自称合気道家の私にとって、世の中の人生100年という、標語なのか、提言なのか、その言葉を、考えた時、なかなか大変だな、、と考えてしまいます。
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なぜならやはり年齢を重ねるごとに、常にどこか故障をしている現状があるからです。
おそらく、僕以外の世の武道家、格闘技家の方なんかも同様のはずです。
老いていく身体を所有している限り、普段の生活以上に身体に負荷をかける生業を続けることは、なおさらもって、100年という数字はかなり努力が必要です。
間違いなく、前半50年にやっていた身体遣いのシステムでは後半50年では立ち行かなくなるでしょう。
仮に軽い動作の繰り返しでも、視点を変えていかないと、思わぬ故障の原因となってしまうのです。
おそらく、打撃系や、ねじ伏せ系の武術、格闘技なんかはもっとリスクは高くなります。
では、どうすべきなのか、、
答えは想像通りです。
心法の割合を増やしていくしかないのです。
でも、武道をするものにとって、悟りにいたる宗教的、哲学的、心理学的な考え方が、リアルな技に反映させることが出来るなんてなかなか考えづらいのです。
それは、体系(システム)として伝えられていないということであり、
つまりだから、皆、知らないということなのです。
いくつかの武道の中で、よく呼吸という言葉が用いられていたりするのですが、それはそういう教えとリアルをつなぐツールとして活用されているのかもしれませんが、
でも、おそらく、ここの中心帰納を理解した時、その呼吸の活用の意味は更に深まるでしょう。
成田先生はその心法のことを"想い方"という表現で話してらっしゃいました。
そしてその具体的な想い方が、"中心帰納"であり、"腰回し"なのです。
つまり、心法とリアルな技を結ぶ方法(ツール)がそれなわけです。
そういうことを考えていくと、そういう戦いを想定したシーンに適応出来る心法のツールが開発されているわけですので、あらゆる武道にも適応出来るかを確認すべきだと思いますし、
ダウンサイジングして、普段の生活の中でも確認した方がいいに決まってますし、
ここの心法を啓蒙することを標榜している身としては、より年老いていくプロセスに対しても活用していかない訳にはいかないのです。
私にとって、人生100年の老化の加速する後半戦は、中心帰納を活用しての挑戦になるということなのです。
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