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1トルコリラ=約85円
2006/2/24
メルスィン
あの「エルトウールル号」の地へ
やっとここにやってきた!
ほんっとに来たかったのだ!
再びトルコに入ったら、ぜひ来て見たかった地「メルスィン」。
ここを語るにはまずこの話を。
4年前の日韓ワールドカップあたりで有名になった話だが、日本とトルコにはこんなすごい結びつきがあったのだ。
★動画が見れない方はこちらをお読みください 1890年、トルコ軍艦「エルトゥールル号」が、明治天皇に親書を届けるため日本にやってきた。 その帰り、トルコ軍艦は暴風雨のため和歌山県沖で難破。 多くの船員は亡くなってしまったが、助かったトルコ人を大島村(現在の串本町)の人々が手厚く看護し、遺体を葬った。 当時、台風で漁ができずに飢饉状態の村だったが、最後の鶏まで出して介抱。 それを聞いた明治天皇は看護婦や医師を大島に派遣。 その後、日本の軍艦で生存者をトルコに送り届けた。 また、日本全国からの義援金も送られた。 そして、1980年、イランイラク戦争がおこる。 フセインは「今から48時間後からイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落す」と発信。 イラン在住の日本人たちは慌ててテヘラン空港に向かったが、どの国の飛行機も自国民だけを救援しており、対応が遅れた日本政府は専用機を飛ばすことができない。 あせる日本人達。「もうだめだ!」 そこへ、2機のトルコの特別機が現れ、日本人215名を乗せ、イランを脱出。 タイムリミットの1時間15分前だった。 後に前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏はこのように語った。 「エルトゥールル号の恩を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。 トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」 |
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内野聖陽さん主演で映画化されています!
このエルトウールル号が出発した地、ここメルスィンには、慰霊碑があり、また日本とトルコの友好の記念に「串本通り」と名づけられた道があるらしい。
・・・ねえ?そりゃ来たいでしょー。
で、来たよ。
メルスィンは海沿いにあるので、一見普通のリゾート地である。
海沿いの公園を歩く。
人々がピクニックをしたり、デートをしたりしてる。
海辺に向かって歩いていると、、、、
ん?なんか向こうに見えてる??
近づいてみると、やっぱり慰霊碑だった。
碑には、日本との経緯を記した文字も刻まれていた。
トルコ語なんで読めないけど。
いや~、ほんとに感動!
公園にはオスマントルコ帝国時代の軍艦や戦闘機も展示してある。
次は、「串本通り」を探す。
おまわりさんに聞いたら、バスで20分くらい行くそうだ。
バスの運転手に聞いたら、串本通りでおろしてくれた。
串本通りの入り口にはなんと!
日本のトルコの友好のボードがドドーン。
そして、壁には漢字で「串本姉妹都市通り」って書いてあるよ!うおおおおーー♪
感動してバシャバシャ写真を撮ってたら、道行くトルコ人青年が「あー、日本人だー♪」って手を振ってくれた。
串本通りはお洒落なカフェが並ぶ今風の通り。
あの「のび~るアイス」のドンドルマの店もある。
そして串本通りを歩ききって、海へ出ようとした私の目に飛び込んできたものは・・・
風にはためく日本とトルコの国旗!!!
・・・こんなにトルコが日本を思ってくれてること、知らなかった。
見返りを求めない日本人の先人たちの偉大さと、トルコとの命をかけた友好。ほんとうに素晴らしい・・・。
ああー来てよかった!!
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それ中国!しかも、ゲイサになってるし。あ、もしかして点がついたら「シャ」??