2024年1月25日、ある雪の降る寒い日に僕の愛する猫、アスラは逝ってしまった。急性の膿胸という病気らしく、入院してからたったの三日だった。

 

 

 

 あまりに突然のことで頭の整理が付かない。ほんの一週間前には家で元気に走り回っていたのに……。そう思うと心が持たない……。

 

僕は生まれたときから猫と共に生き、彼らに大事なことを教わってきた。そのせいかはわからないが、僕はどんな命も大切にして生きてきた。

 

そんな僕が捨てられている子猫など放っておくことなど出来るわけもなく、八匹もの猫たちとともに暮らしていた。その末っ子なのだ。アスラは……。

 

 

 

毎日、仕事前に病院を訪れた。彼に最後に触れたのは25日の木曜日の昼、よだれがひどく、看護師に拭かれるのは嫌だったようだが、僕が拭くと嫌がらず、元気だったあの頃のように、目を閉じておとなしくしていた。

 

だからきっと大丈夫だと思った!

 

きっとまた一緒に暮らせると思った!!

 

 

でも、その夜、病院から連絡が入って、駆け付けたときにはもう冷たくなっていた。何度も呼んだ!呼んでも呼んでも駄目だった……。

 

病院を出て、彼の入ったケースを抱きかかえ『アスラ、やっと家に帰れるよ』と言った僕は、涙を抑えきれなくなって車を出せなかった。

 

 

 

何度か別れを経験したが、この喪失感は慣れるものではない。なぜにまだ八歳の彼が、死ななければならなかったのか?

 

 確かにアスラは苦しそうだったが、やっと楽になれて良かった、などと納得できたことなど一度もない。

 

 翌日、ペット霊園を訪れた。火葬の前、好きだった毛布にくるまれて、最後のお別れを告げるとき、アスラの目には涙が浮かんでいた。

 

それを見て、その日、必死に我慢していた涙は限界だった。

 

そしてアスラは空に帰った。

 

 

 

 

それから僕は毎日、アスラに尋ね続けた。

 

「そっちはどうだ?寒くはないか?暑くはないか?お腹は減ってないかい?悲しくはないか?寂しくないかい?」

 

 

 

生物は死んだときに、限りなく時間が止まっている状態に近くなるのだという。これは意識が素粒子に属するもので、光速度不変の法則によるものだと思うが、もしもそうなのなら、

 

「ほんの少しだけ待っててくれ。ほんのひと眠り。次に目を開けたときには……、僕も、お前の好きだったみんな、お前と一緒にいるから……」

 

僕にはまだ七匹も子どもたちがいる。まだそちらに行くわけにもいかない。

 

でも

 

「どうしても寂しいなら、どうにかして呼んでくれ。すぐに……そっちに行くから……」

 

彼が亡くなってから涙しなかった日は無い。それは一週間、一か月経っても同じだった。

 

 

神も仏も地蔵も信じようなどとは思わない。

 

無宗教でよかったと思ったが、それでも、初七日、月命日には、儀礼として、アスラの骨の前で般若心経を唱えた。

 

 

 

それから約一か月弱、僕はコロナにかかった。コロナ禍であっても全くそんなものとは無縁だったのに……。

 

40度を超える熱が出た。僕は小さな学習塾を経営しているのだが、受験前にも関わらず、約1週間も塾を閉めなければならなかった。

 

声が出ない中、電話で生徒たちに謝り、家で寝ていたのだが、アスラはもっとしんどかったんだ、と考えると、全く苦にならなかった。

 

毎回、もう起きることは無いのかもしれないな、と思いながら目を閉じるベッドの中、

 

(僕が死ねば生命保険もおりるし、家のローンも払わなくてもよくなる。この子たちを任せられる相手も一応いる)

 

そして

 

(ひょっとしてアスラが呼んでいるのかな……。なら、行ってやらないと……)

 

という思いが強く頭に浮かんだが、

 

「アスラちゃんが、あなたが苦しんで死ぬのを望むわけがないでしょう。それはアスラちゃんに失礼だとは思わない?」

 

 

という、友人からのメッセージに自分の考えを恥じた。だが、

 

(最悪、あっちにはアスラがいるから、死ぬのもそれほど悪くない)

 

という思いと同時に、『誰かを愛するのは良いことだ。そしてそれを失うのはその次に良い』と言ったニーチェの言葉の意味、

 

(今までこの言葉の意味がわからなかったが、それは『自分自身の死への恐怖』が薄れるからなのか……)

 

なども思った。

 

 

そんな中、時折、「すまなかった」という声……というか、意識のようなものを感じたが、それは僕の不安定な精神が見せた幻聴なのだろう。断じてアスラじゃない。

 

 

 

コロナからもなんとか回復し、塾の生徒も全員合格し、アスラが死んでから49日が過ぎようとしていたとき、ふと疑問に思った。

 

(四十九日ってなんだろう?)

 

諸説あったが、『四十九日とは、輪廻転生において、生命が生まれ変わるのに必要とする最低期間である』。

 

これが一番好きだった。

 

一番年上の猫『ホーリー』は、生まれ変わって僕の所に帰って来た猫だ。((不思議な話)神さまに出会った話 | 先生の本当にあった怖い話 (ameblo.jp)参照。

 

そう言えば……ホーリーのとき、僕は神のような存在に出会っていた。あのとき聞いた声は……上記の「すまなかった」という声と似ていたような……。

 

物言わぬ骨壺の前で、僕は

 

「アスラ。世間はやっと暖かくなって桜が咲き始めたよ。お前もホーリーみたいにいつでも帰っておいで。でも……、そっちの方が幸せなら、そっちにいてもいい。ちょっと……寂しいけど……な」

 

と、僕は四十九日に手を合わせた。

 

ほんの二か月前にはアスラはここで元気に走りまわっていた……。今もふとした時に彼の幻を見る……。

 

 

あの時から僕の時間は止まったままだ。

 

 

その三日後、アスラが逝ってから五十二日後、仕事に行く為に車を出そうとした時に、ガレージの前を横切ったのだ。僕は思わず窓を開け叫んだ!

 

「アスラ!!」

 

続く……