基本、ここの教えを広く理解してもらうためです。
ここまで、この中心帰納という教えの切り口で、お伝えしているところは
おそらく他にないと自負しています。
例えば、ここ無元塾に通われている空手をやってらっしゃるかたに教えていただいたこの動画、、
岩崎達也先生は、あるところでこれを習われていたということです。
まさに、ここの入身の仕方のように思えます。
おそらく、ことばの理解ではなく、質感によって身体で体得された、、
その先生から滲み出る何かを感じて試行錯誤されたんだと思います。
この入身さえできれば受けすらも要らないともおっしゃっています。
素晴らしい!
きっと、その質感を体得するために、何らかの整合性のある理屈を自分の中に構築されてらっしゃると思うのですが、そこのところまでの説明はされてらっしゃいません。想像ですが普段の稽古のなかでもそこまで踏み込んで説明はされてらっしゃらないと思います。
その理由は、それを言葉にして表現すると、歪曲して伝わる可能性があり、また、情報量が多く、表現の中に矛盾が発生したりして、表現自体もしづらいということもあるからだとも思います。
ひょっとすると、”内面で腕受けしてから入る”と説明してらっしゃるじゃないかという人がいそうですが、
これこそ、習うものを混乱させる説明となっているのです。
この説明だけではあまりにも側面的過ぎて、結局習うものはトータルに理解は出来ずに、仮に出来るようになったとしても、その型の中で出来るだけで、すべての技に組み込むことは難しいと思います。
では、トータルに理解するためにはどうすればいいのか、、
まずひとつ言えることは、打撃から入ると難しくなるということです。(少なくとも私はそう考えています。)
かといって、柔道のように胸ぐらをお互いが引き込み合うように力む態勢になりやすい状態もエゴが出すぎます。
一番いい、スタートとなる稽古は、
お互いが手と手を触れあう間合いで、手首を持って、相手のチカラの伝わりを感じ、自分の中の変化を観察できる合気道の型稽古なのだと考えています。
そこから打撃へと移行していき、そして四つにも組み合ったり、そういう稽古なども取りいれて、
そして入身と合気は同じ源泉をもつ現象の違いなのだとわかることが必要だと考えるのです。
そして、それをわかるように、システムを構築しているのが、ここ無元塾であり、その源泉の糸口として中心帰納という言葉と質感があるということをお伝えしていきたいと思っているのです。
ちなみに、この動画を紹介いただいた方からは、ここでやる入身はそれと同質だという評価もいただいています。
それは、私がどうのこうのいうのではなく、そういうシステムに自負をもっているということを言いたいんです。
つまり、ここのシステムを理解すればだれでも同様に入身ができるということになるのですから。
やっぱり、母体武道だということです。
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