◇編集会議 2024  5/9 四谷の事務所にて

 

文化的「条件づけ」を外した人々の可能性

 

那=那智タケシ(無我研代表・作家)

高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

土=土橋数子(ライター)

 

●「あるがまま」を見て、表現することで自我を削る

 

 土 今の時代って、単行本でもイラストとか図解とかって大切なんですかね?

 那 そうそう、今の時代はイラストとかの方が人気ある。難しいことバーッと書いてあっても読めない人が多いから。まぁ、そしたら俺の本はだめなんだけど。

 高 (笑)

 土 いやいやいや。

 高 だからユーチューブで長文を朗読したりするのも流行ってる。

 那 長文を読む時代でもないんですよね。

 土 図解って言ってもね……

 高 クリシュナムルティの図解とかちょっと難しいかも(笑)

 那 自分なりの哲学はあるから、3DのCGみたいので。この無数の断片を統合してゆくと上に立つとか、自分が統合した存在になるとか。

 高 うん。

 那 余分な感情とか、思考とか断片が重なって大きくなった時は、それを見て、ばらしてジグソーピースくらいの大きさにすると、世界とピースはつながっているから流れていくよって感じ?

 土 うんうん。

 那 そういう感覚がすごいあるんですよね、今。

 土 誰か絵にしてくれないですかね?

 高 うん。

 那 苛立ちとか、嫉妬とか、不安とか、わーっと出るときあるじゃないですか?

 土 ええ。

 那 人間って。

 高 うん。

 那 思考がわーっと重なって。それが大きくなって、それと一体化すると一緒に沈んでいっちゃう。

 土 ああ……

 那 そのブロックを「今、自分は嫉妬してるな」と「怒ってるな」「不安になってるな」とただ見ていくと、その隆起しているものが「自分」になる、と言うか……つまり、それ自体の働きだけがあるだけで、くっつく主体がある状態ではないから、ばらけていく。そのばらけたものがどうなるかと言うと、ここにある「椅子」とか「花」とかと同じサイズのピースになるわけだから、つながっているわけでしょ? 「世界」と。絵として。ここだけでやっていると(胸の辺りを指す)、ジグソーピースがごちゃごちゃなって、世界と上手く調和しないで、何かこう、ぐちゃっと重くなる。自我になる。

 でも、見ていくとばらけて、「世界の流れ」のピースとつながっているものだから、それは自然と動きがあって、流れてゆく。静的な絵ではないから。動的な流れの中で生成隆起しているものだから、それは流れてゆく、と。だから、そういう感情が生まれた時にちゃんと見ていけば、それは世界のひずみみたいなものが感情になっているわけだから、それは流れてゆく、と。感情というのは、自分の中から生まれた固有のものではなく、関係性のひずみだから。

 土 ええ。

 那 だから、今回の本でもブラッシュアップして書いた部分だけど、結局、そこにある感情や思考、つまり「関係性の中で自我の働きを見る」ということは、余分なものを新たに自我にまとわりつかせない、ということと、今までくっついていた余分なものを削り取ってゆく作業にもなるんです。自我を「かき氷」で例えれば、横の流れ、と言うか。

 高 うん。

 那 ちゃんと日常生活の横の流れの中で自我の働きを見て、それをくっつけない。余分な氷を付け加えないようにして見て、流してゆくと、だんだん今での巨大な氷も、ガチッとなっていたものも、削れてゆく、と。

 それで内観というのは、もっと自分のトラウマとか、コンプレックスとか、深い部分を見てゆくことで、キリで上から突くという感じで。だから日常から「あるがままの自我の働き」である感情や思考が隆起する様を瞬間、瞬間、見てゆく習慣を付けて、さらにそれをそのままに認めて表現できるようになっていくと、「あるがまま」と一つになれるから、自分の中に「あるべき」という理想との分離がなくなる。「私、嫉妬していたんです」と言うのも、自己表現じゃないですか? 

 土 うん。

 那 その「あるがまま」というものは世界とつながっているから、流れてゆく。そうしたら自分の中核にある固いものも見えてきて、俺だったら昔は「もっと俺はすごい作家になる才能があるのに何で認められないんだ」とか、何かそういうプライドが崩れてゆく、とか。

 土 うん。

 那 人から見られたくないし、自分でも絶対に見たくない、「何か」に辿り着く――そういう感覚があるんですね。それを壊すまでは、もっといろいろなものがベタベタとくっついているから、人間って。まずは、もっと日常の中で「あるがまま」の自分の感情や思考の働きを見て、素直に表現して流してゆく。溶かしてゆく。横から削りを入れていくという感じ?そういうのとかも、ある種、絵的に表現すればわかりやすくはなるかなって。

 高 うん。

 

●「思い込む」のではなく、流れに触れて、行為する

 

 那 クリシュナムルティって、そういう絵的なものが見えにくいんですよね。数式のように美しくて、アート的ではあるけど、一見、抽象的だから。

 土 うん。

 那 俺の感覚だともっとビジュアル的に見えると言うか――まぁ、それは個人的な感覚だけど、でも、普遍性があると思うんですよね。だからよく言っているのは、一つのジグソーピースに過ぎない断片に自分をくっつけてしまったら、それが陰謀論だろうが原理主義だろうが、一体化してしまって強固な自我になってしまうから、壊せなくなる。アンバランスになる。

 不自然に大きくていびつなジグソーピースじゃないですか? 「一つの主義とかイデオロギーによって人類は生きよ」みたいな。でも、結局、そのピースを一つひとつ粒ぞろいにして、調和させて絵を描いていくのは我々個々人なんだから。瞬間、瞬間、流れの中で新たに創造できる。

 ところがその中の一つのピースと一体化してしまうと創造的な絵ではなくなって、ずーっと「この絵こそが正しいんだ」「この神こそが正しいんだ」となった時に、他の巨大な断片(神)とぶつかってしまう。だから、ピースは持っていてもいいんだけど、好きな思想でも、作家でも、世界観でもね。でも、それを「絶対だ」「これが何よりもすごいんだ」じゃなくて、ある程度こう、自我から分離して、自分で使えるくらいのサイズで素材として持っている、くらいならいいんだけど。

 あとは、自分の感情とかもどんどん移り変わってゆくものだから、それを見て、表現して、世界とつなげてゆく? Kが言っている「創造性」ってそういうことで。世界とつながった、ある種、無我的な流れ? その感覚をちょっと入れたんですね、今回。よりはっきりと。でも、それを絵で表現できたらもっとわかりやすいのかな、とは思いますけどね。

 土 うん。

 那 よく、俺が前から言っているのは、「悟ったらふわーっとずーっと幸福になる」みたいな人がいるけど、今回の本の中では「それはまだ甘い」と書いてあるのね。何でだめかって言うと、そこに「幸福に留まっているあなた」がいるわけでしょ? 苦しいものはいらないわけでしょ? 幸福な状態だけでいたいんでしょ?って話じゃないですか? でも、それって、創造的な流れからすると異常なんですよ。

 高 うん。

 那 ここ(胸)だけふわーっとなってても。だって、仮に愛する人が病気になって苦しんでいたりしたら、自分の中にも苦しみが生まれるんですよ。それを「ふわーっとした状態で溶かしてなくしてしまおう」ではなくて、それを認めて、受け容れることで、世界とつながってゆく。その流れの働きの中にいることそれ自体が救われている、と言うか。すべてを生かす流れがあるわけだから、そこで何か変に、世界に不幸な人がいっぱいいたとしても、ここ(胸)だけふわーっとなれば、とか、「他の人も全員同じような境地になればいいのに」というのは不自然で、エゴなんですよ。だから、それも落としてゆく。ジグソーピースとしてここ(胸)に留めない? 逆に流してゆくことで「空」でいられる、と言うか。そういう感覚? だから、一番近いと思ったのは、先月号でも言ったけど、フォースなんですよ(笑)

 土 うん。

 那 ジェダイの――スターウォーズ。あの人たちは、現実にその流れの力を使えるわけじゃないですか?

 土 うんうん。

 那 超能力的なものとして。思い込みではなくて、流れだから。ヨーダとかも年いっても使えるし、死んでもいる、みたいな。「フォースと共にあらんことを」とか言うけど、彼らは「ある生きた流れ」の中にいるから。そういう感覚が近くて、自分の中にとある境地を留めるように訓練して「ふわー」じゃなくて、実際にその流れと一つになっていれば、現実を変容することもできる。実際に使えるし、その力を使ってジェダイは戦って、変えてゆくわけじゃないですか? ベイダーとか、暗黒面と(笑)

 それって、思い込んだから世界が変わるんじゃなくて、その力を使って何とか戦って、頑張って世界を変えてゆく――実践していくわけじゃないですか? つまりここで言いたいのは超能力とか、戦う、とか言うことじゃなくて、それは主観的な境地ではなくて、世界の理とつながって、その流れと一つになる、ということで――その流れの力を使って何をすべきかってことで。

 ジェダイもそうで、その流れを悪用すると暗黒面に落ちてしまったりもするわけだけど。何かそういう、自分なんかは昔、麻雀で修行してたからそれがすごいわかるんですよ。その流れの力、というか。そういうことなんだなって。実際に使えなくちゃ嘘なんです。実際に世界の流れとつながっているから使えるんであって、直近なら未来予知のようなこともできるんであって、思い込みとはそれはまったく違うんです。

 土 ええ。

 那 剣禅一如ってあるじゃないですか? 心が空の状態にあるから、無敵になれる、みたいなね。あれってそういうことで、胸の中に「ふわー」っとしたものが少しでもあったら斬られちゃうんですよ。何もないから、世界の動きそのものになれるから勝てる。自分が斬られたら恐いとか、斬るのが恐い、とか、そういうのじゃないんですよ。何もないから瞬時に動ける。そういうのも絵で描いたらわかりやすいかな、とは思いますけどね。

 高 うん。

 

●条件づけを外した「新しい人たち」こそが新しい社会を生み出す

 

 那 世界情勢の話も少しした方がいいのかな? 今からして(時間的に)、身があることが話せるかどうかわからないけれど。

 土 世界情勢……

 那 戦争もまだやってるしね。

 土 うちの地域のボランティア活動に、時々スタバさんが参加してくれるんですけど、スタバコーナーを作ってミルクとか――スタバもシオニスト企業ですよね?

 高 イスラエルに協力しているからボイコットしよう、とか。

 那 昔からイスラエルとつながっていることは有名じゃないですか? マクドナルドとか。

 土 それで不買運動が起きて、今、かなり業績が落ちているらしいんですよね。

 那 そうなんだ。アメリカとかで?

 土 日本でもあるそうですよ。

 高 効果あるんだ?

 土 一定の。で、スタバの労働組合の人が「ガザで行われている非人道的な行為に反対する」という声明を出したら、「経営側がそれを潰した」とか言って。最初、組合側がそういう声明を出して、「スタバいいじゃん」と思っても、経営者が組合の動きを潰したと言うので、またさらに不買運動が起きたりして。ボランティアに来てくれるのはあがたいんですけど、むちゃくちゃ世界情勢ともつながっていて、ピュアな人だったらそういったところを話し合うこともできるのかな、とか。複雑な心境なんですけど……

 那 イスラエルの問題なんてね、クリシュナムルティが言っていることが如実にね、ネガティブな形で出ちゃっているんだから。今、やっていることって、どう見ても民族浄化そのものですからね。

 土 うん。

 那 人間よりも、ユダヤの神や民族が大きくなってしまっているわけだから人を殺せるわけでしょ。逆もまたしかりだけど、見てると、宗教っていらないのかな、とか思っちゃいますよね。

 高 ろくなもんじゃないよね。一神教なんて。

 那 日本の神道的なものならまだいいのかなって? 山に神がいる、とか。

 高 神道だって、明治の天皇制と結び付いて……

 那 権力と結び付いちゃうとね。

 高 宗教なんてろくなもんじゃないのかなって。

 那 でも、それを言っちゃうと、今度共産主義的な、物質だけの世界になってしまう。

 高 いや、宗教というのは個人のものであるべきでさ、組織化したとたんに腐敗するんですよ。

 那 まぁ、難しいよね。

 土 アメリカも学生がデモをしているらしいですけど。

 高 アメリカの政府自体がゆがんでるんだよ。トランプがどうなるか知らんけどさ。結局、コロンビア大学で「学生運動した学生は裁判所に就職させない」とか。アメリカの学生は頑張ってますよ。

 土 頑張ってますよね。

 高 日本の学生は知らないけど。

 土 誰かテント張ってましたよね、東大生が。

 那 難しいのはさ、宗教ってモラルとつながっているところがあって。たとえば中国の共産主義の中で生きている人たちは、人が倒れていても助けなかったりする。そこには何か「善とは何か?」とか、愛とか、慈悲とか、本質的なものがなくなってしまう。宗教的なものを剥奪してしまって唯物論だけの社会になってしまうと、そこにはベネフィットだけしか考えない、功利主義的な価値観で生きる愛なき存在だけがいることになってしまう。動物よりも愛がなくなってしまう。

 土 うん。

 那 本来、共同体の中で共有するアニミズム的な――ネイティブアメリカンだったら、「あの山にいるコヨーテが神なのだ」とか、アイヌだったら「熊を神として捧げる」とか、そういう自然や、摂理とつながった感覚というのがあったと思うんですよね。それがあるからこそ、社会というものが成り立って、ある種、人類というものがこの地球で繁栄できた、という側面もあるわけで。それが思考とか権力と結び付いて国家宗教になった時に、やっぱり人間というものを洗脳したり条件づけたり、権力の奴隷にしたりということがでてきてしまって、それが戦争の強さとかにもつながっていたのかもしれないけれど、そこからやはり戦争や紛争といった問題が出ているのは確かですよね。

 ただ、実を言えば一神教というのは元々がそういうもので、様々な民族が密集して存在した地域で、国や民族を守るためにこそ彼らを強固な一つにする「一なる神」が生まれた。元々のゾロアスター教なんかもそうだけど、ユダヤ教がなければユダヤ民族がもう存在しなかったのは事実だし、難しいんですよね。個々人の宗教性というのは、確かに高橋さんが言うように本来、個々人が何を信じようと自由だし、尊ばれるものだと思うけど、それを人に押しつけなければいいだけなんだけど。

 土 うん。

 那 元々が人間って、動物から徐々に霊的なものとか神聖なものを感じ取る感受性というものが出てきて、それによって社会がまとまった。たぶん、個人よりも「種」としての感覚が先な気がするんですね、宗教心って。それを個々人の自由な信仰なり、感覚なり、世界観なりとして他者の信じる感覚とぶつかり合わずに尊重し合っていけるか――それこそ、既存の価値を乗り越えた超人が持つ世界観がそれぞれあって、いろんな色が世界にあって、それを調和して絵を描けるかっていう――マクロの視点で言えばそういうビジョンはあるけれど、実際、人類がそういう方向性に行けるかって話になると、そこまでまったく行っていないと思うんです。

 土 行く前に、やばい状態ですよね。

 那 まずガチガチになった固定観念とか条件付けをぶっ壊して、自由になった上で個人の創造性を発揮する――クリシュナムルティなんかはそれを言っているわけだけど、「まず条件づけられているんだから、それを見ないとどうしようもないよ」って。「何かの宗教やメソッドを信じてふわーっとなってもそれは現実逃避に過ぎないよ」って。でも、今、世界情勢とかネットを見ていると、そういうレベルではないんですよね。「個々人の世界観とか宗教性を尊ぶ」ってレベルではないんですよね。「条件付けを外す」ということもまったくできていない。

 土 「外す」という発想が、そんなに浸透していないので……そういうことをした上での「多様性社会」だと思うんですけど、今は「この考え」「この考え」に凝り固まった人たちが譲歩するというか、受け入れはしないけど、どこまである部分まで受け容れるか、というそういう調整と言うか……

 那 そうなんです。だから「ユダヤ教の人はユダヤ教でいいよ」「イスラム教の人はイスラム教でいいよ」「私たち条件づけられているけど、何とか喧嘩せずぎりぎり上手くやっていこうよ」というのが今、言われている「多様性社会」というもので。それが上手くいっていないのがイスラエルとパレスチナで、ロシアの戦争もそうかもしれないけれど。

 土 多様性社会の土台がないから、実現しない。

 那 ある種、文化的に条件づけられたブロック同士の多様性なんです。

 土 ええ。

 那 条件づけから解放された個々人の多様性ではない。

 土 「認め合う」みたいな言葉が交わされることがあっても、その尖った者同士で多様性を認め合うと言う時に、無理が生じる。中学生の次女が「多様性社会って実現しないよね」と言ってくるわけですね。「結局、多様性を受け容れない人の考えも認めなくちゃいないから」といったことを言ってきて。人を貶めたり差別したりするような価値を外した上での価値の相対化――それぐらいがぎりぎりで、「でも、多様性を認めない人の価値も受け容れなくちゃならないから絶対無理だよね」って言われて、「そうだな」とは思ったんですね。でも、それはやっぱり条件づけられた色で固まっている集団があるから……

 那 固まっているだけではなくて、彼らが信じる一つの断片(神)が個々の人間よりも上になっているんですね。人間より神が上で大事。だから、全体として一気に変わることは難しい。でも、マイノリティから変えることはできる気がしているんです。

 土 うん。

 那 たとえば、「いかなる断片よりも一人の人間が上だ」と俺はよく言っているけれど、それは「人間こそが一番偉い」といった傲慢な意味ではなくて、つまり、いかなる宗教とかイデオロギーとか、文化的条件づけよりも、それらを調和させて意味づける一人ひとりの人間という存在が上だ、ということで。自分が新しく世界を創造して、それは世界の色々な断片を超えたら共通するところもあるから、そういうある種の「超人」同士が新しい関係を築いていけばいい。マイノリティの中に質的変容が起きると、石ころが波紋を起こすように集合無意識に影響を与えて、あるいは具体的な関係の中で輪が広がっていく、というのが一番理想だけど、ネットの時代だからそういうこともあるかもしれない。つまり、個人から変えてゆく。

 ある種、芸術でも科学でも、個人が世界を書き換えてゆくわけじゃないですか? ものの見方とか、表現の方法。ある種の常識を超えた天才的な人たちがそのジャンルを書き変えてゆくわけだけど、社会でも、既存の価値を超えた人たちだけが本当に世界を変えることができると思うんです。「宗教よりも人間が上だ」という認識がないと、今の問題は絶対に解決できないから。

 それはいかに「良い人」であっても、残念ながらできないことなんです。たぶん、イスラエルにもパレスチナにも人間的に「良い人」はいっぱいいるのは間違いないわけです。でも、彼らの上に「自分たちの神」がいる限り、根本的にわかり合うことはできない。これに気づいた人が、「神より自分たちの方が上じゃね?」って気づいた人が、「じゃあ、どうする?」と集って話し合うことができたら、世界は変わるかもしれない。その時、人間が神になる、と言うか、一人ひとりの人間こそが尊い存在になる。まぁ、「神」という言葉自体が条件づけられたものだから難しいんだけど、短縮した用語で言うと、そういうことで。

 そういう「超人観」というのがこれからの出口になっていく気がします。「いかなる条件づけ、いかなる宗教、いかなる断片よりも人間が上にある」という認識の人たちが社会を作り替えてゆく、というか。まぁ、この言葉通りではなくても、それに近い認識の人たちが出てきて、マイノリティがマジョリティを書き換えていくという方向性においてのみ、可能性がある。政治とかでは中々変わらないというか。

 土 ああ……

 那 まぁ、そういう人たちが政治家になって、変えてゆくという道はあるかもしれないけれど、具体的には。つまり意識だけではだめで、そういう人たちが人々と関わって、具体的に話し合ってゆく中で何とかならないかな、と。ただ核の問題とかもあるし、ある種、ちんたらしてられないんです。そういうのもあるから本を出しました、と書いたんだけどね。そういう何か、価値観の大きな転換がないと、それこそブロック同士で「調整していきましょう」「多様性を大事にしましょう」「喧嘩をしないようにしましょう」「でも、何かあった時には核爆弾持ってますからね」という世界では、その均衡でずっといけるのかっていうと――それは逆に現実的な道ではない。

 土 「日本も核を持たなくては始まらない」という人も増えていますしね。政治ですぐに解決といかないのはわかりますけど、ある程度今の流れを止めない限りは……

 

●権力とのしがらみのない、民意が反映される「場」を作る

 

 那 ポストモダンとか言っているけど、そういう大きなブロックの時代は終わった、相対的な時代になった、で終わっちゃってて、そこから先が何か明晰に見えてこないというか。

 土 そうですね。

 那 高橋さんとか、今、その手の本を読んでいるみたいですけど、何かありますか?

 高 最近、東浩紀とか一生懸命読んでいるけど。

 那 どういう方向性を指し示しているんですか?

 高 指し示していないでしょ、方向性なんて。ただ、究極的には一人ひとりが組織とかに頼らずに実践していくしかない、ということなんでしょうね。東浩紀で言うと彼は自分で会社を作って、「そういう言論の場をちゃんと作らなきゃだめだ」と。彼が何かを発信するというよりは、「そういう人々を集めてちゃんと話が出来る場を作っていくということが大事だ」ということを今、やっているみたいなんだけど。

 土 うん。

 高 大学とかさ、大学から金をもらったり、政府から金をもらったりしていたら、本当に大事なことが言えないから、そういう「しがらみから離れてものが言える場を作るというのが今、一番大事だ」という話なんで。そこで何を言うか、というよりも、まずそういう場がないとどうしようもない、と。

 土 ああ……

 高 原発事故の時もシールズとかさ、デモをしきりにやっていたけどあれも一過性で終わっちゃったでしょ、と。結局、そういうものを継続できる場がなかったから、ただいっとき集まって「反対、反対」言っているけれど、すぐバラバラになってしまったから。そういう活動を持続的にできる場というものが今、日本にはないから。それがまず大事だって話で。

 那 マジョリティの条件づけの影響からちょっとから離れた、もうちょっと自由な場が必要ってことね。

 高 そうそう。

 那 実際にそういう場を作っているとしたら、たいしたものだよね。何が生み出せるかはともかく。結局、シールズにしても、また別の条件づけに染まった人たちがやっているように見えたから、マジョリティに叩かれて、潰された。

 土 そうですよね。

 那 ある一点だけが正しい、と思う人たちが集った場合、それは大抵「満たされない自我を何かと一体化して満たしたい」という動機の人たちがほとんどだから。

 高 うん。

 那 マジョリティの人たちとまともに話せる集団にならないんですよね。活動としても非常にステイフというか固定的で、また新たな条件づけになってしまう。それこそ自由に、プラトンとかの時代じゃないけど、話し合える場にも立てない、と言うか。

 高 だから今、「民意が反映される場がない」と言うんだよね。人が思っていることをただツイッターでさ、政治家の揚げ足を取るようなことを言ったって政治は変わらないわけで、「本当に政治に対して民意を伝えられるようなルートがないから、まずそういうものを作らないとどうしようもないだろう」と。「たまにある選挙くらいじゃ変わらないだろ」と。

 土 この間、たまにある選挙に行きましたよ。東京15区。

 高 選挙はそりゃ大事ですよ。選挙は基本なんだけど、それ以前の問題として、ね。

 

(メルマガMUGA第154号掲載)

 


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