原付(げんつき)免許。
私にとってはそれは憧れの免許でした。
友達の中でバイクのレースにでていたO君は免許を高校時代にすでに持っていて(原付免許だったのかどうかは明らかではない)、原付にも乗っていました。
高校はもちろん自転車もしくはバス、徒歩しか認められていなかったため、原付で来ることはありませんでしたが、時々聞くバイクの話はおもしろく、高校生でバイクにのれるなんて!!とうらやましく感じていました。
そこで、私は時々、親が持っていた原付を家の近くで乗ってストレス発散していました。
車が走る道路まででていく勇気はありませんでしたが、周辺の車があまり通らない道路を原付に乗って行き来するだけでも、何か特別な体験をしているような気がして、とても楽しい時間でした。
その時に乗っていたのが、ホンダのスーパーカブ。
50cc(実際には49cc)のスーパーカブC100というものでした。
このバイク。私の母親が乗っていたのですが、「乗りやすいからこれしか乗らない」と言っていたほど。母は自転車は乗れなかったのですがスーパーカブは乗っていました。近所に野良仕事に行くときや、ちょっとした買い物の時にはスーパーカブ。街に出ていくときには車と使い分けていました。
自転車に乗れない母親がスーパーカブは「乗りやすい」と言っていたほど、誰でも扱えるバイクだったことが今考えてもすごい一品だと思うわけです。
スーパーカブはデザインの完成度が高く、おそらく当時から今に至るまでほとんど変わっていないデザインではないかと思います。
このスーパーカブのデザインを担当したのが、入社2年目(?)のホンダの木村譲三郎さん。
バイクのデザイナーとしては超有名な方です。
木村さんのスーパーカブ開発秘話はこちらにインタビュー記事があるのでお読みいただけるとわかります。
(写真 スーパーカブ ヤングオートより)
「スーパーカブのすべて」
これを読んでいると木村さんがホンダのおもしろさ、変わったところにひかれて入社し、会社でモノづくりにかかわっていたことがわかります。
伸び続けている会社の雰囲気が伝わってきます。
若さ、勢い、世の中に新しいものを提供したいという情熱。
ワクワクする雰囲気がつ他割ってきます。
そんな中で開発されたのがスーパーカブ。
本田宗一郎さんからは「手の内にはいるものをつくれ」という一言が伝えられたとか。
手の内に入るくらい小さいものを作れという意味ですが、そこには、誰もが買える価格で誰もが乗りやすくて、どんな職業の人にも使えるという狙いがあったのだと思います。
上記のインタビューの中では、「女性でも扱えて、蕎麦屋が片手でも運転で来て、しかもパワーがある小型のバイク」です。
それを作れれば「世界で売れる」ということは本田宗一郎さんや藤沢武夫さんはわかっていたのでしょう。
結果的にこのスーパーカブは世界で1億1000万台以上生産し、世界でもっとも売れた二輪車となったわけですが、ホンダの成長を支えた超売れ筋単品であったことがわかります。
そのスーパーカブを含む50cc以下の原付をホンダは生産終了することになりました。
一番の理由は25年11月に導入される新排ガス規制に対応できなくなること。
これにあわせて作ろうとするともっと排気量が大きいバイクよりもコストがかかり価格が上がってしまう。
50cc以内で新規制にあわせることが難しいことから、辞めざるを得ないと判断したようです。
スーパーカブの50cc以上のものは生産を続けるそうなので、すこし大型のものは今後もでてくるでしょうが、一番の商品であった50cc以下のスーパーカブがなくなるのは時代の流れを感じます。
しかし70年ほど作られ続け、世界でもっとも売れたバイクを企画開発したホンダはすごい会社だと思うのです。
今日もスーパーカブのようなロングセラー商品に学んでいけるいける!!