◇編集会議 2024  3/6 四谷の事務所にて

 

『クリシュナムルティ解読』の電子書籍版を作る

 

那=那智タケシ(無我研代表・作家)

高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

土=土橋数子(ライター)

 

●「まえがき」に自分が何者か、書く

 

 那 メールでお伝えした通り、今、「クリシュナムルティ解読」の第一部をアマゾンの電子書籍(Kindle出版)で発行しようとして、編集しているところなんですよ。

 土 それ、すごくいいんじゃないですか?

 那 「まえがき」に自分の履歴を多少書いたのは、「素人のちょっと読んでいるやつがいきなりクリシュナムルティ解読とかやっているのかな」とか思われてもあれだから、自分が何者か、というのをKindle Unlimitedの会員の読者(無料で読める読者)にも――そのジャンルに興味がない人もいるかもしれないじゃない?――伝えなくちゃならないんですよ。

 土 はい。

 那 一応、こういう履歴で、こういう本出してて、こういう会やってて、そのメルマガで何年間かけて連載していたものをまとめたものだよって。

 土 うん。

 那 あえてわかるように。じゃないと、「誰?」ってなっちゃうから。それで試し読みとかして、ダウンロードするかとか、読むかって決めるわけじゃないですか?

 土 ええ。

 那 そこで、ああ、多少信用がある人なのかな、とか。

 土 時間の厚みもあるし。

 那 それなりの人なのかなっていうので、読んでもらいたいところもあるから、そこに書かざるを得ない。2頁くらいでまとめて書いたんですけど。それって結局、メルマガの導線にもなると思うんですよ。そこから、ああ、MUGA表現研究会というのがあるんだって。無料でメルマガ出しているんだって言ったら調べて、登録してくれる人もいるかもしれない。だからこういう電子書籍を出していくと、今後はいいかもしれないなって思ったんです。我々なんて、SNSに強い人が一人もいないんだから。

 土 誰もいない(笑)

 那 そういう要員が1人も今までいたことがないんだから。

 土 要員(笑)PR要員。

 那 我々は長文の本とかを作るのは慣れているわけじゃないですか。一応、仕事でもやっているわけだし。

 高 うん。

 那 そういうところでさりげにアピールして、それでメルマガの読者が増えて、また新しい書籍を出す時にPR効果が大きくなるという循環ができていく、というのが唯一健全な方向かな、と。そういうノウハウ本見ると、「まずSNSとかツイッターでPRしましょう」とか言われているけれど、まずそれがないじゃん? だから内容と表紙で勝負するしかない。あと、このメルマガと10年くらい前に自分が出した2冊の本と、「クリシュナムルティ」というキーワード? そこで多少出るかな、というのを期待して――まぁ、期待し過ぎずに出してみようかなって。これだけの分量と内容があるものを眠らせておいても仕方ないので。

 高 そうだね。

 

●検索キーワードに存在するものをタイトルに入れる

 

 那 ただ、結局思ったのは、クリシュナムルティって自分の講話や著作の解説はいらないって生前言っていたから。

 土 ええ。

 那 それで、その手の本があるか、ちょっと調べてみたんですよ。

 高 出している人、いるよね。

 那 何冊かあったんだけど。そしたら、中にはすごい批判的なレビューとかもあって……マニアっているじゃん? 多少そういう声も、こういう本を出すということは覚悟しなくちゃいけないかもしれない。

 高 まぁ、あるかもしれないけどね。そんなのは、でもね……

 土 そういう風に思う人もいるんですね。

 那 そういうの気にしていたら何も出せないから。

 高 何でもけちつけるやつはいるからね。

 那 でも、それで昔、クリシュナムルティっていたよね、みたいな扱いになっていくともったいないというか。

 土 うん。

 那 真面目な話すると、こういう時代だからこそ読まれるべき人なんじゃないかって。ナショナリズムのこととか、イデオロギーの対立とか、戦争が迫っていることとか散々言ってきた人じゃないですか?

 土 うん。

 那 現にそうなっているわけだから。

 高 うん。

 那 これって今のことを語っているというか、今、開くべき本じゃないかな、と思うから。ただ今の人はクリシュナムルティなんてあまり知らないし、いきなり『自我の終焉』とかハードルが高い気がするから、体感がある人が「自分の言葉で語りつつ、解読してみました」というのは、ひとつ社会的意義はあるかな、とは思うんです。

 高 あるでしょ。

 土 何か出版社で出してくれるとこないですかね?

 那 いや、この手の本って、売れる部数って、出版社だろうとアマゾンで自分で出そうとそんなに変わらない気がするんですよね、正直言って。自分は本を作るのをプロでやっているわけだから商業出版の水準で1人で編集できるわけだし、調べたら中抜きされない分、ロイヤリティも全然いいってわかったから、今回は最初から声をかけるつもりもまったくなかったんです。そもそも、商業出版で出すにはマニアックすぎる内容ですしね。

 土 いえいえ。

 那 俺の本って、これまでもまったくノープロモーションで出してきたし、『悟り系で行こう』(明窓出版)がマックスで1000部くらいだから。まったく無名で、そのやり方では結構売れた方だと思うんです。ただ、それは書泉グランデとか三省堂のスピリチュアルコーナーに並んでいたから何となく手に取って買ってくれる人もいたからだけど、今回は書店に並ばないから、アマゾンで検索して出てこないとだめなんですよね。

 土 うん。

 那 だから、その手のノウハウ本をちょっと読んでみたんですよ。そしたら「アマゾンの検索キーワードに出てこないものをタイトルにするとまったく売れない」と言うんです。特に素人は検索してもらえないから売れないんだ、と。

 高 うん。

 那 だから、結局、悟りの本だったら「悟り方」とか、「瞑想」とか、「マインドフルネス」とかベタなワードをタイトルに入れないと――有名な作家は別だよ?――、検索で出てこない限りはダウンロードしようもないから。

 高 確かに。

 那 だから、みんなベタなタイトルなんですよ。「Kindle出版の仕方」とか、「Kindle出版の儲け方」とか「ツイッターの増やし方」とかそんなのばっかりなんですよ。「副業で月何万儲けよう」とかね。そういうの見てると何だかなぁ、とは思うけど、この原稿は「クリシュナムルティ」ってワードが入っているから、もうそれだけで別にいいかなって。

 高 「クリシュナムルティ」で検索する人は絶対、一定数いるからね。

 土 一定数(笑)

 那 それでサブタイトルで、それほど意識して書いてきたわけではないけど、「二十一世紀の諸問題に照らし合わせて、二十世紀を代表する覚者の言葉を読み解く」みたいな表現にすれば、差別化できるかなって。

 高 「クリシュナムルティ」で検索するような人が、那智さんの電子書籍に当たったら、絶対読むと思うけど。

 那 興味は持ってくれるかもしれないね。まぁ、賛否はあるかもしれないけど――何かマニアックな人ほどね。でも、そんなこと言ってたってもう、だんだん忘れられていっちゃうというかさ。

 土 宇多田ヒカルだって好きなんだから。

 高 ああ、そうだよね。

 土 帯書いてもらいましょうよ(笑)

 那 書いてくれるわけないじゃん(笑)

 土 日本人の有名なバイオリニストが、クリシュナムルティのことを英文でツイートしたら、「私が好きなミュージシャンが、私が好きな哲学者をフォローしている」みたいな感じで、宇多田ヒカルがリツイートしていて……

 

●「変化した」という体感だけでクリシュナムルティを解読していく試み

 

 那 最近、通しで見てみたら、けっこう、まともなこと書いてあるんですよ。俺、毎月、配信日の前日か前々日に、1日2日でわーっと書いて。

 土 ええ。

 那 結構ラフだったり、重複していたり、冗漫なところも多かったから今、それを修正しているところなんだけど、まとめて見るとけっこういいんですよ。

 高 うん。

 那 単発で見るとちょっと質にバラツキもあるんだけど、通しで見ると意外といいんです。

 土 ええ。

 那 こういう風に書ける人、たぶん日本にいないなって思ったんです。

 土 そうですよね。

 那 何か仏教と照らし合わせて比較して書いたりしている人はいるみたいだけど、俺は体感があると。だってクリシュナムルティでしかやってなかったから。浮気してなかったから、若い時は。別に、他のスピリチュアル業界にまったく興味ないからさ。だからそれ一本でそれなりに変わったよっていうところが一つあるから、それだけで書けるんですよね。

 土 うん。

 那 多少は仏教の知識とかもあるけど、それはあまりやらずに体感だけで書いているから、こういう本ってあまりないんじゃないかなって思ったんです。読む人が読めばわかるって言うか。

 高 (『自我の終焉』を手に取りながら)これも電子書籍になればいいのにね。

 那 そうそう。絶版にしたままではもったいない。

 高 篠崎書林ってまだあるの?

 那 わからない。今、ナチュラルスピリットから『最初で最後の自由』という新訳が出ているみたいだけど、どうなんだろうね? 

 高 さぁ、読んでないから……

 那 『自我の終焉』がいいのは、文学を翻訳していた人がやっているんだよね。スピリチュアル畑の人ではなく。

 高 翻訳者がたまたまアメリカでクリシュナムルティに出会って翻訳したって経緯だからね。でも、今は中古で高い値段でしか手に入らない。

 那 まぁ、絶版になった本をテキストにしているのもどうかとは思うけど、やっぱりそれを読んでやってきたわけだし、引用箇所も貴重ということで……

 

Kindleの電子書籍出版には審査がある

 

 那 ただね、審査っていうのがあるんですよ。出版にあたって

 高 うん。

 那 もちろん、過度の暴力的表現とか、そういうのはアウトだけど、一番ひっかかりやすいのは、ブログとかそのまま本にしている人がすごい多いらしいんですよ、今。ブロガーとかが。それをそのまま載せちゃうと、AIが判定しているらしくして、ネット上に載っているものをそのまま盗用した、とみなされちゃうらしいんです。

 土 ああ……

 那 それでアウトになっちゃうんですって。

 土 自分のものでも?

 那 自分のものでも。AIは関係ないから。(カスタマーセンターに問い合わせて通してもらうことは可能らしいです)

 土 AIも使えないですね(笑)

 那 だから「クリシュナムルティ解読」は無我研のHPに10章まで載っけていたんだけど(書籍化する第一部は21章立て)、削除してもらったんです。あれ、けっこう評判良かったんですけどね。最近でも、「続きは載せる予定がありますか?」っていう問い合わせがあったくらいだし。

 土 うん。

 那 ブログにも細々載せてきたんで、それも遡って第一部は消したんです。もしかすると第二部も近いものだと思われると引っかかるかもしれないから、審査の時には消すかもしれない。

 土 もったいないですね。でも、消した方がいいですよね。

 那 そう、消さなくちゃいけないんですよ。だから、今までのコンテンツでHPに載せてある悟り系の記事とか、短編小説とか、電子書籍で出そうと思ったら消さなくちゃならない。そしたらあのコンテンツが貧弱になっちゃうからあまりやれないなって――調べていくと何かいろいろ面倒くさいし、難しいところもあるんです。

 土 それで消すんですね、出す人は。お金を出してもらう本にまとめたから、前のを無料で読まれるのは困るから消しているのだと思ってました(笑)

 那 いや、審査期間だけ下書きにしたり、消しておけばいいという話もあるから、その辺はまだわからないけど。

 土 ふーん。

 那 あと、アマゾンと独占契約だから(ロイヤリティを70%で契約した場合)、それを他の電子書籍の媒体やネットで公開してはいけない、というのがあるみたいで――まぁ、とりあえず審査の間だけはネットに上げたものは消さないといけないみたいなんです。だから、何でもかんでも昔のものをまとめて出すわけにもいかないというか……

 高 とりあえずやってみて、どれくらい反応があるか。

 那 そうですね。

 

Kindleではペーパーバック版も無料で出せる

 

 土 いつ頃出版する予定なんですか?

 那 今月末か来月頭(3月末か4月頭)くらいまでには出したいと思ってやっているけど。表紙の作成もあるし、ペーパーバック版もどうせなら一緒に出したいから、もうちょっと先になるかもしれない。

 土 ペーパーバック版も無料で出せるんですね?

 那 ええ、ただ一冊あたり何百円かコストがかかるから、電子書籍よりも少し高い定価にしなくてはならないんです。ただ紙の本がいい、という人も一定数いるからね。

 土 そうですね。

 那 それとペーパーバックだと体裁が違うから、本文も別に編集したり、背表紙を作ったり、見本を送ってもらってチェックしたりとかいう作業があるので、ちょっと読めないところがあるんです。でも、ここで近いうちに本を出すことを告知しておけば、検索してくれる人もいるかもしれない。

 高 いるでしょ。メルマガ読んでいる人なら絶対検索するよ。少なくともKindle Unlimitedの会員なら絶対読むと思う。

 那 だといいんですけどね。ここ以外に告知する場所もないから……

 高 まぁ、SNSとかで宣伝して売れる類いの本でもないしね。

 那 別に俗世間でベネフィットがある本でもないから。これ読んでもお金持ちにはなれないから。

 土 いやいや。

 那 むしろ潔癖になり過ぎて貧乏になったりして。

 土 いえいえ(笑)

 高 いや、貧乏になっても平気だっていう本になれば(笑)

 土 (笑)

 高 これから日本はどんどん貧乏になっていくんだから、そういう時に心構えとしてさ。

 土 心構えとして(笑)

 高 物質的な豊かさを求めても無理なんだから。

 土 これ、どうにもならないんですかね?

 高 株だけは4万円とかになっているけど。

(日本経済の行く末の話、カット)

 

●「非人間的な時代」だからこそ、クリシュナムルティを読む

 

 高 昔、スピリチュアルな本で『ファウスト博士の超人覚醒法』というのがあったんだけど、知ってる?

 那 ああ、名前だけは知ってる。

 土 知らないです。

 高 あの作者が、最近ユーチューブをやっているというので観たんだけど、クリシュナムルティについて語っていて。

 土 へぇー。

 高 何を言っているかと言うと、「彼の教えはね、もう完璧でね、言っていることは100%正しいんだけど、結局、彼が生きている間に、彼の周りにいた人があれだけ彼の言うことを聞いていたのに、目覚めた人は誰もいなかったじゃないか」と。

 土 うん。

 高 つまりそれは、彼の方法論に問題があったんだっていうことを言っているわけね。だから「あまりにも生の教えをぶつけ過ぎて、周りの人はそれを理解できなかったっていうのは彼の失敗だった」ってことを言っていて、あのー、それは彼の生前から言われているし、彼自身もそういうことをずっと言われていたわけだけど、結局、周りに理解されなかったっていうのが彼の一番の悲劇というかね。だからこの本(『自我の終焉』)だって、これさえ読めば全部終わりなんだよね、本当はね。

 土 ああ……

 高 他の精神世界の本なんかまったく読む必要ないんだけど、でも、やっぱり物足りない……いや、物足りないんじゃなくて、他のものを探しちゃうんだよね。

 土 うん。

 高 そこは、ああいう人でもそういう考えになっちゃうのかなと思ったけどね、ユーチューブ観て。

 那 だから、ある種、カルピスの原液は飲めない、ということなんですよね。

 土 うん。

 那 カルピスの原液みたいなものじゃないですか? ドストエフスキーと同じで、本物って濃いんですよね。まぁ、この人の場合は透明過ぎるという感じもするけど。ガラス細工でできた完成品なんですよね。言っていることは正しい、と。

 高 うん。

 那 でも、ガラスだからそこに中々温度を感じないというか、人間味がないんですよ、本物過ぎて。数学の公式みたいなものでね。だから触れがたいというか、飲めないというのがあって、これは芸術品として残って、その中で本当に必要とする人だけが取り組んでやるもので、一般的な人が実生活で扱いづらいと言うか、飲みづらい原液みたいなところがあって。

 高 うん。

 那 だからよっぽど……俺みたいに非人間的な領域まで落ちちゃって、――死ぬよりも狂う方が恐いって思ってる時期があったんですよね。「狂ったら終わりだ」「狂ったら終わりだ」ってずっと言い聞かせるぐらい、ぎりぎりの時期があったんですよ。

 高 うん。

 那 そんぐらいの時期にこれに会って、ようやく物足りるものに出会えた、と。自分のその時の濃度に釣り合うだけの濃いものに出会えた気がしたんです。俺も必死だったからいろいろな文学とか哲学書を読んだ後にそっちに行って、スピリチュアルな本棚見てみても、なんだよ、こんなの全然俺の要求に応えられないものばかりじゃないか、と。薄っぺらかったり、甘ったるかったり、道理が通っていなかったり・・・本物じゃない、本物じゃない、と。でも、『クリシュナムルティの瞑想録』を手に取って読んだ瞬間、釣り合ったんですよね。

 高 うん。

 那 そんぐらいの人だったら、逆に、ビビッドに来る。

 土 うん。

 那 だからこれしか読まないし、この実践法一本でいこうと思って、他にまったく興味が持てなかったんです。仏教の本を読んでもどこかお説教っぽかったり、怒るな、とか。そういうのじゃないから、みたいな。

 高 ある意味、ぎりぎりのところまで来ている人にはビシッと来る。

 那 孤独で、何もそういう癒やしとか、悟ってお金持ちになるとか、そういうのはいやらしく感じるというか、まったく受け付けない。それどころじゃないよ、みたいな。

 土 うん。

 那 その時に、これだけが応えてくれたんですよね、俺の悩みに。だから他のものは何もいらなかったんだけど、たぶん、大抵の人はそこまで追い込まれていないから。

 高 そうそう。

 那 芸術品としてはすごいね、と思うかもしれないけれど、人ごとになってしまう。

 高 「だからクリシュナムルティはだめだ」とはならないでしょ?

 那 そう、これは残すべきものなんですよ。だってこれからもっと非人間的な時代が来て・・・

 高 みんなが追い詰められれば追い詰められるほど(笑)これが必要になってくるはずなんだよね。

 那 そうそう。

 

●クリシュナムルティの方法論は、「鏡を見る」というシンプルなこと

 

 那 だから解読でも書いたけど、結局は「使えない」とか、「役に立たない」とか、「方法論がない」とか言われるけど、「いや、方法論言ってるやん」って。「鏡を見ろ」って言ってるだけなんですよ、自分の顔を。でも、みんな鏡で見たくない。

 高 うん。

 那 ちょっと照明当てたり、お化粧したり、都合のいい顔だけ見たいでしょ。

 土 (笑)

 那 解読にも書いてあるけど、「みんな真実を知りたい」と言うけど、「自分の真実を知りたい」とは誰も言わない、って。

 高 うん。

 那 みんな「悟りたい」「本当の真実を知りたい」「永遠の幸福に到りたい」とか言うけど、「自分の真実を知りたい」と言う人は誰もいないでしょ? クリシュナムルティが言っているのは、「まず自分の真実を知りなさい」「直視しなさい」ってことで、「自分の顔を鏡で正面から見ろ」って言っているだけなんですよ。

 高 うん。

 那 でも、見たくないから、ちょっと照明を「神の光だ」とか言って当てたがるんですよ。美しくしたがるんです。

 土 うん。

 那 だから、そのまま真実を言う人って嫌われるんですよ。「別に、あれこれ言わず、あなたの真実の姿を見ればいいじゃん」とか。「本当は真実とかどうでも良くて、自分がかわいいだけでしょ?」とか、本当のこと言われると人って嫌じゃないですか? 「かわいいね、きれいだね」と言われたいじゃないですか? 「ほんとはきれいなんだよ」と言われたい。でも、「あなたって自己中心的で、醜い心を持っているね」とは言われたくないじゃないですか?

 高 (笑)

 那 そういう教師からは去って行くじゃないですか? 本当のこととは言え、他人から厳しいことを言われると。だから真実って、人から言われても無駄だから、自分で気づくしかないんだよって話なんです。だから俺も言わないようにしているけど、本人が「俺の心ってこんなに自己中で醜かったんだ」って気づいたら、変わるわけでしょ?

 土 うん。

 那 あるいは犯罪者が、「俺って何てとんでもない罪を犯してしまったんだ」と気づいた時に、犯罪者は犯罪者でなくなるわけじゃないですか? 心理的にはね、本当に気づけば。

 土 うん。

 那 そこに変容があるわけで、クリシュナムルティはそれを言っているだけなんですよね。

「自分で直視したら変わるよ」って。

 高 うん。

 那 自分が「あるがまま」を認めて、「あるがまま」そのものになっちゃえば、そこには「あるべき」との分離がないから、エネルギーのロスがなくなって、変容する。醜い心を持った自分が「俺ってなんて醜かったんだ」と心から気づいたら、もう醜くはないでしょ?っていうのがKが言っていることのすべてで、ただ見たくないから、「Kが言っていることは難しい」「方法がない」とか言っているだけなんですよ。

 高 そうそう。

 那 だから、まずは呼吸法で、とか。

 高 目を閉じて瞑想して、とか。

 那 クンダリーニ上げて、とか。いや、最初に上げちゃだめなんだよって言うことなんですよね、俺からしたら。自己認識を徹底して、自我を壊して、変容した後で、ちょっと認識を広げるためにいろいろ試してみる、くらいならいいかもしれないけど、最初にそっちにいって、神秘体験とか求めると間違う。

 高 うん。

 

●絶体絶命の状態なら、目の前にある危機の源を見るしかなくなる

 

 那 「ただ見りゃいいんだよ」って言っているだけなのに、みんなやらないというのは、そこまで追い詰められてない、ということなんですよね、逆に言うと。

 高 うん。

 那 だから絶体絶命なら、苦しんでいるなら、その源になっている自我だけを観るしかなくなる。呼吸法なんて回りくどいことだ、とやってられなくなる(まぁ、別にやってもいいわけですが)。だって、今すぐ何とかしなくちゃならないんだから。崖っぷちを歩いていて、次の瞬間、よく足下を見ていないと落っこちちゃうかもしれないんだから。それくらいの緊張感がある状態ならばね。

 土 うん。

 那 それでも俺は7年くらいやっていたからね、一人で。それだけやって、最後の最後にパランと落ちた、というか。そしたら真ん中にガチッとあったものが端の方に小さな石ころみたいにパランと転がっていて、「ああ、こっちの方だったんだ」(自分は世界だったんだ)って。自分を苦しめていたいびつな我というものがなくなる。まぁ、偽我はあるけど。それを別に誰かに言う必要もないから言わなかったし、こういう仕事をしていたから3年くらいして本を書いたけど。でも、そういう何か、濃い状態の人は必要とするんじゃないですか、これからも。

 土 うん。

 高 だからクリシュナムルティを理解している、と思う人でも、「やっぱり彼はもうちょっと人のこと考えた方がいい」とかさ(笑)

 土 (笑)

 高 「周りの人を悟らせられなかったじゃないか」とか、そういうことを言うというのは俺にはよくわからないんだよね。

 那 何かを理解した人は当然いたと思うけど、数が少なかったり、目立たなかったり、そういう人って言わないんですよね。

 高 うん。言わないよね。

 那 俺だって言わなかったし、別に言うことでもないから。アピールしないんですよね。たまたま本書く仕事してたから書いただけで、だから、こういう場がたまたまあるだけで、別ジャンルの仕事してたら書こうとは……

 土 うん。

 那 まぁ、自己表現欲が多少あるタイプだから、そうでなければ黙っていたと思う。それで本出しても、セミナーやるとか抵抗あってできなかったし、いわゆる“覚者”みたいに見られたくないし、普通でいたい、というのがすごい強かったから。今でもそういうのあるけどね。だから今回も出すのにも抵抗あるくらいだもんね、何か。

 土 うん。

 

(MUGA第152号掲載)

 

※『クリシュナムルティ解読』の刊行時期は、編集作業の遅れにより5月のGW頃を予定で進めています。


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