100円ショップのダイソー。

大創産業の創業者で、100円ショップを一つの業態として認知させた立役者がダイソーの矢野博丈会長です。

 

今やダイソーは5500億円の売り上げ。

店舗数6338店舗。

そのうち海外店舗は約2200店舗。

50年でここまでの企業に育て上げた中心人物が矢野会長でした。
その矢野会長がお亡くなりになりました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

(写真 新しいイメージカラーのダイソー店舗)

 

矢野会長と初めてお会いしたのは今から15年前。

2009年ごろだったと思います。

私の講演を聞きに来てくれたのが最初でした。

 

たまたまその日は東京で講演があったのですが、矢野会長も東京で前後に仕事があったのですが、

「講演とそのあとの懇親会の時間だけ空いているのできました」

と言って一番前で話をきいてくれました。

懇親会でも隣に座られて

「実は以前から何度か話を聞いたことがあったんですが、今日は話もできてよかった。いい内容でした。」

とほめていただき、

「ここに電話してくれたらいつでも時間作りますから広島の本社にぜひお立ち寄りください」

と携帯電話の番号を残して去って行かれました。

 

それまでの間、ダイソーは大きくなったけどこんなに大きくなるとは思ってもいなかったとか、潰れると思ってやってきたとか、うまくいかないことだらげだったという話を楽しそうに話をされていました。

 

さらに、今は海外のほうがすでに店舗数は多くなっているけど、国内にしっかり目を向けてやっていかないといけないと思う。

国内の店舗の新しい形を考えているので相談にのってほしいという話もありました。

 

とにかく次から次に質問があり、この方は好奇心旺盛な方なんだなあというのが最初の印象でした。

 

そして、とにかく成功の3条件を持ち合わせている人だなあというのが矢野会長の印象でした。

 

成功の3条件とは、

プラス発想

素直

勉強好き

という舩井幸雄が提唱した内容です。

 

もともと100円ショップも狙って始めたわけではありません。

水産業や土建業や百科事典セールスマンやさまざまな事業をやってうまくいかなくて、最後に兄弟に借金をして東京に夜逃げしてきて仕方なく始めた移動販売店がその原点です。

 

開店準備をしているとお客さんが次々にやってきて「これなんぼ?」と聞いてくるので面倒だから「100円でええよ」と答えたのが最初。

これは、あれは?と聞かれるからそれも100円で と言って100円ショップの原型がスタートしています。

 

根入れや粗利を考えてつけたのではない。

100円ですべてを販売する店を作ったら当たるかもと考えたわけでもない。

海外にダラーストアという1ドルで販売する店があったから真似をしたのでもない。

オリジナルです。

しかも、面倒だったから。

 

これがダイソー100円ショップのスタートです。

 

とにかく生きていくので精一杯。

うまくやってやろうというより、なんとか商売で身を立てて生きていくことだけを考えてやってきたのが矢野会長の商売スタイル。

だから商売が行き詰まっても、まあなんとかなるだろうと次へ次へと頭を切り替えるということができたのです。

 

本当のプラス発想の人です。

「仕方ない」

という言葉もよく使われていました。

 

それは仕方ないんですよ、そういうこともありますよと自分を切り替えるための言葉として矢野会長は使っていました。

 

ポジティブ思考で頭を切り替えていくというのではありません。

「仕方ない」と諦めて次に向かうエネルギーをだしていく。

「仕方ないものは、仕方ない」

 

という発想です。

これこそ矢野会長の行動の原点。

そして矢野会長の発想の原点だったと感じます。

 

商売を始める時に本名では威厳もなく言いづらいから、奥さんの旧姓の苗字である「矢野」と、商売的に合っている名前を見てもらったら「博丈」という名前を提案されたのでそれをそのまま使うようになった という話も、矢野会長らしいこだわらない発想です。

 

矢野会長のような大胆で斬新な発想力には見習わねばならない点がたくさんあります。

私もそうした大胆な発想力、行動力を持って事業を進めていきたいと思います。

 

成功の3条件を守っておられた矢野会長に敬意を表して今日もいけるいける!!