今朝の新聞に、イオンが特定技能をもつ外国人4000人をグループ全体で受け入れていく方針があること発表していました。
清掃や総菜加工など特定技能を持つと認められた外国人を登用。
いずれはグループ外にもその人材を派遣していくことも視野に入れているようです。
それだけ人材獲得が難しい時代に突入しているということです。
特に、イオンモールなどの大型商業施設の清掃業務などはそのような人材に依存しているということでしょう。
先日、清掃のプロという方にお話を伺う機会がありました。
その方は新津春子さんという方。
まちがいなく日本の清掃のプロフェッショナルの方です。
新津さんは羽田空港の日本空港テクノという会社で働く、まさに特定技能を持つ方です。
しかも広大な面積をもつ羽田空港の清掃を仕事にする方。
新津さんは羽田空港を世界一きれいな空港にした立役者だということでした。
(写真 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」より)
新津さんのプロフィールは以下の通りです。
1970年中国残留日本人孤児二世として、中国瀋陽に生まれる。
中国残留日本人孤児であった父の薦めによって一家で渡日。言葉がわからなくてもできるという理由で清掃の仕事を始めて以来、25年以上清掃の仕事を続ける。
1995年、日本空港技術サービス(現:日本空港テクノ)に入社。
97年に(当時)最年少で全国ビルクリーニング技能競技会一位に輝く。以降、指導者としても活躍し、現在は羽田空港国際線ターミナル、第一ターミナル、第二ターミナル清掃の実技指導者に加え、同社ただ1人の「環境マイスター」として、羽田空港全体の環境整備に貢献するとともに、次代のマイスターを育てる活動を行っている。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)で2回にわたって取り上げられた。
(以上ここまで)
新津さんは私と同い年。
中国ではその当時はまだ配給制だったと言いますから、今の中国とは雲泥の差があったのでしょう。日本語を誰一人話せるわけでもなく、知人も親戚もいるわけではもない日本に家族全員で渡日したというのもなかなかです。
中国残留孤児二世として中国では「日本人」と馬鹿にされ、日本に来たら「中国人」とののしられる。
自分はいったい何人なのかと悩んでいたことがあったと言います。
しかし新津さんは「清掃」の仕事を始めて、その仕事にはまっていき、ついには清掃では日本でNo.1の称号を手にして、清掃をするプロとしては業界では知らない人はいないほどの存在になりました。
書籍も10冊以上だされています。今ではメーカーが新津さんとコラボして商品をだすほどです。
新津さんは今も日本語がそれほどうまく話せるわけではありませんずか、話の内容はとてもおもしろく、実技も含めて教えてくれました。
掃除をするために使うタオルのたたみかた(16面を利用するそうです)。
雑巾の持ち方。
搾り方。
モップの水道での洗い方。
いろいろな掃除の仕方を教えてくれました。
しかしそんな新津さんでも毎日毎日モップを使って羽田空港の南と北のトイレ掃除をし続けると飽きるのだそうです。
飽きないようにするにはどうしたらいいか。
そのポイントは「工夫するのです」ということでした。
昨日、左から掃除をしていたら今日は右からする。
一番汚れの目立つところから掃除をする。
毎日工夫して作業をする順番を変えていくと、「景色が変わるので飽きないのです」と言います。
以前、イエローハット創業者でありお掃除哲学の鍵山秀三郎さんにお話を伺った時にもまったく同じことをおっしゃっていました。
「工夫することですよ。工夫すると掃除が楽しくなります」
と私は教えてもらいました。
新津さんもまさにそんな工夫を繰り返して、清掃を極めていったということでした。
どんな仕事でも極めていくというのはすごいこと。
しかも一番になっていくためには時間がかかります。
新津さんにしても30年やり続けて業界のトップに。
今では自分のオリジナル清掃キットを販売するまでになっていますが、始めた時にはアルバイト。
毎日働いて月給は12万円だったそうです。
そこから這い上がってきたのです。
清掃の仕事をやり続けなかったら生きていけなかったから。
食べられなかったからです。
なんとしてもこの仕事で生きていくんだ という強い意識。
自分の力で生きていくんだという強い自立への欲求。
それが人をプロにしていくのだということを実感しました。
今日もプロとしての仕事をしていけるいける!!