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2006/5/30
バラナシ
あの世とこの世の境目
その花を売ってる少女が花を売りにきたのだが、「今日はお金持ってないから明日買うね。」って言ったら(アクションで会話)、ニッコリ笑って私の隣に座り、ずっとお祈りの炎を眺めていた。
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ガートの中には、ヒンドゥー教徒の火葬場になっているマニカルニカーガートのようなガートもある。
この火葬場ガート、マニカルニカーガートであるが、ここは火葬見学の旅行者を狙った小銭稼ぎの輩の溜まり場になっているそうだ。
例えば、火葬を見てたら見張りのおじーさんが「マキ代200ルピーを払え!」って追いかけて来たり、遺族のふりをして金を要求したり、勝手に説明を始めガイド料を要求したり、断ると「マフィアの知り合いがいる。」とかいって脅されたりするそうだ。おー、こわ!
なので、ここにはリクシャのB君と一緒に行ってもらった。
インド人と一緒のせいか、全然言い寄られなかった。
ここから離れた上流にある、宿の近くの「Lali ガート」っていうところにも火葬場があって、ここは見てても誰にも何も言われない。
そこにはふたつのご遺体があって、私が着いたときにはまさに火をつける瞬間であった。
火葬という点では日本と同じではあるけど、なんか違う。
こうやって希望の聖地で家族に囲まれ焼かれるっていうのは、ヒンドゥー教徒にとっては本望なんだろうなあ。
長い時間が過ぎ、腹の部分から燃え尽き、遺体がV字型に折れ、足が天を向く。
それを男が棒で火の中に押し込む。
考えてみれば、ふだん他人の死体を見ることなんてない。
父や祖母の葬儀の時くらいか。
すごく不思議な感じ。
恐くない。そこにあるのは死体なのに。
少し前までは私と同じように生きてたこの人。
この人の魂は今どこにいるんだろう。
自分の火葬を満足げに眺めているのであろうか。
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説明してくれた通りすがりのおじいさんによれば、火葬のための火は、この数千年灯され続けている聖火からつけられるそうだ。
また、マニカルニカーがヒンドゥー教徒だけに限られているのに比べ、ここは宗教は関係ないとのことで、外国人の遺体も良く焼かれるそう。
数年前、ガンガーを泳いで渡ろうとした日本人の大学生2人が亡くなったときも、ここで葬られたそうである。
夕方までずっと見てたので、帰りが遅くなってしまった。
すっかり暗い。
牛の糞を踏まないように、ライターについてる電灯で足元を確かめながら、早足で路地を歩いているときだ。
「ドスッ!」
何かにぶつかった。
「ンモ~(訳:どこ見てんだよ)!」
うううう、牛だ!牛にぶつかってしまったのだ!
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狭い路地を牛と人がゆきかうバラナシ
目が合う私と牛。
「たけしの元気が出るテレビ」の「暗闇でサンコン」を思いだす。
長い一生で、暗闇でノラ牛に激突なんてそうそうあることではない。
牛に軽く追いかけられながら恐怖で半泣き。
すると途中で他の牛の溜まり場があって、仲間を見つけたらしく立ち話を始めた。ああ、助かった~!
宿に着くまでずっと心臓バクバクしてた。