほんとうに思った。
ホテルには3時ごろ着いた。
部屋はチェックアウトしてしまったので、オーナー家族の部屋のシャワーを借りる。
一緒にトレッキングしたニュージーランド人の男2人組と、レストランでプチ打ち上げ。
と、見ると2人は2人で1本のビールを分け合っている!
先進国人なのになぜ?と思ったら、なんと彼ら。
現金をすべてひったくりにあって失くし、しかもクレジットカードやキャッシュカードがATMでことごとく受付拒否にあい、わずかの現金で、都会ハノイまでもたせているのだそう。
クレジットカードを、「金はあるのに!(怒)」って床にたたきつけていたよ(笑)。
今夜の列車(一緒の列車)の切符は確保できているそうだ。
彼は、「たしか列車はディナー付のはずだから、それまでガマンするよ。楽しみ~♪」って言ってた。
あとで宿のスタッフに聞いたら、ついてくるのは水のボトルと小さいパン一個だそうだ。
・・・・彼らには言わないでおこう。
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日本語の雰囲気だけのクッキー