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サラエボ
すいません。タイトル、ちゃんと「ボスニア・ヘルツェゴビナ」って書きたいんですが、それ書くと文字数多すぎてタイトル終わっちゃうんで、ボスニアと略させていただきます。ごめんなさい。
さて、ソフィアから、サラエボへ行くにはユーゴスラビアのニシェってとこを経由する。
ソフィアをたって4時間くらいでニシェに着いたのだが、時計を見るとバス乗換えで後30分くらいで発車みたいなんで、寒いけどそのままベンチで座って待っていた。
インフォメーションに行ったら、やっぱり!
時差が1時間あったよ!(出た!)
なので、待つのは30分ではなく1時間30分も待つのだ!
こんな寒い中、外なんていられない。
客なんだし、ターミナルの建物に絶対入れるはずだと思って聞いたら、やっぱりチケットにハンコ押してもらって入るらしい。
とりあえず持っていこうと思って作ったオニギリがホントに役に立った。1時間くらいしかいないのに、ユーゴのお金なんか両替したくないのだ。めんどくさいから。
なのに~!!
やっと出発の時間が来て、バスに荷物を預けようとしたら何と!
「荷物代2マルカ。」
なんで同じバス会社なのに?
ソフィア発はいらなかったのに?
せっかくユーロしか持ってないようにしてたのに~。
しっぶしぶ、5ユーロ札で払って、ユーゴのお金でお釣りをもらうハメに。がっくし。
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1回目の「ハー」
夜行バスでは一番後ろでひとりゆっくりできたので、飛んでいく夜景を見ながら例の事でたそがれ中。
↓前記事参照
なのに、ほんと場所柄かパスポートコントロールが多くて、おちおち寝てもたそがれてもいられなかったよ。
ほとんど寝ずに早朝サラエボ到着。
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ボスニアには日本のODAで送られたバスがたくさん走ってる!ちゃんとJAPANって書いてあるね!
座席が柔らかくて、「高級車みたい」って好評らしい。
ここからはほんとにガイドブックがないとワケ訳わかんないと思う。
私もコピーしておいてよかった~。
なんでかというと、ボスニアという国は民族紛争の名残で街が分断されていて、行き来がこんな感じ。
①ユーゴ側からのバスはセルビア人地区に止まり、そこで降ろされる。
②私みたいに次クロアチアなどの欧州に行く場合は、ボスニア人地区のバスターミナルに行かなければならないので境界線まで歩き。
③境界線からは路面電車に乗って30分くらいでボスニア人地区のバスターミナルを目指す。
ともあれ、道を聞いた人に「あっち」って言われたほうへ歩いていく。
ガイドブックには「絶対、道以外は(地雷除去が終わってない場合がある)歩かないこと。」って書いてあるので緊張して歩く。
しばらくしたら広場に路面電車が止まっていたので、それに乗って、なんとかボスニア側のバスターミナルへ行く。
まだ朝8時なんで、午前中に観光を終えて昼過ぎにドブロヴニク行きのバスに乗れば夜には着くだろう。
時刻表を見ると、7:15、14:30、22:30の3つがある!
さっそく、14:30のを買おうとしたら「ないよ!」ってプンとされた。
え、じゃあ、よよ夜のは?
って聞いたら「ないってば!」ってかんじ。
かんじわるーーー!!!
仮にもユーロラインのオフィスのクセに。
とにかくこの時期は朝一番のしか動いてないそうだ。
そうかい、そうかい。
うそくさいけど、は~もういいわ・・・。
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二回目の「ハー」
泊まる予定じゃなかったから全然チェックして無かったよ、ホテル。
とにかく明日の朝のチケットを買って、近くのカフェでお茶を飲む。
落ち着け、私。
「まあ、いいや。後で考えよう。」と、荷物だけ駅に預けて観光に出た。
悲しい内戦の爪痕
上記の、地区別にバスターミナルがあるって話であるが、ここサラエボでは3民族の住み分けが行われているそうだ。
その3民族とは・・・
(1)セルビア人(セルビア正教)
(2)クロアチア人(カトリック教)
(3)ボスニア人(ムスリム人ともいうらしい。)
この(3)だが、これはイスラムに改宗したセルビア人やクロアチア人であって、3民族は見かけも言葉もまったく同じ。
宗教だけが違ってて、6つの共和国から成っていた旧ユーゴスラビアからの独立した際、それぞれの民族が主導権を握ろうとした戦争の影響でこういう結果になっている。
(ユーゴへ残りたいセルビア人VS独立したいクロアチア人&ムスリム人)
元々、ボスニアは多民族が平和に暮らしており、異教徒同士の結婚も珍しくなく、世界でまれに見るコスモポリタンだったらしい。
なので、この民族紛争では、親戚や兄弟を殺さなければならなかったそうだ(なんか書くのもつらい・・・)。
そのつらい戦争はつい最近、1995年まで3年ほど続いていた。
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通称「スナイパー(狙撃兵)」通り。紛争中、サラエボを包囲したセルビア人によって、この通りで、動くものはすべて高層ビルから撃たれていた。
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オスロボジェーネ新聞社。今はすっかり修復されているが、最前線だったここは建物は崩れ落ちたが地下の核シェルターで記者達は命の危険にさらされながらも、紛争中1日も休むことなく新聞を発行し続けた。
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郊外は弾痕の残った建物だらけ
さて、ここサラエボにはもう一つ、いわくつきの場所がある。
それが、ここ。ラティンスキー橋。
この橋のふもとが、第1次世界大戦の勃発した場所である。
当時、支配していたオーストリア&ハンガリーの公大使夫妻を、セルビア人青年がこの場所で暗殺。
オーストリア&ハンガリーは、セルビアに宣戦布告。
これが大戦のきっかけとなったそうだ。
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この橋のふもとがサラエボ事件の場所
なんかだんだんブルーな気分になって、感傷的になってきた。
・・・ああ~あ、ソフィア帰りたい…。
まだ帰れる距離なんだよな~・・・。
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3回目の「ハー」
そして、そんなセンチメンタルな私が今夜、
衝撃的な一夜を過ごすことになるとは
この時の私には想像もついていなかった。
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♪ムッギはもう~シジュウスギ~だ~からあ~~
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