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2006/2/17
クネイトラ
「人情の~ゴラン高原~クネイトラ~」。
おお、記事タイトル、俳句みたいになってますね。
さて、ダマスカスでの唯一の目的は「クネイトラ」へ行くこと。
ゴラン高原の谷間に位置するクネイトラ。
戦争で破壊され廃墟となっている都市だ。
シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル。
この4カ国に囲まれたゴラン高原は、互いの攻撃にまたとない戦略地であるため、常にイスラエル対アラブの戦地になっていた。
30年前、約7年占領していたイスラエル軍が撤退するとき、後ろ足で砂をかけるがごとく、このゴラン高原にあるいくつもの村を襲撃、破壊して去ったそうなのだ。
シリアの前大統領は、イスラエルの残虐行為の記録として、修復せずにこの村をそのままの状態でのこしているそうで、そこが今から行く「クネイトラ」なのである。
今は廃墟の村で、国連の監視下に置かれている。
もともと住んでた人は相当数亡くなり、生き残った人はダマスカスへ移住したそう。
さて、ここへ行くためには内務省の申請書(パーミット)がいる。
なので、朝イチにタクシーで申請所へ行き(宿のおじさんにアラビア語で書いてもらった)、15分発行で申請書をもらって、セルビス(乗合バス)に乗ってクネイトラのふもとの街、ハン・アルナベンに向かう。
だんだん外が雪景色に変わっていく。
・・・うわあ~、やってしまった~雪かああ~(←雨女の変化球)。
約1時間後、ハン・アルナベンの街に着いた。
ダマスカスとは景色が一変した雪景色!
寒い、寒い、寒いよう~・・・。
「クネイトラ?」「クネイトラ?」ってセルビスの客引きはよってくるのだが、とにかく先に熱いチャイ(お茶)を飲みたい!
でもってトイレに行きたい!
通りすがりの店に飛び込み、チャイを飲む。
ああ~・・・温まるう。
なんかこのストーブの前からもう動きたくない・・・。
店のおじさんと話が弾み、クネイトラに行くことを言ったら「今日は雪でひまだし、僕が車で連れて行ってあげよう。」って言ってくれた!
じゃあ~、お言葉に甘えて・・・(笑)。
↑
おじさんが車を出してくれてる間、近くにあるUN(国連)グッズを売ってるお店に行った。
クネイトラには、イスラエル側、シリア側合わせて3000くらい各国の兵士が国連として派遣されてるそうだが、その中に日本の自衛官も100人くらいいるそうだ。知らなかった。
こうして影で活動している隊員の方たちにはほんとに頭が下がる思い。
お店の人は、日本の自衛隊は楽しくていい人ばっかりだって言ってくれた。
残念ながら、日本のワッペンは売り切れてなかったが、数枚違うUNデザインのワッペンをゲットした。
店長さんはチャイをごちそうしてくれて、いろいろ話を聞かせてくれた。
彼は、こういう仕事をしてていろんな国の軍人と接してるが、欧米人の嫌いなところは、座るとき足組みをして、足の裏を人に見せるとこだそうだ。
「そういう無意識なところに、人の文化を尊重しない精神が出てる。」
話は弾んで、もっと話したいが早く行かないと、クネイトラ。
なので、名残惜しみつつ、店を出る。
外には国連の車がたくさん走ってて、みんな普通の暮らしをしてるように見えるけど、いつも緊張と隣り合わせなんだ、と改めて感じる。
軍の検問所に着いて、パーミットを見せると、そこからは軍の公認ガイド(無料)が乗ってくる。
ガイドは、ダースおじさんの友達だったー。
しかし、町に入るとすごい・・・。
みわたすかぎり、廃墟の街。がれきの山。
街の一番奥にある破壊が一番ひどいのは、なんと「病院」。
病院である。
外見だけでも、すさまじい数の弾痕があるのだが、中はもっとすさまじかった。
これ、、、誰もいない状態で攻撃破壊したと信じたい。
そして、イスラムの心のよりどころ、モスクだっておかまいなし!ていうか、モスクをやった時点で終わりだろう。
人として・・・。
雪がしんしん降る静寂も手伝って、殺伐さと不気味さを感じた。
あ゛ーーーーーーとにかく寒い!
あと、靴が雪でグチョグチョになって、指先が冷たくて痛い!
すぐさま、ダースおじさんの店に戻り、ストーブで靴と靴下を乾かし、足を暖める。
ああ~、とけていくようだ。幸せ・・・。
そしておじさんは私の靴を見て
「君は日本人なのにどうして"そんな靴"を履いているんだ。」
と言った。
↑
そんな靴。
フラッシュでまだきれいに見えるが、ほんとズタボロ。
旅を始めてすぐオーストラリアで買ってずっと履いてるから1年ちょっとか。ものすごい使われようだもんねー。
いまいち、買い換える気がしなくて、そのままなんだけど。
でもヨーロッパでは人の目がつらそうだなあ。
ダースおじさんとは、その後も店でずっとお話。
すっごい楽しかった~。
「その靴じゃ、またセルビス乗り場まで行くのは大変だろう。」と、ダースおじさんが乗り場まで車で送ってくれた。
とはいっても、3分くらいなんだけど。
ほんとにお世話になりました。
一緒にとった写真、帰国したら必ず送りますね!
ただ来ただけじゃ、見てすぐ帰るだけだった。
こういう、「人との出会い」って、なんて恵まれてるんだろう。
いろんな話も聞けて、親切をもらってこっちも嬉しくなって。
ほんとにありがたかった。
こういう紛争地のようなところで、暖かい人たちと出会ってしまうと、日本に帰った後・・・ もし!もし!
この地に何かがあった時、 あの人たちは無事だろうかといたたまれなくなってしまうに違いない。
あのイラクでも、戦争後、同じように以前旅して、心配になった人が再度訪ねたりしてるんだって。
わかるような気がするよ。ないことを祈るけど。
この地がいつまでもこのまま何事もおこりませんように。
ダースおじさんたちが無事でありますように。
帰りのセルビスでは、毎日、ダマスカスの英会話学校に通う青年と隣りになった。
初級の教科書を持ってて、まだ「ビジネス」って単語もわからないくらいだったんで、すっごいカタコトの会話だったが、すごく夢があっていい青年だった。
「英語ができるとたくさん仕事があるだろう?」
「やりたいことがたくさんあるんだ。」
こんな大雪の中でも、毎日片道1時間かけて学校に通っている。
当たり前に学校教育を受けて、授業中など寝たりさぼったりしてた自分が恥ずかしくなる思いだった。
しかも帰り道、ホテルへの道がまたまたわからなくなってしまい、結局彼が送ってくれた・・・学校あるのに、、、、。