人はもれなく、山深く社会から離れようが、南の国に楽園を求めようが、死のうが生きようが、
どう足掻いても何らかの仕組み(システム)の流れの中で存在し続けることになるのです。
いや死んだら終わりでしょ、、という人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
死んだって残った人達によって戒名なんかもらっちゃって、位牌なんか作られちゃって、
そういう存在として継続されるのです。
仮に野垂れ死にをしたとしても、野垂れ死に、という事自体そういうシステムの中でのレッテル的存在なのです。
わかります?
あっているかどうかはわかりませんが、見方によっては、ザックリ結局すべて同じシステムの中での循環なのだと考えると、細かいことを言っていても仕方がないということなのです。
その中で、要点として、生きるための考え方のベクトルや、死ぬ覚悟つまり死生観、無や空や抗うことのできない自然の存在を意識しながら、他との関わり方を学び、実践しながら生き死んでいくのです。
疲れますか?
でも、仕方がないのです。
だから諦めずに頑張るしかないのです。
年末突然Facebookがロックされーの、
当然ながらMessengerも使えなくなりーの、
調べてみるとほとんど使ったことのないInstagramからの不正アクセスによるものだということで、
いろいろ試したけれども回復せず、どうしようか思いつつ放置していたら、
新年たまたまクレジットカードの請求一覧を見たところ、多額の利用した記憶のないFacebookでのカード使用請求を確認、、(;´д`)
ozr
そこでロックされた理由が判明したのです。
怒りというか、なんで自分が? という理不尽感が沸き起こって来たのですが、
これ先程の話に戻ると、Facebookというシステムを利用している限り誰にでも起こることなのだと、
そこは客観的に理解して、
つまり、そういうシステムを大局的に理解して、これから利用すれば、そういうリスクも軽減でき、利用の仕方も変えていけばという考え方にすることにいたしました。
今思うと、世の中の科学、哲学、宗教は、そういうシステムを理解するツールであり、そのシステムを利用して活かしていくための思考が重要なのだと思う次第です。
さて、
つい最近、ちょっと聞いたところによると、"システム思考"をベースにビジネスを展開されている方がここの合気道を学びに来られていらっしゃいます。
その方の気持ちよくわかるのです。
なぜならここの教えならびに、学びのプロセスは、システム思考そのものだろうと想像するからです。
同じだろうと直感するのです。
その方も同様に直感がハタラいて来られたのだと思うのです。
\(^o^)/
本当のところは、同じかどうかはわからないのですが、、
少なくとも、俯瞰的な視点と、インプット(陰)とアウトプット(陽)の循環、失敗することがNGなのではなく、失敗の後の修正に重点を置く稽古システム、
そのシステムの中で行動を繰り返すことで見えてくるもの、、
こういう時はこうする、こうしなければならないという型稽古システムではなく、過ちと修正を繰り返すことで得られる気付きを大切にしていくシステム、、ということ。
お正月早々北陸地震があり、羽田空港の飛行機の衝突事故もあり、多難な年の感じですが、
この世のシステムに属している限り、そういうことが自分に降りかかる可能性はゼロではなく、決して他人事ではないということを自らに言い聞かせ、
被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げたいと思います。
そして、今年もいろいろなことがあるでしょうが、中心帰納というツールを活用して、自分に背を向けずに、乗り越えて頑張っていきたいと思います。
\(^o^)/
facebookはアカウント復活か、今まで育ててきたアカウントを捨てて新アカウントを誕生させるか、はたまたやめてしまうか、
それが直近の課題となるのです。
\(^o^)/