最終更新日:2017/1/3  更新内容:新規作成
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■はじめに

各章共通のFate/Grand Orderの世界、設定に関わるネタバレ要素についてご紹介する「ネタバレ情報/考察」の別冊コーナー、その第八弾。
ここでは宮本武蔵体験クエストに出現した謎の剣豪の正体についてその正体に関する考察を取り扱います。
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 その名の通り「ネタバレ要素を含む可能性があります」ので、ご注意いただき、ネタバレが苦手な方、見たくない方はブラウザバックや、目次などへお戻りくださいますようお願いします。

 

■宮本武蔵体験クエストに出現した謎の兵法家の爺様とは? [確定情報]

 宮本武蔵体験クエスト、冒頭においていきなり出てきた謎の爺様。

恐らくは先程公開されたFGO第1.5部「Fate/Grand Order – Epic of Remnant -」のうち、この章に出てくる英霊の先出しと思われます。

 

冒頭のやりとりで分かりますが、剣豪の英霊ということですね。

といっても、いきなり大ヒントがありますね。この1枚をご覧ください。

 

 はい、もう名乗ってますね。柳生○○さんですね。

というわけで、柳生氏でサーヴァントとなりえそうな人物を知名度・強さの両面で候補を挙げてみたいと思います。

「柳生」という名自体がフェイクという可能性もありますが、服装の家紋が柳生氏のものですので、間違いないでしょう。(下画像はwikipediaより)

 

■柳生家におけるサーヴァント候補 [史実/参考情報]

 では「剣豪」として有名な柳生家の代表的な人物を紹介していきます。

複数いるので経歴は簡単に。

 

1.柳生 宗厳(やぎゅう むねよし)/石舟斎
 生没年:大永7年(1527年) – 慶長11年4月19日(1606年5月25日)

剣術の新陰流継承者。「はじまりの柳生」
後述の柳生宗矩の親、柳生利厳、柳生三厳の祖父。石舟斎の名で有名。
若い頃から機内屈指の兵法家として名を馳せるも、新陰流の上泉信綱に挑んだが完敗。(一説は弟子の疋田景兼が相手とも)
その後は信綱に師事し、免許皆伝を会得。新陰流を継承。

 

2.柳生宗矩/但馬守

基本的には歴史小説などで「柳生但馬」と言われるのはこの人。柳生 宗厳の五男「繁栄の柳生」
兵法家にして、徳川将軍家の兵法指南役にして、大名(大和柳生藩初代藩主)

この人物の特徴は兵法家でありながら、新陰流を将軍家御流儀(※後述参照)にし、大名にまでのし上がった、政治手腕に優れた人物であるということ。
おおよその傾向として剣豪=無骨で無愛想な性格であり、立身出世とは無関係の傾向にありますが(宮本武蔵も例に漏れず)、
一介の剣士の身分から大名にまで立身したのは、剣豪に分類される人物の中では「日本の歴史上ただ一人」と言われます。


 なお、宮本武蔵とは因縁があり、武蔵に仕合を挑まれた際、宗矩は「そなたの剣の境地は?」と問うたと言います。

これに「電光石火の如く」と武蔵が返事した所「まだまだ修行不足」と挑戦を退けた。

そこで逆に武蔵に問い返された時に、自分の境地を「春風の如く」と返したという逸話があります。

ただ、このエピソードは当時の兵法家には賛否両論のようで、またその立ち回りを揶揄され「政治外交剣」と馬鹿にされることもありますが、
実際は「古今無双の達人」「「父(石舟斎)にも勝れる上手」と言われた兵法の達人。
また、それまでは「人殺し」「戦」の技術でしか無かった「兵法(=剣術)」に対して
「活人剣」「大なる兵法」「無刀」「剣禅一致」などの概念を含む兵法を確立。
これらは後の道場剣術、ひいては剣道にも影響を及ぼしたといわれる大人物です。

 

3.柳生利厳/兵庫助

柳生宗厳(石舟斎)の孫(長男/柳生厳勝の子)「もう1つの柳生」
通称「兵庫助」。歴史小説などで「柳生兵庫」と言われるのはこの人。
なぜか石舟斎は子の柳生宗矩ではなく、孫の柳生利厳に新陰流を引き継がせ彼が「新陰流三世」となります。
(これも後世において宗矩が軽視される理由です。)
若き日の修行の末に、尾張徳川家に仕えて、尾張徳川家指南役となります。

ただし、「柳生家の家督」を継いだのは江戸の柳生宗矩。

これにより、以後新陰流(柳生新陰流)は、柳生宗矩の「江戸柳生」と、柳生利厳の「尾張柳生」とに分派します。

 

4.柳生三厳/十兵衞

  通称は十兵衞。柳生宗矩の長男。一般には「柳生十兵衞」として有名。
20歳の時に何らかの理由で家光の不興を被り、「その後12年間」に渡り蟄居を命じられる。
謹慎期間中は故郷の柳生庄に引き籠ったとも、修行の度に出たともいわれる。
39歳の時に父宗矩が死去すると家督を継ぐが、43歳の若さで鷹狩りのため出かけた先で死亡
死因は「不明」言われる。

 若い頃に失明したという伝承があることから、片目に眼帯をした「隻眼の剣豪」のイメージが広く知られている。
その後その隻眼や、不明な時期があったこと、謎の死も相まってか、後世において十兵衞は多くの創作作品に取り上げられ、知名度は抜群。
現代においては「隻眼の柳生最強の剣豪」のイメージが確立している。
ただし、あくまで「伝承」であり、実際は隻眼ではなかった可能性が高い
逸話も非常に多いが、その多くは真偽が定かではない。
尚、2005年には「柳生十兵衛七番勝負」という小説が刊行され、その後テレビドラマにもなっている。

 

 

■考察作中におけるヒント2 [確定情報/考察]

 では、この4人から絞り込む為のヒントがありますので、そこから絞っていきましょう。

 

  ここですね。キーワードは「江戸柳生」です。

まず「江戸柳生」については前述の通りですね。これで候補は「2.柳生宗矩/但馬守」と「4.柳生三厳/十兵衞」に限定されます。

なぜなら柳生 宗厳の時代には柳生は2つに別れておらず、柳生利厳は分家の尾張柳生だからです。

では「柳生七番勝負」という、絶好の好材料があり、知名度の抜群な柳生十兵衛なのか。

筆者の推測は逆です。

では最後の材料を。これです。PVのキーワードの1つ。

 

分かりやすいので枠付きバージョンを。

 

これです。見えにくいですがもう1つのキーワードは「剣禅一如」です。

 

■剣禅一如とは [参考情報/考察]

 剣禅一如(けんぜんいちにょ)とは、沢庵和尚(たくあんおしょう)の「不動智神妙録」の教えの1つ。
「剣禅一致」ともいう。
「剣の道と禅は、生死ぎりぎりの場を見つめて修行するという意味で、究極のところは一致する。」ということで、
つまり、「何かを極めるには、心の修行が必要で、それは、剣でも、禅でも同じ」ということ

「沢庵和尚なら宮本武蔵の事じゃね?」と言うかもしませんが、
 沢庵和尚と宮本武蔵は、フィクション上のみの関係であり、史実では関係があったという史料はありません。後世の創作です。
 同様に剣禅一如が宮本武蔵の言葉というのも後世のフィクションであり誤りです。五輪書にはそのような言葉は書かれていません。
 むしろ前述の通り、兵法書においては剣禅一如の精神は柳生宗矩が提唱しておりますし、

そもそも「不動智神妙録」は沢庵が幕府剣術指南役柳生宗矩に書いたものです。

また、画像の老人はどう見ても50代。40前半に見えなくも無いですが、43で死んだ十兵衛ではないのではないか、とも思います。
というわけで、自分の説では

宮本武蔵体験クエストに出現した謎の剣豪の正体は、柳生宗矩である

 と推測します。

 

 

 といっても、正直まだこれでも決定打には欠けますし、柳生宗矩である確証は正直ありません。それでも十兵衛と五分五分だと思います。

ただ型月が「柳生十兵衛七番勝負」→「英霊剣豪七番勝負」なんてストレートでベタな真似をするとは思えない為、色々探した結果、 柳生宗矩に行き着きました。

といってもあくまで考察に過ぎませんので、参考程度にご覧ください。

貴方はどの柳生説を支持しますか?

 

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