関係性における中心帰納の役割 | 母体武道 合気道 無元塾

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成田伝合気道で唱えられた母体武道をさらに洗練させて、武道のみならず、セラピー、ボディワーク、普段の立ち居振る舞いなどの根元となる普遍的なものをお伝えしております。

現在、こんなにも科学が発達し、様々な法則が解明されている中、正しく認識、理解されることなく、歪曲されている事がらが多くあります。

情報が溢れているインターネットの時代はさらに深刻になっていくのだと思います。


そういう、正しい認識、理解を、自分の基準にしていくように教育されていくべきだし、自分自身も勉強していくべきなんだと思います。

そして、本来学校教育はそのための基盤となるだけで良いのではないでしょうか。

本当は、受験テクニックなど身につける必要は全くないのです。


「ティク・ナット・ハン」というベトナムの仏教者の本で下記の様なことが書いてありました。


正しい認識・理解が愛を促すという。

「愛」などという口はばったい感じがしますが、下記の例えで意味がわかるのです。

ある男の子が、朝、目を覚まして遅くなっていることに気づき、あわてて妹を起こそうとしています。

でも、妹は機嫌が悪く、「うるさい。やめて!」と言って兄を蹴ります。当然彼も「親切に起こしてやっているのに」と怒るのです。

母親に言いつけにいくか、蹴り返そうとした時、彼は、妹が夜中にひどく咳をしていたことを思いだしたのです。

彼女が病気らしいことに気づいたのです。

「風邪をひいているに違いない。だから、わがままなのだろう」と。

この瞬間、彼の中には怒りはないのです。

つまり、理解し目覚めているということです。


別のたとえ話もあります。

サーカスで、父の額の上に長い竿を立てて、娘がそのてっぺんまで登る演技をする父と娘の話です。

うまく演技をするために、父が娘に「二人は互いの面倒を見なければならない。」と言うのに対して、

娘は、

「演技の最中、お父さんは、自分の面倒だけを見て下さい。お父さんが、油断せず、安定していれば、私が助かります。竿に登るとき、私が注意して、自分の面倒を見れば、間違いを起こしません。」

一見、娘が自己中心的で、お父さんの方が正しいようにも聞こえます。

でも、お父さんの言っている意味は、

「私の安らかさは、つまり私の幸せは、あなたに大いに依存しています。あなたの安らかさ、つまりあなたの幸せは、私に依存しています。私は、あなたに対して責任があり、あなたは私に対して責任があります。」

ということであり、とても共依存的なのです。

どちらが正しい認識、理解かはいうまでもありません。

全ての関係性は、

まず「私がみずからの面倒を見、あなたがみずからの面倒を見ることが必要」で、このことが互いの役に立つのです。

その正しい理解が、正常なる関係性をつくり、親子の愛を促しもし、社会をも正すのです。

無暗にわがままなだけな妹というストーリーに振り回されるのではなく、本質を見れば怒りも消えるという意味がわかれば、

武道における表面的な強さに振り回されずに、自らの弱さに向き合い、まずは自分自身を整えることの重要性を理解することができるのです。

うまく演技するためのお互いの依存的親子関係だけに注力するよりも、その瞬間の自分のことだけにフォーカスする。

今ここにおいて、深く物事をみて、洞察的理解のもと行動をし、その結果の良し悪しの責任は自分が取るのです。

それがお互いにいい影響を与える、、

そう信じるのです。

瞬間、瞬間におこる事実だけを拾ってあげる。

かってな思い込みや、ストーリーを作り、着色すべきではなく、

また、そういうものに惑わされず、正しく認識し、理解するべきなのです。

そうでないと、ただしい関係性は育まれないのです。



"中心帰納"とはそういうことを気づかせてくれるものでもあるのです。



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