▼自己紹介はこちら
※1YR(イエメンリアル)=約0.7円
2006/1/13
イエメン最後の日
イエメン最後の日の前日の夜はハサンおじさんが、弟さんの家に招待してくれたが、当の弟さんは病気で寝てるんですが。
「宿にいても君ひとりで面白くないだろう。一人にしておけない。」っておじさんは言うが、たまにはひとりになりたいんだけどな~(笑)。
↑
最後の方に欧米人の珍しい長期宿泊客も(名前忘れた)!
ふたたび結局お泊りになって、翌朝旧市街へ帰る。
寝続けるハサンおじさんを起こして、「私、行くから。」って声をかけた。
ハサンおじさんは、ダッバーブ(乗り合いバス)乗り場まで送ってくれ、「後でホテルでね!」とお別れ。
それが彼との、イエメン最後の会話になるとは思ってもみなかった。
↑
近所の可愛い子供たち、さようなら。
未練タラタラ・・・・
いよいよ今日の午後、カイロに飛び立つ。
パッキングをして、部屋から一歩踏み出したそのときである。
サンダルがブチッ!っていきなり切れた!!!
ひえ~!不吉な予感!
今日は13日の金曜日だし。
これは「行くな」って神様の暗示か??
最後の数時間だというのに、スークまで走って靴の修理屋さんを探すはめになった。
↑
滞在中に3回通った靴の修理屋さん、さようなら。
↑
毎日通ったタバコ屋さん、さようなら。
空港まで送ってくれるという金持ちお坊ちゃまバクルたちが迎えに来てくれた。
が、ハデルおじさんがまだホテルに来ない。
「ムギが出る日は絶対空港まで一緒に行く!」って言ってたのに~!
昨日、ぜんぜん寝てなかったからまだ弟の家で寝てるんだろうなあ。
一番お礼とお別れを言いたい人だったのにすっごい残念!!!
【旅後追記】
帰国後、同じ宿に後に泊まった日本人を通じて、おじさんからハガキもらいました。やっぱり寝てたようです(笑)。でも気にしてくれてて嬉しい~♪
↑
↑
もちもちの薄焼きパン「ホブス」もさようなら。
↑
イエメン人の味覚をこれで信じれました!パレスチナレストランの激うまプリンもさようなら。
空港には、ヨソフおじさんも来てくれてて、みんな一緒に送ってくれた。みんなが「絶対来年また来て!」って言ってくれる。
ほんと離れがたい…。
↑
いつもみんな誰かしらがかまってくれて、遊んでくれて、誘ってくれて、どこかへ連れて行ってくれて・・・。
ここまで甘やかされて、すっかり弱くなってしまっている感じがする私。
今日からまた一人。
元に戻るだけなんだろうけど、すっごく心細く、そして新しい土地が恐い。
↑
何を話してたのか、毎日話してた、宿の隣の素敵なおじさん、さようなら。
X線チェックが終わり、ガラス窓の向こうで大きく手を振るみんなを見ながら、私も手を振りながら、半泣きになって歩いているときである。
前を歩いてたおじさんの携帯が鳴った。
そしてその着メロは…
「蛍の光」であった。
↑いや、まじで!信じてください!
そうか。私は4回留年した(4回、チケット延長した)けど
ついにイエメンを卒業するんだ。
「さあ、行け!」って
見えない手に背中を押された気分だった。
ハサンおじさんとの約束どおり、窓際に席を取り、小さくなっていくサナアに別れを言った。
また私の忘れられない、できることならまた来たい場所のひとつになった。
【Old Sana'a Palece オールド・サナア・パレス】
◎旧市街。バーバルヤマン門を入って左に行って、右側の道を道なりに進むとある。周りの人に聞いていこう。
宿代は、 10USドル/1人。バストイレ共同。イエメン建築の部屋が嬉しい。水周りが絶望的だが居心地のよさと屋上のマフラージの眺めのよさで帳消し。お風呂はすぐ近くのハマムに行けばよい。ツアーも申し込める。情報ノート有。
↑
ともあれ、部屋がすてきすぎる!
イエメンのまとめ
旅の家計簿
◎滞在日数=29日 | 計(現地通貨) | 計(円) | 1日当りの生活費 |
飲食費(タバコ含) | 21305 | \14,914 | \514 |
宿泊費 | 43910 | \30,737 | \1,060 |
国内交通費 | 1880 | \1,316 | \45 |
観光費(ツアー代・入場料等) | 27530 | \19,271 | \665 |
雑費(ネット・衣服等) | 2635 | \1,845 | \64 |
その他 | 200 | \140 | \5 |
移動費・ビザ代 | 135595 | \94,916 | |
総合計 | 233055 | \163,138 | \2,352 |