お客様と一緒に福島第一原発に7~8年ぶりに行ってきました。

4年前にも行くチャンスはあったのですが、なにせコロナの時期だったこともあり、福島に行くこと自体ができなくなり、視察もなくなってしまいました。

 

2017年ごろに初めて行った際には帰宅困難エリアがまだ広くあり、周辺の街にはほぼ住民のみなさんが帰っていないころでした。

第一原発には原発資料館という場所からバスで15分くらいかけていくのですが、資料館で荷物などはすべて預ける必要があり、スマホもすべて資料館に置いていかなければなりませんでした。

理由は、帰宅困難地域を通っていくからです。

通り抜けていく国道沿いには震災で破壊された商業施設や民家がならんでいて、その前にはバリケードがはられ、ものものしい雰囲気であり、かなりのリアリティーをもって私に訴えてきたのを覚えています。

震災とはこういう日常を一瞬にして壊すものなのだというリアリティーです。

 

今回変わっていたのは、まず、資料館の2Fがシアターのようになっていて、震災からここまで東京電力がどのようなことを考えて何をしていくのかという使命感のようなことをまとめた映像を見てから、バスに乗るようになっていました。

 

バスにはスマホももっていくことができて、荷物をもってバスに乗れました。

 

バスで移動する際には震災で破壊された建物が今も並んでいるのかと思いきや、ある建物は取り壊され更地になり、あるところには新しく住宅が建てられていた李、あるところは田んぼだったところに草が生い茂っていたりする光景に代わっていました。

もともと帰宅困難エリアだったのが解除され、このエリアも戻ろうと思えば戻れる場所になってました。

時間の経過とともに確実に変わっていっていることがわかりました。

まだまだこれからこの地域には手が入り、変わっていくのだろうと感じました。

 

(写真1 オープン前日の震災でオープンできないまま今にいたるケーズデンキ)

 

(写真2 使用できなくなった建物の周辺では新しい住宅も建設されている)

 

第一原発に到着するとそこからは厳重なチェックを受けて視察のバスに乗るのですが、さすがに原発の中はスマホや金属類なども視察エリアに持ち込むことはできません。

それらをすべておいてバスに乗り1時間の視察をしてきました。

 

以前見た時にはまだまだ1号機、2号機も爆発したあとのなまなましい姿を見せていましたが、1号機以外はすべてまわりの囲いができていて、廃炉に向けたさまざまな作業が進行しているのがわかりました。

汚染水対策も入念に入念なる汚染水対策をして、海洋放出するまでの流れも説明を受けました。

これは同社のHPにも詳しく書かれています。

 

 

廃炉推進カンパニーの方からお話をうかがい、元・東京電力幹部のIさんから直接質問させていただきながら実際に現場を見て、同社職員のみなさんが、重大なる責任感のもとで仕事をしている意味とその姿勢に私は共感しました。

 

そしてそれを安全に、確実に進めていく毎日の仕事の一つ一つに気を抜けない毎日。

かなり大変な仕事だと思います。それをやり続けているからこそ、ここまで進んでいるのだということが見ることでよく分かります。

毎日毎日、働いている職場をなくすために仕事をしているのです。

復興という大きなテーマのもとでの使命感ある仕事。

 

私たちも普段の仕事をここまでの思いをもって取り組まねばならないとも思います。

 

見ないであれこれ言うのはやめたほうがいい。

事実を見て、事実を知って、その上で語らなければいけないということもあらためて実感した一日となりました。

 

これからまだ数十年以上続くと思われる廃炉推進作業。

そして福島の復興に向けた取り組みの数々。

まだ復興途上の最中にあります。

 

私たちにできることを考えて私も取り組めることを考えて実行していきたいと思います。

 

今日も現実を見ていけるいける!!