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2006/2/9

ラマラ

パレスチナ自治区ラマラに着いたら、タクシーで議長附へ。
(「アラファトの墓に来た。」と言えばわかる。)

 


パレスチナ議長附
 

★アラファト議長とは

2004年に死去(暗殺の噂も)。イスラエルに占領されたパレスチナの独立のための政治組織(PLO=パレスチナ解放機構)をつくり、1964年から1980年代にかけて抵抗運動(テロ活動とも言う)に尽力。またイスラエルからの独立を宣言するなど、政治組織の長として活躍。反面、身内の人間を政府の要職につけたり、汚職の噂も絶えなかった。
1994年にはノーベル平和賞を受賞。パレスチナ人のカリスマ。(Wikiより)

 

入り口には、銃を抱えたパレスチナ兵士がいて、入れてくれた。

(あ!お花買ってくればよかった!)

 

一緒に写真撮ってくれました!

 


・・・が!忘れてた!

 


私は雨女でもあるが、工事中女でもあることを。
そう。アラファトさんの御墓は・・・

 

現在建設中

 

でした…。

 

 

え~!フツー二度と来れないよ!こんなところ。

残念すぎる・・・・・・

il||li _| ̄|○ il||li 。

 


半年後、完成だって・・・。

 


お墓は現在、記念碑として建設中で工事が行われている最中。

護衛の兵士に「この中にアラファトさんはいるのか。」と聞いたら、にっこり「そうだよ。」って。
アラファトさんはカリスマすぎて、後継者はプレッシャーだろうなあ。

 

 

議長附内の敷地では、パレスチナ兵たちによる訓練が行われていた。武器を持つことを許されてないパレスチナは、みんな丸腰で行進の練習をしてるのだが・・・見ててつらくなった。

 

 

 

 

その後は、ラマラの街をぶらぶら歩く。
一見、平和でのどかに見える。

4年前にイスラエルのシャロン(首相)が世界的に批判を浴びながら、議長附のあるラマラに侵攻し、壮絶な銃撃戦が行われたところとは思えない。

 

 

 


とおりすがりに手を振ってくれる親子がいた。
私はちょうどトイレにすごく行きたかったので、お願いして貸してもらった。
おばさんは、ししゅうをやってて、これが有名なパレスチナ伝統刺繍。

※パレスチナ刺繍を通して難民女性を支援するサイト

 

 

 

暖かい昼下がり、チャイを頂きながら、おばさんのししゅうをしばらく見てた。おばさんの笑顔は、哀しい体験もあるだろうに、それを感じさせることなく、じつにいい笑顔だった。

 

 

 

帰りのバスでは、隣にパレスチナ人のおじさんが座った。

私が日本人とわかると、日本政府が数百億円の無償融資をしたらしく、おじさんにすっごいお礼を言われた。

おじさんは、ジェリコで金融関係の仕事をしてて、貧しいパレスチナ人に無利子でお金を貸してるそうだ。

 

 

バスの窓から見えた銃弾を浴びた家、、。

 

 

ラマラの難民キャンプにも、日本の出資で建てられたものがたくさんあるらしく、日本国旗が掲げてあるそうだ。

ほんとにこういう税金の使い方はいいね~…。

 

 

おじさんが先に降りたんだけど、降りるとき

 

「サンキュー!ジャパン!」

 

だって。わー、日本人でよかった~!!

 

 

 
 
そういえば、宿にはISM(国際人権団体)の活動家の人がたくさんいて、ひとり日本人の人がいた。

「もしかしてレイチェルさんと同じ活動ですか。」と聞いたらそうだった。

 

 

迫害されるパレスチナ人を守ろうとして、イスラエル軍の戦車にひき殺されたアメリカ人の平和運動活動家レイチェルさんのことについては、「中国初恋」っていうサイトで知った。
すごく衝撃的だった。
「中国初恋」パレスチナ夜1~4 をぜひ読んでください。)

 

 


宿にも彼女のポスターが張ってある。

 
 
なんか同じ宿にいるのさえ、申し訳ない気分になる…。
あと数日のイスラエル、もっと勉強しておこう。
 
 

ラマラに桜っぽい花が咲いてた。あんず??

 
 

 

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