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1ソル=35円(当時)
めざせチクラヨ
私のゆく手をはばむモノ~♪
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タイトル、ジッタリンジンの「あなたが私にくれたモノ~♪」のメロディでうたってください。
さっそく8時にバス会社まで行く。
…やっぱり、バスは動かない。
すると、バス会社の前で、車を持ってる人たちが「チクラヨー!チクラヨー!」って客引きをしている。
この事態を利用して商売をしているのだ。
さすが商魂たくましい。
値段を聞くと、30ソルだという。
もしこのままバスが動かなくて、またホテルに逆戻りだとすれば同じ30ソルだし、3時間で着くって言うし、「ええい、ままよ!川崎麻世!」と、乗ることにした。
車の中には、すでに2人の少年がいた。
しかし、おやじは「ウノ!ウノ!」って、あと一人探している。
が、もう一人乗ってきてもまた「ウノ!ウノ!」って、あと一人探している。
さらにまた一人乗ってきても「ウノ!ウノ!」って、あと一人探している。
いつ出発するんだよ。
2人の少年はキレてしまい、降りてしまった。
私は辞書から「欲張り」という単語を探し、おやじに見せて、「欲張るとみんないなくなるよ。」って言ってやった。
1時間待って、やっと6人集まり出発となった。
「3時間後にはチクラヨだー。」
…そして、これが私の苦しく長~い1日の始まりとなった。
車は最初は軽快に街を出て行ったのだが、ピウラから幹線道路へ入る橋に差し掛かったときだ。
黒煙が見える。
叫び声も聞こえる。
車が近づくと、たくさんの人々が旗やプラカードを持って橋を占拠しているのが見えた。
向こう側に渡りたい車や人々が橋の手前にたまっている。こりゃ通れないはずだわ。すごかったもん。
(車がギュウギュウでデジカメを取り出せなかった。残念。)
車は回り道をして何とか橋向こうに行こうとしたが、結局通ることができず、私たちはそこで降ろされてしまった。
(もちろん、30ソルは返してもらった。)
私は車と一緒にピウラ市内まで帰ろうかとも思ったが、他の乗客たちについていくことにした。
この判断が、正しかったかどうかは分からないけど。
人々の間を通り抜け、延々歩いてると、木々で作られたバリケードがあった。
これで道をふさいでいるのだ。
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そのバリケードを歩いて超えると、そこにはこれまたこのストライキを商売にしているモトタクシーがたくさんいる。
私たち6人は、小さなモトタクシーに中国雑技団並に乗り込んだ。(私のバックパックもあるので7人分くらい。)
しかし、2~3キロも走ると、またバリケードがあって、モトタクシーから降ろされる。1ソル払う。
そして、また徒歩でバリケードを超え、その先のモトタクシーに乗る。1ソル払う。
この繰り返しであった。
すごろくか。
たま~に欧米人がいたが、外国人は私だけしかいないようだった。
しかも、誰よりもデカイ荷物をしょっているので、ずっと注目を浴びるところとなった。
だんだん街から離れていくと、モトタクシーではなく、馬やロバが待ち構えており、その荷台にも乗った。
荷台といっても、馬車のようなものではなく、ほんと馬に荷車をつけたかんじ。
私はバックパックをしょったままなので、一番前に座らされ、目の前には馬のおしりがある状態で、歩きっ屁はするし、ときどきウン○はするしで大変だったよ。
しかし、バシバシ、ムチで打たれて走る馬を見てると超かわいそーで、生まれ変わることがあったら馬だけはやだな~と、つくづく思った。
「ほんとにこれでよかったんだろうか。」
「この先に何かあったらどうしよう。」
とかとも考えたけど、もう引き返すのも大変だし、何も考えず先に進むことにした。
モトタクシーも馬もロバもいないときは、数キロ、延々と歩く。
ほんとにしんどい。
バックパックが重くて肩が痛い。
のどかわいた。
おなかすいた。
足の裏が痛い。
絶対、マメできてる。
ぐちぐちぐちぐち。
午後からは、日差しがカーッと強くなり、すっごく暑い。
延々、歩く人々は自分のことで精一杯なので、誰も私にはかまってくれない。
どんなに疲れようとも、ここまできたらもう進むしか、行くしかないのだ。
そんな中、最初、一緒に車に乗ってたペルーのおじさんが、途中でアイスをおごってくれた。
20センタボ(12円くらい)だというので、払おうとしたら、「いいよ。いいよ。食いな。」って。すごくうれしかった。
歩き始めてから何時間たったのだろう。
「チクラヨー!チクラヨー!」って呼び込みをしているバンを見つけた!10ソルだというので、嬉々として乗り込んだ。
これで、市内まで一気にいける!
バンには何と20人が乗り込み、またギュウギュウ。仕方がない。
バンは軽快に砂漠地帯を通り抜けていく。私は安心と疲れのあまり寝込んでしまった。
…2時間ほどたって、ふと、目が覚めた。何だ?
みんながバンから降りている。
うそー!またバリケード?
きいい~!腹立つ~!
結局、再び全員で歩き始めることになった。
ここからが一番つらかったなあ~…。
おなか、マジすいた・・・。
時には7人になったり、2人になったり、1人になったりしながら、延々と歩いたり、バイクの後ろに乗ったりして前に進み続ける。
最後に一緒だったペルー人のエンジニア3人組は、ほんとにいい人達で、自分たちも疲れているであろうに、何と!
私のバックパックを2人で持ってくれた!(涙)
「ペルーへようこそ!」って、みかんもくれた!
すっごく疲れが癒されたよ。
フジモリ元ペルー大統領の話になって気づいたのだが、みんな「フヒモリ」って言うんだよね。
スペイン語は、Jはハ行になるので、FUJIMORIがフヒモリになるのだ。
「もうペルーには帰ってきてくれないのか。」とか言ってた。
チクラヨ市内まで行ってくれるタクシーを見つけ、4人で乗り込み、楽しく向かう。
「まさかもうバリケードはないよね。」って聞いたら、ないとのことで、もう体から力が抜けた。
チクラヨ市内についたのは、午後4時半だった…。
徒歩8時間半。
ああ、苦しかった。
おなかすいた!
ビール飲みたい!
山岳列車に一緒に乗ったシホちゃんが先にチクラヨ入りしているので、同じホテルに行って部屋をとった。
シホちゃんは外出中っぽいので、私はひとりで、そのまま街まで出る。
とにかく、おなかが空きすぎた!死にそう!!!
とりあえず目に入った食堂に入って、もちろんビールを頼み、一気飲みして、「もう食べられない」っていうくらい食べ、「生き返る」を体感した。
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ロモ・サルタード」という。フライドポテトと玉ねぎとトマトと牛肉を炒めたやつ。うまい!ペルーの米もうまい。
ホテルに戻って、シホちゃんと3日ぶりの再会!
やはり海側の国境はいろいろ物騒だったらしい。
せっかくなんでツインで一緒の部屋にしてもらい、このホテル何とNHKが見られるので日本のニュースをみたり、熱いシャワーを浴びたり、腰にシップ張ったり。極楽~♪♪♪
昼は、こんなときがくるなんて思ってなかったよ。
足の裏には、やっぱり水ぶくれができてた。
もう、明日はどこにも行かないでゆっくりしよう…。
やー、いい経験したわ。無事で何よりだけど。
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朝ごはんに定番らしい一皿。セビッチェと、じゃがいものゆでたのに黄身のソースをかけたのがついてる。
ちなみに、泊まったホテルがあるPedro Ruiz通りは、「え、ここ秋葉原?」っていうくらいの電気街。
あっさり、デジカメのUSBケーブル(50ソル)が見つかりました。