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2006/4/3

クラクフ

私の心に残る映画のひとつ、「ライフ・イズ・ビューティフル」。

みなさんもご存知だろうし、ご覧になってあのラストシーンに号泣された方も多いのでは。

 

 

 
その舞台の、アウシュビッツ強制収容所
(ほんとの名前は「オフィチエンシム」。占領時代、ドイツ軍が勝手に「アウシュビッツ」と名前を言いやすいように変えた。)
20世紀最大の悲劇が起きた場所。
一日めいっぱい見たいので、朝6時におきてアウシュビッツを目指す。
 
 

宿のフロントで教えてもらったバス乗り場から、バンに乗って1時間半。
アウシュビッツの入り口に着いた。(バンのほうがここまで来てくれるから得。列車で来ると着くオフィシエンチム駅からは結構遠い。)

天気はどんよりしてて時々雨も降る。
他のゆるい観光地ならともかく
 
今日はなぜか晴天でなくて良かったと思った。

 

 

なぜだろう。なんかすごい緊張する・・・。

 


入る前にタバコを一本吸って、気分を落ち着けてから入る。(入場無料)
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書いてある皮肉な門をくぐる。

 


 

他の観光客がたくさん、この門の下で、ピースサインで写真を撮っていたのにちょっとびっくり。

絞首台に乗って写真を撮ってた欧米人、恐いものはないのかい?

 


絞首台。終戦後、アウシュビッツの所長がここで絞首刑になった。

 


インフォメーションセンターで買った日本語ガイドブックを読んではじめて知ったのだが、このホロコーストはユダヤ人だけではなく

ポーランド人、反ナチス、ジプシー、同性愛者、ソ連軍の捕虜なども含まれ、ユダヤ人に関してはドイツだけでなく、ヨーロッパ全土(北はノルウェーから南はギリシャ、ブルガリアまで)から捕らえられたそうだ。

1940年から5年の間、ソ連軍によって解放されるまでに約150万人の命が無造作に扱われた。

 

 

 

 

人々から奪ったおびただしい数のメガネや靴、義足や義手、トランクなどが展示されてて、特に数トンはあろうかと思われる女性の髪の毛は、おさげのまま切ってあるものもあり、その髪で作った織物などもある。人間の髪の布!

 


・・・人権など1ミリも感じられない。

「ここまでするかー?」

 

 

靴も、赤ちゃんや子供用のものが目立ち、もう全員この世にいないんだと思うと・・・。
人はここまで人に対して残虐になれるのか。

 

 


 

 

「死のブロック」と呼ばれていた第11ブロックには、人をいかに苦しめて殺すか考えられたとしか思えない拷問室がいくつか公開されている。
餓えさせる「飢餓室」や、労働の後一晩立ちっぱなしにさせる「立ち牢」等。あのガス室の中にも入ることが出来る。

同じ建物に焼却炉もある。

ここで焼かれた人間の灰は肥料として使われていたそうだ。肥料…。

 

 




私は、人はどんな生き方をしたとしても、死ぬ瞬間の想いが、その後の魂の行方を決めると思っている。

 

例えば、どんなに幸せな人生だったとしても死ぬ瞬間、無念な殺され方をして、苦しみながら死んだ場合、その魂は浮かばれず、その場に留まるのではないか、などと昔から考えている。

 

なので、ここには殺された人たちの数の分だけ、無念の魂がさまよっているように思えてならない。

 

 


日常的に銃殺が行われていた「死の壁」。部屋から見えないように板が貼ってある。

 

 

修学旅行なのか、若者の団体が多い。

彼らは大体はレジャー気分で楽しそうに見えたのだが、第6ブロックに展示されている子供達の写真や服を見た女子高生が嗚咽をもらし、大泣きしはじめ、先生がなだめていた。
私もこの部屋だけは涙が溢れ、しばらくそこから動けなかった、、子供だよ・・・。

 

 


 

 

ここオシフィエンチムには、アウシュビッツともうひとつ第2アウシュビッツと呼ばれるビルケナウってところがある。

ふたつは結構離れてるので連絡バスが出ているのだが、これが何と1時間に1本という便利の悪さ。

私が乗り場に行ったらちょうど出たところで、1時間待つよりは歩いたほうがいいと30分くらいかけて歩いた。
しかし、アウシュビッツを回ってすでに足が疲れてたので、かなりきつかった~。

 

 

↑ビルケナウ

 

 

トップの写真は、(だまして連れてきた)ユダヤ人達を乗せた列車が到着する引込み線。
「白い巨塔」で唐沢、いや財前が自分の命に向き合い立ち尽くしていたシーンの場所である。

 

でも私はやっぱり田宮版!

 

 

ユダヤ人達を乗せた列車はここに到着し、ナチスによって選別され、労働ができないと判断された者は記録も取られず、そのままガス室へ送られた。
その環境も向こうに比べて劣悪だったことも、建物の中に入って一目見て分かる。

 



ここビルケナウは、アウシュビッツの数倍はあろうかと思われる広大な収容所がそのまま残されていて、展示の類はなく、ただ淡々とその姿をさらしている。
アウシュビッツとは違う種類の場所だ。
見ると、ユダヤ人の団体がやってきて、線路の上で記念写真を撮っていた。

 



イスラエルに行って、「昔、酷い目にあったからって、(パレスチナ人に対して)そこまでしていいのか?」って思ってたけど

ここに来てしまうと、自分の中にダブルスタンダードが生まれるのがわかる。

 

 

 

ああ、もう、何も言うまい。

言えまい。私ごときが。
あまりにも残酷すぎて暗すぎて重すぎる人類の悲劇の現場であった。

 

 

旧市街の中央広場にある聖マリア聖堂。入場料30ズロチをケチって入らなかったことを大後悔中。

ヨーロッパ一美しいそうです。みなさんは入りましょう。

しかもこの日、ローマ法王が塔から姿を現すということで待ち構える人々。待機時間が長すぎてくじけた私は帰りました。

ローマ法王なんて拝めることないのに、、、もったいなーい!

 

 

 

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