昨日は大学時代のゼミの恩師を偲ぶ会を行いました。

学校の国際会議場を使わせていただき開催した会。

先生のご家族を招いて、厳粛に、しかし盛大に行いました。

 

集まった人数は100名以上。

先生がいないにもかかわらず、これだけの人数が上は1期から下は32期まで、よくぞ集まってくれたものだとあらためて先生の教育者としてのすばらしさ、人づくりをしてきた先生の思いを、この人数を見て実感しました。

 

今回は追悼集も作りました。

そこに追悼文を背OBから集めて編集したのですが、そこにも大勢のOBから寄稿文が集まり、100ページほどのしっかりした冊子になりました。

「大学の経済研究のような論叢(ろんそう)のようなイメージできちんと作りたい」という編集メンバーの希望で、こちらもきちんとした冊子を作りみなさんに手渡すことができました。

 

(写真 国際会議場に集まった面々)

 

私たちのゼミは学校でももっとも厳しいと言われていたゼミ。

なんでそんなゼミにわざわざはいるのか?とその存在を知る友人からは「やめたほうがいい」と忠告を受けるほどのゼミでした。

それは先生が「激しさ」を求めていたからです。

激しく、徹底的に学ぶこと。これがわれわれのゼミでした。

 

しかしそこでの学びは有用で、今もゼミのOB同士で論争ができるほど、とにかく読まされ、考えさせられて、書かされて、話をさせられ、討論させられます。

その繰り返し。

 

つらい時も多かったですが、やりきった、充実した感じのことをよく覚えています。

そんな関係のつながりの方々なので、見ていて本当に仲がいいし、あたたかい空気感のまま、品を保ったまま会を進行できました。

 

私は司会だったので、先生のいない会がどのような形になっていくのか、個人的に心配しながら進めていたのですが、そんな心配は無用でした。

 

それぞれが節度をもって、関西方面からわざわざ上京してくださって先生のご家族に接していただき、和やかな懇談の場となりました。

 

ご家族が「先生が大好きだったゼミ生全員の顔と名前を覚えたい」という希望もあり、集まった全員がご家族と会話を交わすことができ、一つの目的を果たせました。

 

このゼミのつながりが深いのは、やはり接してきた時間の長さ、接触頻度にあったと思います。

先生の本ゼミがあり、2年上の先輩のサブゼミ、1年上の先輩のサブゼミ、卒業されて大学院にいった先輩のサブゼミ、そして自分たちだけの自主ゼミ、後輩を教えるサブゼミ。

実に週に6回のゼミがあるのです。

これだけ顔をつきあわせてきたので、先輩や後輩との仲が良いのです。

 

まさに同じ釜の飯を食ってきた仲間。

その仲間がつくる良い雰囲気、そのつながりは、今後も続いていくでしょう。

 

ゼミという場。そしてこのゼミに所属できたことに心から感謝し、そんなゼミをつくってくださった先生に心からありがとうと伝えられた一日となりました。

このような場を私も作っていきたいと思っています。

 

学び、向上し、つながりの強い仲間づくりを続けて行きます。

 

今日もともに学び、ともに成長していけるいける!!