ウェディングドレス。

ブライダルビジネス。

ブライダルファッションデザイナー。

 

こうした言葉と桂由美さんという方はほぼイコールで語られます。

まさに日本のブライダルビジネスをゼロから作り上げられた第一人者。

ゼロイチビジネスの先駆者のおひとりと言ってもいいと思います。

その桂由美さんが亡くなられたということです。ご冥福をお祈りいたします。

 

桂由美さんが素晴らしいと思うのは、デザイナーであり、経営者であり、店頭で接客和する販売員としても最後までご活躍されていたことです。

 

まず桂由美さんのつくるウェディングドレスは、なによりデザインが美しい。

ライン と言いますが、ドレスを身にまとった時に、日本人の身体に合うように作られているマーメイドラインを作られたのは桂由美さんです。

 

海外の方のように体のメリハリがそこまでなかった日本人女性がドレスを着ても、貧相にならないように工夫して作られたデザインです。

 

とても手が込んでいますし、とにかくデザインが美しい。

ドレスを着ない男性から見ても明らかに一番いいデザインなので、それを選びたくなる気持ちもわかる というデザインです。

他に比べると高いものが多いのですが、明らかにデザインがいいため、結局、桂さんのドレスに落ち着くという方も多いのです。

 

(写真 桂由美オフィシャルウェブサイトより)

 

 

結婚式、披露宴において、一番の主役は昔も今も花嫁。

花嫁を主役たらしめているのは、まちがいなくウェディングドレスです。

このドレスがあるからこそ主役として際立つようになっています。

そのドレスは今ではブライダルビジネスの中心にいますが、桂由美さんがウェディングドレス専門店を赤坂に開いた時には、まだ日本人女性の3%程度しか結婚式でドレスを着ることはないという時代だったそうです。

 

市場がなかったわけです。

そんな中でウェディングドレス専門店を作るという大胆さ。

世の中にそれまで存在しなかったものを世に出していく際には、二つの考え方があります。

 

一つは、商品が売れていないから商品そのものに需要がない。これは売れそうもないからあきらめようという考え方。

もう一つは、商品がないということは、これからチャンスがある。今は需要がないけれど、きっとこれから時代が変わり商品が支持されるようになるはずだから、この市場をつくっていこうという考え方です。

 

桂由美さんは後者の考え方をもっていた方です。

その点で、ベンチャー的思考をもっている経営者とも言えます。

 

初年度100着の注文を受けながら、実際に販売したドレスは30着だったという話を聞いたことがあります。

なぜ100着の注文があったのに売れたのは3割だったのか。

当時は花婿の親御さんにとても力があったため、お嫁さんがドレスを着たいと言っても、「そんな貧相なものはやめなさい」と否定され、着物に落ち着くというパターンが多かったのだそうです。

桂由美さんにとっては屈辱の日々だったでしよう。

 

店の2階に寝泊まりし、自分の給料は最低賃金にして、お母さんの経営されていた洋裁学校からの給料もブライダル事業につぎ込みながら、店の販売員の給料にまわしてなんとか10年やりくりして続けてきたと言いますから、あきらめないで続ける力をお持ちの、すごい経営者だと思います。

 

こうしたことを繰り返し、あきらめずに頑張っていたから、世の中が1970年代から80年代にかけて、婚姻数も増え、結婚式や披露宴がだんだん豪華になり、それにあわせてドレスと着物の両方を着る方も増えて、次第にドレスが定着していったのです。

 

このような継続の力こそが桂さんの原点。

常に海外視察を繰り返し、日本人に少し先の未来を提案することを続けてきた方。

 

柔軟な発想で、しかも、ドレスだけを世の中に提案したのではなく、和装も洋装も両方大切という「和洋両立」を提唱した方でもあります。

 

自分の作るドレスにこだわったわけではなく、花嫁にとって、最高の舞台を準備することを考えた方なのです。

 

だからこそ、最後まで店頭に立ち、亡くなられる5日前か6日前までお客様に接客をされていたという話は驚きました。

最後まで現場主義。お客様と直に接して、お客差をほめる。

お客様は桂由美さんが現場にいるとは思わないから、接客を受けて感動する。

そんな場面を私も見たことがあります。

 

お客様と直に接することを続けてこられたから、いつまでも最先端のデザインを提案し続けられたのでしょう。

 

デザイナーであり、経営者であり、販売員でもある。

私もそのような姿勢に学び、仕事をしていきたいと思います。

 

今日も現場を大切にしていけるいける!!