◇編集会議 2026 4/12 zoomによるリモート会議
“リアル”に触れることを求めて
那=那智タケシ(無我研代表・作家)
高=高橋ヒロヤス(無我研メンバー)
土=土橋数子(無我研メンバー・ライター)
佐=佐々木弘明(無我研メンバー・未知日記研究者)
●超感覚の空間
土 最近は映画をけっこう観ましたね。タルコフスキーは「惑星ソラリス」と「鏡」。
(超感覚の空間へ――没後40年タルコフスキー特集4月開催、「惑星ソラリス」「鏡」など6作品が公開されている)
那 どっちもいいね。
土 「ストーカー」の日は満席だったので。
那 ユーロスペース? あれは映画館で観るべき作品だからね。
土 そうですよね。配信で観ていたらちょっと持たないと言うか。
那 DVDはだいたい持ってるんですけど、集中して観なくちゃいけないじゃん? だからあんまり観ないんですよね、結局。映画館で没頭して観るのがいい。けっこう人入ってました?
土 ほぼ満席、両方とも。一週間限定で、ソラリスは二回やってましたけど。ソラリスはめっちゃ面白かった。
那 ソラリスは面白いですよね。
土 うん。
那 あの宇宙船のボロさが何かいいんですよね、リアリティがあってさ。
土 そうですよね、意外と。
那 あのセットに6億円かかったとか読んだことあるけどね。
土 ああ……
那 しかも国家予算で作ってるから、国から出させてるから。けっこう面倒臭い手続きがあったり。
土 奥さんがきれいで。
那 あの人ね。
土 何か途中途中、つぶやきが入って来るのが面白い。詩とか。
那 ああ……
土 何か全然脈絡と関係ない「人類は・・・」とか急に言い出して(笑)
那 時系列じゃないと言うか。流れが現象の順番ではないんですよね。彼の内的な順番に忠実に作っている。鏡なんかも。
土 「鏡」もそうですね。
那 あれはもろにそうですけど。「鏡」で、あの純度で最後まで続けて見せれるってよっぽどですよね。普通、ナルシスティックになったり、破綻しちゃうものなんだけど、ちゃんとある意味ではつながっているから、背景にある形式や哲学がしっかりあることの証ですね。
土 ソラリスは「自分は自分であること」の認識であるところとか、今の時代で観ると、ヒューマノイドみたいなところと重なるし、旦那さんの記憶から形成された奥さんが、ヒューマノイドみたいなところもあるし、急に主体性を持って、自分がない、と気づいた時に、彼女は消滅していく。
那 うん。
土 旦那さんは自分というものの中で最終的に閉じる。そういうところが面白い。
那 今、よくAIで、亡くなった人のデータを入れて、画面でそれっぽい故人と話せるとか、そういうサービスがあるみたいだけど、ああいうのの延長線上に考えられる世界ですよね。
土 まぁ、そうですよね。そう考えてみるとリアルな世界ってことですよね。
那 でも、実際は自我とか魂がないから、まぁ、本人が矛盾に気づく、みたいな話になりますよね。
土 うん。
那 タルコフスキーって面白いのは、SFものを撮りながら結局大地に帰っちゃうんですよね。いつもね。ロシアの大地とかね。
土 うん。
那 「2001年宇宙の旅」みたいな方には行かないんですよね。スターチャイルドとか。
土 ええ。
那 宇宙に拡散していかないで、結局、「人類は大地から離れては生きていけないんだ」とドストエフスキーになってしまう、いつも。それはそれでいいと思うけど。でも、実際そうだと思いますよ。火星だとか移住とか言ってるけど、月でも火星でもそうそう住めないですよ、人間は。
土 ちょうどね、今、月の裏側まで回って来たし、まさしく今の今日この頃とリンクして、東京ではこういう映画が満席だったという現象自体が面白い。
那 他のところでもやっているみたいですけどね、東京でも神保町とか。
土 いくつか回るみたいですね。
●リアルなきAI
那 ブレッソンがやっていたりもして。何かそういうのが回顧展じゃないですけど、みんなリアルなものを求めていて、そういう時代のものの方が純度がある、という逆転現象が起きている。技術は進歩してもそっちの方が本質に届いている。だからみんな観に行くということなんでしょうね。リアリティというものがだんだん感じられなくなってきているというか、情報過多で。
CGとか生成AIとか、特に生成AIは問題になっているけど、「実は使ってました」とかさ。ますます人工的で、定型のものが満ち溢れていて、リアルに触れ得ないものになっちゃってるなぁ、という気がしますね。周囲の環境が。だから直接自然の神秘とか撮ろうとしたり、人間をより存在として撮ろうとしたりするタルコフスキーやブレッソンみたいな映画作家が、まぁ、メジャーではないけど求めている人は今でも一定数いて、それはやっぱり人間が最も求めているものというか。ソビエト時代もタルコフスキーのお蔵入りの映画を知識人がこっそり集まって観ていたって話があるけど、そういう共産主義とかイデオロギーに毒されていないものを観たいっていう。
今、リアルってものが薄くなっているんですかね。直接触れ得る表現というものが。特に生成AIの画像とかひどいなって。そういうの感じないですか?
土 動画であるんですか?
那 広告とかでもいっぱいあるじゃん。
土 ああ……
高 最近、ネット広告も、ほとんどAIで作っていたりするからね。
那 しょぼい企業とか、金なんかかけたくないじゃん。プロのイラストレーターとか。写真家とか。だから怪しげな健康食品とかの宣伝に、生成AIで作ったおっさんの画像とか使って、これで元気になりました、とか、そういう生理的に受け付けないものを平気で載せている。誰でも作れちゃうからだろうけど、ああいうものがずーっと目に入っている環境というのは人間にとってよくないな、と思いますね。あれは不自然なものですからね。自然の摂理に則って作られたものじゃないから、何か磁場が狂うというか、無意識の内に変な影響が出る気がしますけどね。
アニメとかは目立たないけど、やはりそういうものを感じるところがある。もちろん、手描きだったらいいんですよ? 別に宮崎駿じゃなくたってね。ただAIが作ったものってやはり平均値というか、それっぽいのっぺりしたもので、人間がいないというか。ああいうものを小さな時から見ていたら、あれが普通だと思っていたら、どういう影響があるのか……
土 恐ろしいですよね。
高 でも、もう止められないでしょ。今の状況はね。あれをやめろって方向には行かないでしょ。
那 行かない。だからよりAIが進化して、そういう非人間感をなくしていく方向にはなるのかもしれないけど、それがいいことか悪いことかは別にして。そしたらますます人間が作るってなんだってことになっちゃうからね。人間が書いた小説とか、音楽とか、絵とか、AIがどんどん作っていったら、人間の創造って何?ってところまでいってしまう。
高 ただ、やっぱり人間が作ってるという価値は残ると思うけどね。だっていくら音楽とか映画とかAIで作っても……
那 それっぽい以上はいかないかもね。
高 だから何回も言うけど、創造とか芸術の分野に使うこと自体がおかしいんだよね。単なる機械的な作業とか、翻訳とか、単純作業とかそういうものに使うのはいいけど、クリエイティビティとか、そういうものにAIを導入するという発想そのものがおかしいんだけど、もうしょうがないよね。そうしちゃってるんだから。
那 結局、数学とか科学とか、そういう分野でも使われているから、どこまでが有効というか、どこまでが人類にとって良くて、どこまでが人類の創造の権利を奪うことになるのか、という境界線も難しくなっているところもあるね。
高 むしろ科学の分野とか、数学とかで、今まで解けなかったリーマン予想とかね、人間が今まで解けない問題がAIで解けたとか、そういうのあまりないよね。
那 そうだね。意外と聞かないね。
高 科学の分野でものすごい発明してくるとか、そういうことが起こってくれば、それはいいことかもしれないけど。
那 石油の代わりのエネルギーを作るとかね。
高 そうそう、エネルギー問題を解決するとかね、環境問題を解決する何か画期的なアイデアを出すとかさ、そういうことで使えるならいいけど、芸術とか、人間がやる表現をAIにさせたってさ、そういうものを面白いと思う感性は僕にはよくわからないですけど、むしろ今のAIのせいで環境破壊がどんどん進んでいる。
土 ああ……
高 データセンターのために、どれだけの資源が浪費されているか。
土 そうですよね。
高 マイナスにしかなってないと思う。
土 質問するだけで冷却しなければいけないわけですよね。
高 そうそう、冷却するために膨大な水がいる。そのために人間が飲む水がなくなっている。
●斜め上の表現
那 AIって仕事で使うこともあるけれど、結局、なめらかに、演繹的な方法論でその場で言葉をつなげているだけだから、全然正しいことも言わないし。
高 要は、平均値なんだよね。
那 そうそう。
高 今まで使われてきたことの平均値と言うか、一番ありそうな、最適解というかさ、今までこうやってれば上手くいった、というものを最短で見つける、というだけで、まったく新しいアイデアを出す、ということはできないんじゃない、やっぱり。だからアインシュタインが相対性理論を思いついたみたいなさ、そういうレベルの発想というのはできないよね。
那 うん、できない。斜め上を行かなければいけないけど。
高 斜め上ができないでしょ。それまでの既存のものの延長戦上にあるものしか生めない。次元の違うものは生めない。でも、芸術というのはまさにそういう次元が違うものを観るための表現だからね。だからAIとそもそも相性が良くないと言うか、無理と言うか。
那 タルコフスキーの鏡とかストーカーとかソラリスとは真逆と言うかね。
高 うん。
那 あれは、一見、意味不明な画像がモンタージュされてつながっている。でも、そこには有機的な何かが背景でつながっているものがあるのがわかる。普通のドラマトゥルギーを超えている。起承転結ではない話ですからね。
高 でも、そこにはランダムではない何かがあるわけでしょ?
那 作家固有の詩的リズムと言うか。「映画というのは詩だ」とタルコフスキーは言っていたけど、独自な内的リズムとか、詩人でなくてはいけない、と。だからそれは一般的な意味での物語ではないんですよね。時系列でもない。でも、彼の中では有機的につながっている世界。その内的なビジョンを具体的なショットとモンタージュの中でどこまで忠実に再現できるか、という純度で勝負していた人だと思いますけど、ただああいうものを再現しようとしても今の時代の方が難しいかもしれない。今の方が技術はあっても、余計な情報や知識があるから。たとえば、「鏡」の最初のそば畑のシーン?
土 ああ……
那 あの風でうねる? あのそば畑のシーンを撮るために、一年前くらいから農業の専門家を招聘して、あそこにそばを植えたっていうね(笑)
土 (笑)
那 あそこがそれでそばの産地になったと言うね。土壌的にはそばは合わない土地だったんだけど、専門家に相談して、あの5分とか10分のシーンのために、あれだけの広大な土地をそば畑に変えてしまう、というところからやっている人なので、もう同じことをやろうとしても無理なんですね。もちろん、見えているビジョンが明確にあって、それを再現するために一切妥協しない芸術家というのはあるとしても、国が金出すほどの才能だったから。一般の映画監督じゃ無理じゃないですか?5分のシーンのためだけに何ヘクタールも畑作っちゃいますとか。
土 そうですね。
那 でも、あれって映画史に残るシークエンスになったと言うか。
土 あの女性の後ろ姿と言うか。
那 きれいなお母さんがそば畑の前の柵に座って、煙草吸ってて。
土 ええ。
那 怪しげな医者の男が、そば畑の中を一人でふらふら歩いてきて。挙動不審な医者が(笑)
土 よくわからない(笑)でも、ドラマと言うか、時々過去のいろんな経験のシーンが入ってきますけど、けっこう、女性の描き方とかも割と生々しいですよね。
那 そうそう。
土 画面の感じと、あの辺のリアルな感情の出し方とかがすごいなって。よく女わかってるな、みたいに感じるところがあって。けっこう割と修羅場をくぐった人なのかなって。
那 なるほどね。
高 まぁ、でもね、タルコフスキーとか、そういう天才みたいな人はこれからも現れるかもしれないけれども、なんていうか、問題は受け手の側がそういうものをちゃんと評価できるかっていうことだよね。たとえば、タルコフスキーに国の金を投じて映画を作らせるみたいな。それは彼を評価する人がいたからだけども。
これからそういう才能が出てきても、それをちゃんと評価できる人がいないとやっぱりいけないわけで、そういう不安はちょっとありますけどね。たとえば、AI使ってそういうタルコフスキーもどきのものは作れるかもしれないけど、それはやっぱり本物とは決定的に違うわけでね。でも、そこの見分けがつかない人がどんどん出てきちゃうような気がしてて。
土 そうですね、感受性の劣化っていうかね。
高 なんか天才みたいな人が出てきても、それをちゃんと評価できないっていう状況があるんじゃないかな、と思う。
那 でも逆に言うと、スタッフも含めてさ、そういうもののレベルに達してないとああいうものってできないから。映画監督の場合、特に一人でなんかやろうとしても、ああいう水準のものは作れない。だってカメラマンとかすごいですもん。タルコフスキーのカメラマンって。脚本家も役者もすごい。だからちょっと、そういう文化的水準がもうないから、ああいう表現はもう終わりで、一旦もうピーク行っちゃったから別の方向に行くとは思うんです。ただそれがあんまりAIとかあっちに行っちゃうとね。まぁ、日本だとね、一人でアニメ作ったりとか、新海誠とかそういうのでやってるけど。
●“推し”は現代のカルチャー?
(70年代パンクロックのムーブメントの話から)
土 渋谷の西武が閉まるってことで、渋谷には昔はカルチャーがあったけど、あの西武の中でも色々イベントとかもやってて、あれがなくなったら渋谷はただ東急の開発されたビルが、高いビルが立ち並ぶ街になるよね、みたいな感じで知人と話していたんですけど、渋谷の西武もなくなってしまうと、ほとんどデベロッパーが開発した街に転化していくのかな、と思います。
那 もうほぼそうなってるじゃないですか、すでに。あの渋谷は。オシャレタウンになってる。なんかそういうビルがあって、テナントもそんな感じでね。
土 全然もうあまり魅力的なとこないらしいですよね、新しいビルには。ちょっと路地みたいなところにはあるかもしれないです。
那 値段だけ高かったりしてね。カフェとか行ってもどこも高いとこばっかで。若者はそういうとこで写真撮ったりして、楽しいのかもしれないけどさ。
土 街頭インタビューで、60過ぎの人がインタビューされてて、「渋谷の西武がなくなるのはどう思いますか? 」って聞かれて、「あそこにはファッションもカルチャーもあったから寂しいですね」って答えてて、「カルチャーって何だったんですか?」って聞かれたら、「私たちに足りなかったものじゃないですかね」とか答えてて、確かにそうだなって。なんかものすごく欲してた、と言うか。
那 カルチャーって何なんですかね?
土 どんなカルチャーにせよ、すごくみんなが欲してたっていうのが……
那 最先端のものなのかな、カルチャー。
土 最先端もそうだし、なんか一生懸命みんなピア見て。
那 ピア見てたよね。ピアってまだあるのかな。
土 なんか紙が復活したみたいです。
那 そうですか。今、最先端のカルチャーって言われても、なんかもうパッと出てこない感じしますね。
土 まぁ、そうですね。今はね、もうほとんどそういう、多様化してきてるっていう感じで、これっていうのが。
那 佐々木さんの世代だと、カルチャーっていうとどういうものなんですか?
佐 何でしょうね? なんか全然ぴんとこないですよね(笑) まぁ、でも私の世代がなんか高校生ぐらいになった時に SNS がすごい流行ったんで、ほんとある種そこでなんかツルんで、みたいなのはあったかもですね、一番初期の。ある種のカルチャーというか。SNS を介した関係性みたいな。
土 SNS って何ですか?
佐 いや、それこそインスタとか、まあライブもそうですけど。まあ私はインスタ自体やってないんでわからないですけど、友達とかの話聞いてるとインスタありきの生活をしている人も結構いるんで。
那 ありき。ありきってどういうことなんだろうね?
佐 いやもう、インスタでないと何しても楽しくないっていうか(笑)
那 だってそれって写真とか動画を上げてるだけじゃないですか、基本。
佐 そうですよね。
那 生活をどんどん上げて、いいねもらったりしながらやりとりするのが楽しいってことか。
佐 そうですね。基本的に写真とかを生活とか、外出した時に撮らないと気が済まなくなっちゃってますよね。
那 Xでも似たようなとこあるけどね。俺も撮るようになったけどね、最近は。何かで使えるかなっていうのもあるけど。でもなんかそれってカルチャーとちょっと違う感じするよね。
佐 (笑)
高 承認欲求だよ、一人ひとりの。
那 昔のさ、土橋さんの世代がさ、地方にいてさ、その最先端の音楽とか洋楽とかの情報とかを必死で集めて、なんか刺激を受けるっていうのがカルチャーってイメージじゃん? 自分の世界を広げてくれるんじゃなくて、自分の世界っていいねって言ってくれる、いいねで承認し合う関係というのは閉じてる感じがするよね、それだとね。
高 昔は、それこそさっき土橋さんが言ったみたいに SNS もないし、情報を手に入れるのが大変だったから、レコード屋自分で行ったり、仲間とその情報交換したりして、足で情報取りに行く。でも、今もう全部スマホで手に入っちゃうから、情報っていうのは。だからわざわざそういうレコード屋行く必要もないし、まあ映画だってね、サブスクで見れちゃうし、一人一人がもう簡単にもうそういうものを手に入れられる環境にあるから、わざわざ人と一緒に何かやるっていうか、何か見たり、なんとかって方向には行かないのかな。
まぁでも、今でも推し活とかあるからね。そういう好きなアーティストのライブ行ったり、イベント行ったりとかね。そういうものがカルチャーじゃないけど、あるし。
土 うん。
高 まぁ結局、非日常ってことでしょ。要は、日常的な日々の生活のあれとは違う、なんか空間っていうかさ、そういうものを体験したいっていうことだけど、今はそういうものがスマホで手に入っちゃうもんね、まぁ、簡単に言えばね。現場に行く人ももちろんいるけど、そこまでの熱量がない人だと割と簡単に手に入るから。そういう意味ではカルチャーシーンみたいなのが生まれにくいかもしれないですね。
土 そういう意味で言うと、推し活ってすごいですよね。
那 推しっていうのは今の時代特有かもしれないですね。