◇編集会議 2024  6/7 zoomにて

 

「思考」と「村社会」を超える道を探る

 

那=那智タケシ(無我研代表・作家)

高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

土=土橋数子(ライター)

 

●マルクスを文学的に読んだ柄谷行人

 

 高 今、柄谷行人読んでいるんですよ。

 土 読破できる頭脳があるのがすごい(笑)

 高 彼の昔の本は難しいんですけど、21世紀になってからは割とわかりやすくものを言うようになって。

 土 そうなんですね。

 高 中々面白いんですよ。資本主義をどうやって乗り越えるか、みたいなことを哲学的に語ってて。実際、社会運動みたいなのものも一時やっていたり。

 土 そうですね。何でしたっけ?

 高 NAM(ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント 資本と国家への対抗を目指す社会運動体)。

 土 坂本龍一とかも。

 高 そう、坂本龍一とか、浅田彰とか。それは2年くらいでぽしゃったんですけど。

 土 ええ。

 高 その後もいろいろ模索してて、まぁ、面白いことを言っているなって。

 那 さすがに柄谷行人を読もうって気持ちになったことがないな。小難しいこと言ってそうで……

 高 僕もそういう風になったことなくて、全然読んだことなかったんですけど。

 土 でも、何か最近、国際的な賞をもらってましたよね?

 高 そう、哲学賞(米シンクタンク、バーグルエン研究所から2022年の「バーグルエン哲学・文化賞」を贈られた。「哲学のノーベル賞」を目指して創設された賞。柄谷氏は従来のマルクス主義の考えに大胆に挑戦して、「生産様式」ではなく「交換様式」という独自の概念で歴史の展開を捉えた点を評価された)。

 土 日本では「左翼だ」とどこかバカにされた雰囲気があったと思うんです。本当はもっとちゃんとした評価がされるべき人だったんじゃないですか? かわいそうと言うか、適正な評価じゃなかったような気がする。

 高 でも、あの人はいわゆる日本の批評家の中では一番評価されている人ではないですかね? 世界的には。

 那 何か村上龍との対談を読んだ時にちょっと面白いことを言っていたね。一時神秘主義にはまっていたとか。

 高 EV.Cafe?(『EV.Cafe 超進化論』)

 那 だっけ? あれで読んだことあるな。けど、あれ(神秘主義)は違った、みたいな。

 土 ああ……昔の私の友達で奥崎謙三を尊敬していた人がいて、柄谷行人と一緒に一般参賀に行って。二人で。

 高 参賀? 皇居の?

 土 そうです。その当時、何か奥崎ファン同士で。柄谷さんも奥崎さんのファンだったんです。

 高 そうなんだ。

 土 当時、けっこう文化人も何かそういうムードがあったんですよ。

 高 応援しよう、みたいな?

 土 原一男の映画(『ゆきゆきて、神軍』)が出た頃。それでたまたま柄谷行人と一緒に行って、何とかかんとか言ってましたよね。めちゃめちゃ昔ですよ。家まで行ったようなことを言ってましたね。ただ、左派の側からと言うか、奥崎さんが面白いとその時は思っていたんじゃないですかね? 『憲法の無意識』とか読みましたけどね。

 高 まぁ、あれはよくわからないですけどね。

 土 (笑)

 那 どういう方向性で何を言っている人なのか、俺なんか見当もつかないですね。まったく読んでこなかったから、柄谷行人。

 高 でしょ? 僕もそうだったんで、かえって新鮮に読めたんですよね。

 土 ああ……

 那 読んだら読んだで面白いところあるんだね? わかるんだ?

 高 流れで読んでるからね。東浩紀を読んだ上で、そこから柄谷行人を読んでいるから、とっかかりがいちいちあって、自分の中での理由付けがあるから読めるんで、そういうのがない人がいきなり読んでも面白くないかもしれないね、そこはね。

 那 何か哲学者とも違う感じじゃないですか? 純粋な。

 高 だから批評家ですよね、まず。文芸批評家。夏目漱石とか近代文学とかの批評をやって、そこからマルクスの本を経済学者的にではなくて文学的に読む、というのかな。

 那 へぇー。

 高 そこから独自の批評を展開していった。だから少なくともオリジナルの何かを考えよう、という、そこだけは評価できるよね。他人の真似事じゃなくて自分の頭で考えよう、という姿勢? 

 那 うん。

 高 それを貫いて、今の21世紀の資本主義を考える、という問題まで来たという流れを見てゆくと、まぁ、これはこれで自然だ、とは思うんだけど。

 土 うん。

 高 もちろん、評価できないこともいろいろあるけどね。

 土 何かネットのインタビュー見ると面白いですよね。

 高 何か持っている人ではある。

 

●日本の風土と合わないクリシュナムルティ

 

 高 クリシュナムルティが一回、日本に来そうになって立ち消えになった話があるんだけど、その頃、イヴァン・イリイチ(オーストリア、ウィーン生まれの哲学者、社会評論家、文明批評家。現代産業社会批判で知られる)という人が……

 土 ああ、教育関係の……

 高 そうそう、脱学校化とか、いわゆるフリースクールの元になったような思想家? 彼が何かクリシュナムルティと会ったことがあったらしくて、その頃に。

 土 ええ。

 高 イリイチは、「クリシュナムルティの言っていることは過激過ぎてついていけない」ということだったらしいんですね。

 土 ああ……

 高 イリイチは「学校とか今の社会制度とかはどうしようもないから、一からやり直さなきゃだめだ」と言っている彼自身がすごい過激な人なんだけども、その人ですら、クリシュナムルティはそれ以上に過激で「さすがにそこまでラディカルだとだめですよ」みたいな感じだったらしいのね。「クリシュナムルティの言うことはちょっとさすがに無理でしょ。そこまで根源的な改革は無理です」という話になったらしいんだけど。

 土 ええ。

 高 イリイチがその後、日本に来て、吉本隆明なんかと対談したんですけど、その時、吉本は「イリイチの言っていることはちょっと過激過ぎてだめだ」と。

 那 (笑)

 高 「こんなアナーキーなやつはいくらなんでもだめだよ」と言ったらしいのね。

 土 ええ。

 高 と言うことはやっぱり、クリシュナムルティは日本に来なくてよかったねってことなんですよね(笑)

 土 よかったね(笑)

 高 全然、クリシュナムルティを受け容れるだけの知的な基盤が日本にはないんだよね。

 土 吉本隆明なんて保守ですものね、晩年になったら。

 高 保守だけど、彼はまだ過激な方じゃない?

 土 まぁ、そうですね、日本においては。

 高 その彼ですから、「イリイチは過激過ぎる」と言って、そのイリイチが「クリシュナムルティは過激過ぎる」と言っているんだから、やっぱり駄目なんですよ。

 土 (笑)

 那 駄目と言うか、土壌が違うよね?

 高 日本に来ても、まったくさ、受け容れるどころか、話を聞く姿勢すら持てないような国なんですよ。

 那 ゆるい共同体ですからね、村的な。

 高 だから、那智さんの本が受け容れられるのも苦労する(笑)

 那 日本の土壌に合っていないのはある。別に、昔ながらの日本にいいところはもちろんたくさんあるんだけど、質というか波長が違うんですよね、やっぱりね。特に「星の教団」とか、「神智学」なんか、日本と一番合わない気がしません? ブラヴァツキーとか。

 土 うん。

 高 カルト的に見られちゃうよね。

 那 禅仏教とか、浄土真宗とかは合っている気がするけど、日本の土着的な風土に。

 土 うん。

 那 だから何か、「条件付けを一切捨てよ」とか、要は「村のルールも全部破壊して、捨てて、個人で生きよ」みたいな感じじゃないですか? クリシュナムルティなんてさ。でも、「やっぱり村的なルールも大事だよね」というのが日本人の中にあるから。それで上手くいっていた部分もあるし、島国特有の何かがありますからね。

 土 うん。

 那 波長が違うというのがあって。だから吉本隆明なんかはやっぱり何だかんだ言って日本人そのものだから、その枠の中で、新しいことを言っていても、外来の、しかもどの国でもアウトサイダーみたいな人が来たら、それはアナーキーどころじゃないというか、危ない人と見られちゃう、というのはあるかもしれないですね。

 土 だから、スピリチュアルを切り口にしてしか容認されない、と言うか(笑)

 那 そう、スピリチュアルの本棚にしか置いてくれる場所がないんだけど、俺なんかはスピリチュアル系の人と全然波長が合わないから、まだ文学とか詩をやっている人と波長が合う。だから日本だとコウモリみたいになっちゃうんですよね。どこにも行き場がないし、属せない。無我研もそうだけど。

 土 知的文化人とも、全然、別の方向性という感じだし。

 那 現代思想とか全然勉強してないしね。別のところで修行みたいなことはしているけれど。

 土 クリシュナムルティとか関心ある人もいないですものね、何か。

 

●戦後、「身体」を失った日本人の行方

 

 那 最近の現代思想の新書なんかは見るけど、いっぱい勉強してるな、とは思うけど、それが深い洞察に繋がっているかと言えば、まったくそれを感じないのね。浅いところで知的に遊んでいる、というか。キルケゴールとかニーチェを読んだ時のような深く刺さってくる言葉は見当たらない。まぁ、ちょっと次元が違うと感じる。文学でもカフカとか次元が違うけど、日本の今の思想家でそういう次元に達している人がいるとはとても思えないですよね。売れている人はね、特に。

 土 ええ。

 那 おしゃれだな、という感じの人はいるけど。千葉雅也とか。

 高 何であんなに売れているんですかね?

 那 哲学をあえて軽く表現して、おしゃれに、一般受けするように書いているからでしょ。まぁ、それも一つの仕事と言えば、意味のある仕事なんだろうけど……

 高 浅田彰の『構造と力』が売れたのもそんな感じだよね。

 土 ああ……私が本屋でバイトしていた時、あれがジャカジャカ売れてたんですよ、あの本が。ずーっとあれを売っていて、みんな読んでいるのかな、とか思いながら。

 那 リゾームとか何か言ってね。

 高 千葉雅也は80年代ポストモダンを現代に蘇らせようとするような人だから、浅田とは通じるものはあるよね。

 土 でも、浅田彰は今考えたら、悪くはなかったなって気がする。

 高 頭はいいんだろうけど、自分が率先して社会を変えていこう、とか、そういうところはないよね。

 土 普通にスキゾ・キッズでしたよね。

 那 だから戦後日本人特有の「頭」の人だよね。「身体」がある人ではない気がする。

 土 うん。

 那 江戸時代以降、日本人の身体意識はスカスカになってしまったという人がいたけれども、その通りで、現代の日本の思想家って「知」はあっても、「身体」がないんですよ。文学なんかもそういう傾向があって、自我の問題はすごい書けるけど、「身体」がないから、土着的なドストフスキーとかトルストイみたいなすごみもないし、自然にも繋がれない。

 ちっぽけな自我で苦しんだり、神経質になったり、夏目漱石なんかもそういうところがあるけど「こころ」みたいな。暗い話で終わってぶっとんだところがない。だから日本の文学は自然や、宗教性との繋がりの喪失という暗い話で終わっていて、そこには「身体」がなくなった日本人の問題があって、それは文学も哲学もみんなそうで、何か薄いんですよね。

 たとえば、知の権化みたいに見えるハイデガーだって何か言い知れないすごみというか、深みがあるでしょ。それは実存主義の流れを汲んだ深みがあるんですよね。それは「頭」だけの問題ではなくて「魂」とか「肉体」も含めてキリスト教とかギリシア哲学と向き合ってきた歴史があるからであって、今の日本人は「肉体」という感覚が薄れているような感じがしますね。

 それはやっぱり戦争で負けて、日本的精神とか武士道みたいなものが骨抜きにされてしまったことが一番の原因かもしれないけれど。その後のぬるい平和の中で高度経済成長があって、知的にだけ発達したジェネレーションが哲学やっても、所詮は向こうの二番煎じというか、世界的に評価されるような人はほとんどいない。「知」だけでは限界があるけれど、それを乗り越えるようなスケールを持った人がいない、ということですよね。

 高 かろうじて「身体」があったのが、戦後間もなくの自民党だったんじゃないの?

 那 ああ、そうかもね。

 高 「頭」はないけど、「身体」だけはある、というね。でも、最近はもう「身体」もなくなってきているでしょ。

 土 女性とかが受け継いでいくんじゃないですか? 朝吹真理子とか。そういう身体性ということで言えば。

 

 

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◎編集後記

『クリシュナムルティ解読:自我を見つめれば、自由になれる』お陰様でコツコツと出ています。ご一読いただいた方は、アマゾンで評価・レビュー等、書いていただければ嬉しいです。(那)

 

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