1998年、ヴィトリアの
芸術劇場での式典にて。
 
この時、
ヴィトリア日系協会から
式典参加の招待を頂きました晴れニコニコ
感謝です(^_^)
 
 
★今回のテーマ:創造

1993年度、ヴィトリア日本人学校の休校式で演奏。
日本語学校の生徒が友情出演。
みんないい笑顔!!! (前列左のヒゲの僕は28歳!)
 
↓ 上の写真はこの冊子に載りました。
 
 
 
太鼓クラブ発足の様子をJICAの機関誌で
取り上げていただきました。
 
 ↓ 機関紙の海外移住
 
 
 
1998年のブラジル移住90年。
この時に、太鼓の演奏もあり、
野球場の落成式もあり、
ヴィトリア日系協会の方々から
招待を頂き、ブラジル訪問ができました!
 
感動しました!
 
 
 
↓ 天皇皇后両陛下(現:上皇・上皇后様)から
  ご自宅の吹上御所に招待されました。
 
 
 
 

☆ 0からの和太鼓クラブ設立  思いは叶う!!!

 

ブラジル・ヴィトリアでの1年目の夏。

 

野球部が順調に

滑りだしたので

ほんの一息ついたころ。

 

日系協会の役員から

「先生、今度、州の祭典があるのですが

何か日本文化的な事ができないですか?」

 

 

と、相談があり、

和太鼓の演奏はどうか、と

返事をしてみました。

 

 

僕の頭の中には

福岡県の鞍手南中学校の

「南陵太鼓」

 

 

生徒たちが、学校を立て直した

心の演奏がぴったりかな!と。

 

 

すると、是非おねがいしたい!

とのこと。

 

 

それで、日系協会の若者に、

福岡の中学校の「太鼓」の演奏の

様子を(ビデオで)見てもらいました。

 

 

このような太鼓の演奏を 

「みんなでやってみない?」と

誘ってみたところ、

「是非やってみたい!」との返事。

 

 

そこで、有志6名が集まりました!

 

ここから物語が始まりました。

☆ヴィトリア太鼓物語!!

 

 

 

最初は、まず「意志」の確認!

 

福岡の中学校で、

まちの文化財ともなった「南陵太鼓」には、

単なる伝統文化だけでなく、

精神的な心構えの存在が

大きく関与します。

 

演奏には集中力と和の心が欠かせません。

 

 

やるからには、かなり厳しく徹底的に

指導するが大丈夫か?と。

 

 

全員の回答がYESでした。

 

 

日系協会文化部内に、

ヴィトリア太鼓クラブが発足した

瞬間でした。

 

 

早速、翌日から練習開始。

 

文化部長のI氏が顧問に就任。

*I氏:卒業証書授与式の写真、右側の男性

 

 

私が指導者。

6名と私の2人3脚で、

3週間後のFEIRA CAPIXABA

(フェイラ・カピシャーバ:州の祭り)での

演奏に向けてスタートしました。

 

 

この時点で、太鼓なし・バチなし・

資金なし・曲目なし。

無いない尽くしの何もない本当の

0からのスタートでした。

 

 

あるのは6名と私のやる気だけ。

 

 

それと、ヴィトリア日系協会という、

やる気のある人の集団がいる

団体の存在。

 

このバックアップがあってこそ

生まれた太鼓クラブ。

出会いの大きさを痛感しました。

 

結果。

3週間後のイベントで、

一番大きなステージ上に6名がたち、

300名は超える観客のもと、

堂々と演奏し拍手喝さいを浴びる

若者たちが輝いていました!

 

 

 

演奏後の拍手の後、

退場してきた6名のそれぞれの顔に、

生き生きした輝きと、

頬から流れる感動の涙が、

すべてを表していたと感じました。

 

 

 

練習期間中には様々なドラマがありました。

 

 

祭典での演奏直前の3日前、

太鼓リーダーのお母さんの

突然の不幸。

 

そのため、

演奏キャンセルも考え

色々と相談しました。

 

 

しかし、リーダーの父親の一言が

みんなを大きく動かしました。

 

「家内は天国で演奏を聞きたいはずです。

息子たちをステージにあげてください!」 と。

 

 

それを聞いたみんな、

心が一つにまとまりました。

 

練習時間も少なく、

最初は太鼓もなく、

ないないないの

何もない状態からのスタート。

 

ほんとに奇跡的な時間でした。

しかし、みんなで「やる」と決断したことで、

無から有を生み出せるということを

成し遂げた若者たち。

 

結果を引き寄せてしまいました。

 

 

演奏当日までの練習は

色んな事がありました。

 

まず、演奏用の太鼓は

リオデジャネイロから借りました。

 

 

片道500キロ。

往復1000キロの道のりを、

I氏と2人で車で運搬。

 

夜中をぶっ通し。

たかが1個の太鼓の到着に

メンバーは歓喜の声。

日本では有り得ない光景。

 

そして、太鼓の到着と共に

練習の質が上がりました。

 

 

そして、近隣のお寺からも小さな

太鼓を借用。

 

 

たった2個の太鼓が、

ブラジルの地・ヴィトリアの

州の祭典の夜空に鳴り響きました。

 

 

州の祭典での彼らの姿に、

たくさんのブラジル人から

惜しみない拍手が

鳴りやみませんでした!

 

 

感動に目頭が熱くなりました!!!

 

 

*「決断と実行」…これが感動につながっていく事

            を体験として学びました!

 

 

そして、この時の噂が瞬く間に広がり、

あちこちから演奏依頼が入りました。

 

 

 

しかし、太鼓クラブには太鼓がありません。

 

祭典後の翌日にまた、

リオへ太鼓を返しに往復1000キロ。

 

その後、演奏依頼があるたびに、

太鼓の借用のためのリオ詣で。

 

 

I氏やT氏に同行してもらい、

太鼓の旅をすること8往復。

 

 

そんないきさつもあり、

自分たちで自分たちの太鼓を購入しよう!

 

そういった意見が日系協会の役員たちの

間に広まっていきました。

 

 

そして、「焼きそばフェスタ」を企画。

収益で太鼓の購入計画を、と

進んでいきました。

 

 

地元新聞社も大きく記事を載せました。

 

2回のイベントでの収益を、

ブラジルで作る太鼓の購入に充てました。

 

そんな折、またしても朗報が。

運が運を引き寄せる感じでした。

 

 

サンパウロでの日本ブラジル友好100周年の

記念事業での演奏依頼。

 

 

願ってもない大きなステージ。

 

協会としても演奏受諾。

そのための準備に入りました。

 

 

そこでもまた、朗報。

丸紅ヴィトリア支店長からの提案。

 

 

東京本社の慈善事業の一環で、

太鼓を寄贈したいと。

 

 

大きな長胴太鼓を2個。

一同感謝でいっぱいでした。

 

*2個の長胴太鼓が空輸で到着
*右は丸紅ヴィトリア支店長のN氏

 

 

そして、リオ総領事館からも支援の声が。

 

 

「奥先生、太鼓は僕の個人的な

持ち物として空輸するよ。

外交特権を使いましょう」と。

 

N総領事の嬉しいお言葉でした。

 

 

ヴィトリア赴任3年目、

任期最後の年の12月。

 

 

14名に増えた太鼓部員が、サンパウロの

ステージで感動的な演奏を披露。

 

 
*東海大学のS先生が個人的に寄贈
 全部で4個に!!!
 
*練習風景
 

 

終了後、この時も拍手が鳴りやまず、

日伯文化協会の役員から

感謝の言葉を何度も頂くことになりました。

 

 

この時以降、ブラジルに太鼓の波が

大きくうねりだすようになったそうです。

 

 

ブラジルの大地に根付いた和太鼓!!!

 

思いを形に、無から有へ!

 

創造することの喜びを

ヴィトリアの太鼓部員は

体験で身に着けたことだと思います。

 

 

 

*因みに、リオ往復の太鼓は、

日本人移住地(フンシャール移住地)の太鼓でした。

 

帰国後判明しますが、

現・上皇陛下が皇太子時代に

お忍びで出向かれた地がフンシャールでした。

 

出会いとつながりの不思議さを痛感することになりました。

 
 
以上、ブラジルで和太鼓が産声を上げた物語でした。