2024年はどんな年になるのか

 

高橋ヒロヤス

 

年明けから震災や災害や事故が相次ぎ、早くも前途多難を予想させる2024年が始まった。

 

7年前の2017年の1月に自分が書いたMUGA記事に、劇作家ケラリーノ・サンドロビッチ(1963-)のこんなコラムを引用していた。

 

「雑誌やウェブで多く見かける『2017年、世界は? 日本は? どう変わる?』といった記事では、年金、労働環境、子育て、貧困、国交、さらには気象に関しても、一様に『お先真っ暗でどうにもならない』との見解が多数を占め、『どん詰まり』の様相を呈している。嫌な年明けだ。諦めて自閉する者や自暴自棄になる者が増える。

『こんな時こそかくあるべきだ』と軽々しく鼓舞するつもりも『それでも頑張りましょうよ』と無責任な励ましを綴るつもりもないけれど、各自、身の回りに希望を探せばきっと見つかるのではないか、と進言しよう。私は家の猫を見ているだけで生きる力をもらえる。素敵な映画を見れば元気になれる。ツイートやブログで信頼できる人、尊敬できる人の日常を垣間見ることで励まされる。こうして生き延びることで、きっといいこともあると信じられる。そんな年始。」(東京新聞「風向計」2017年1月5日より)

 

これに続けて自分はこう書いている。

 

「大きな視点での希望が抱きにくい状況で、身の回りに希望を探し、かけがえのない日常のディテールを大切に愛でること、という『生き延び方』は、一つの効果的な方法ではあると思う。」

 

7年後の今も、まったく同じことが言えるような気がする。

 

周囲の状況は変わらずどん詰まりで、何も変わっちゃいないどころか、着実に悪化していると思えても、自分にとっての<リアル>を手掛かりに、一つ一つの体験を味わい、深め、時には流し、ブレずに、同時に肩の力を抜いて生きていくこと。

 

いつの時代にも、どんな状況にあっても、そうやってじっと自分の足元を見つめ、前を向いたりよそ見しながら歩いていく以外に方法はない、改めてそんな気がしている。

 

年末年始には、大谷能生(1972-)の『ツイッターにとって美とは何か』(フィルムアート社、2023年)という本を読んだ。これは去年書かれた本だが、書いている途中に「ツイッター」は存在しなくなり、「Xエックス」になってしまった。

 

この本は、吉本隆明、菅谷規矩雄、時枝誠記、G・W・F・ヘーゲル、ロラン・バルト、ルイス・キャロル、コナン・ドイル、シャルル・ボードレール、ギュスターヴ・クールベ、エドワール・マネ、ジャン゠リュック・ゴダール、フランツ・カフカ、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、ジャック・デリダ、J・L・オースティン、夏目漱石、正岡子規、石川啄木、本居宣長、小林秀雄、橋本治、キャス・サンスティーン、ドナルド・トランプなど多士錚々の面々について縦横無尽に引用がなされ、考察され、刺激的な論考が繰り広げられている。

 

この本を読んでいることがきっかけになって、大岡昇平(1909-1988)の「小林秀雄」(中公文庫、2018年)という本を古本屋で購入した。大岡は十代の頃に若き日の小林秀雄(1902-1983)にフランス語を習って以来、小林が亡くなるまで交友が続いていた。

 

小林と中原中也(1907-1937)の有名な長谷川泰子(1904-1993)をめぐる恋愛事件についても、目の当たりに目撃している。

 

(以下引用はじめ)

 

どっかの支那そば屋かなんかだった。僕を入れて四人で飲んでいるうちに、いつの間にか中原と泰子が喧嘩になっていた。中原は泰子をなぐった。小林は終始黙って下を向いていたが、ここにいたって、卓子の向うから中原の両手をつかみ、卓子の上に抑えつけた。力は段が違うから、中原は無論動けない。小林は下を向いたままだった。中原は放心したような眼を天井に向けていた。抑えられて、うれしいとも取れる表情だ。

 

どんな話だったか覚えていないが、とにかく僕はそれからドストエフスキイの会話を読んでも、長いとも不自然だとも思わぬのである。

 

十八歳の少年にとって、この場面の印象は強すぎた。飲みなれない酒も手伝って、僕は思わず貰い泣きした。小林は店を出る時、「君の涙を自分で分析して見給え」といった。

 

(大岡昇平「小林秀雄」より引用終わり)

 

「とにかく僕はそれからドストエフスキイの会話を読んでも、長いとも不自然だとも思わぬのである」というのがなんだか面白い。一体どんな会話をしていたのだろうか。

 

小林や周囲の友人の回想によれば、中原から泰子を奪い取って同棲するかたちになった小林は、神経を病んだ長谷川泰子の妄言に徹底的に付き合わされたと言うことのようだ。

 

たとえば、泰子がいきなり小林に「わたしは今どこにいるの?」と訊ね、小林はそのとき泰子が心の中に描いていた場所を正確に言い当てないといけない。それができなければ、あるいは適当に言い逃れたりでっちあげたりしようものなら、泰子は狂ったように暴れ回る。

 

泰子の質問に満足な答えを与えても、すぐに二の矢、三の矢が飛んでくる。そのいづれにも的確に回答しなければならない。そんなことが一日中、あるいは一晩中続く。それは非常な神経の緊張を強いられる日常であった。当時の二人の生活がそういうものであったことは、後に長谷川泰子自身が自叙伝の中で認めている。

 

小林が評論家として頭角を現したのはその後のことだが、彼が当時流行っていた私小説を読んで「全然女が書けていない」とばかり批評していたのは、俺はこの長谷川泰子との経験を潜り抜けたという自負があったからではないか。

 

大谷能生の本には、あの『桃尻娘』や『源氏物語桃尻訳』で有名な橋本治(1948―2019)が小林秀雄の『本居宣長』を読んで感激した、ということが書かれている。

 

体制的知識人に足蹴をくらわすのが芸風ともいえる橋本のような人にとって、小林秀雄はずっと無視すべき存在だった。それでも雑誌の企画か何かで渋々読んでみたら面白かったという。それは、小林の本居宣長を評価する姿勢が、橋本が常日頃学者たちを批判するスタンスと共通していたからだ。

 

本居宣長(1730-1801)にとっては古事記にしても源氏物語にしても「もののあはれ」こそが重要なのであり、それを欠いた思想や哲学や文芸には彼は何の意味も見出さない。だから彼は源氏物語の「歌」を称賛し、自分でも下手な和歌を詠み続けた。小林秀雄もまた感動なしに文学や芸術を論じることの虚しさを説いた。小林が戦後は骨董に熱中し、文芸批評をほとんどしなくなったのは「もののあはれ」を感じさせるような文学に出会うことがなくなったからだろう、と大岡は書いている。

 

小林は、まだ十代かそこらの大岡に、エントロピーの法則についてほとんど夜を徹して熱心に語り聞かせたことがあるという。

 

エントロピーはもともと熱力学の第一法則(エネルギー不滅の法則)に対して、第二法則とされるもの、すなわち一つの系の中では「分離(秩序)の状態が次第に混合(無秩序)という結果に変化する」ことを言い、他の系からの影響がない限り、それを再び秩序の状態に戻すことはできない(不可逆)という概念である。

 

第二次大戦後は、この概念が情報理論にも応用され、エントロピーは無秩序性を指すと同時に、情報におけるわからなさの度合い、でたらめさ加減をもさすようになった。この考え方で行くと、今日さまざまなメディアの発達によりインフォメーションのみ氾濫し、それが至る所に拡散し、混合し、エントロピーを増大させ、ついには情報が何を意味するかも分からぬ混沌に向かっているというペシミズムになる。

 

トマス・ピンチョン(1937-)の小説などではこの概念が体現されており、長編『V.』(1963年)や『重力の虹』(1973年)はポスト・モダン小説の代表作ともなった。トマス・ピンチョンという作家は、名前だけはやたらに目にするのだが、これまで読んだことがなかったので、読んでみようと思って図書館で借りてみた。

 

小林はすでに戦前の時点でこうした事態を予見していたとも思える。だとすれば、エントロピーという問題意識を欠いた戦後文学は物足らず絶望して文芸批評を辞めてしまったのもやむを得ないと言えるか(小林がピンチョンを読んでいなかったことはほぼ確実だろう)。

 

小林にかかると、あの戦後文学の生んだ天才と今でも思う人がたくさんいるだろう三島由紀夫(1925-1970)でさえボロクソで、なんと三島との対談で、面と向かってこんなことを言っている。

 

(引用はじめ)

 

小林「きみの中で恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね。」

 

三島「……。」(笑)

 

小林「つまり、あの人は才能だけだっていうことを言うだろう。何かほかのものがないっていう、そういう才能ね、そういう才能が、君の様に並はずれてあると、ありすぎると、何かヘンな力が現れて来るんだよ。魔的なもんかな。きみの才能は非常に過剰でね、一種魔的なものになっているんだよ。ぼくにはそれが魅力だった。あのコンコンとして出てくるイメージの発明さ。他に、君はいらないでしょ、何んにも。。(中略)つまり、リアリズムってものを避けてね、実体をどうしようというような事は止めてね。何んでもかんでも、君の頭から発明しようとしたもんでしょ。(中略)あのなかに出てくる人間だって、(中略)あの小説で何んにも書けてもいないし、実在感というものがちっともない」

 

(引用終わり「文藝」昭和32年1月号)

 

三島の自決は「才能の枯渇のせい」と言い放ったのは生前三島に文学全集からハブられた恨みのある松本清張(1909-1992)だが、作家として充実した時期の(「金閣寺」発表直後)三島本人に向けられたこの言葉の方がよほど残酷だと思う。

 

このツイッター時代に文学性なんてものを求めることはどだい間違っているのかもしれないが、先日「みどりいせき」という小説で集英社すばる文学賞を受賞した大田ステファニー歓人(1995-)の受賞スピーチがX(Twitter)に挙げられていた。これが「もののあはれ」だと言いたいわけではない。2024年に「もののあはれ」みたいなものを伝えるために足掻いている表現者というのはどこにいるのか探してみたいだけである。

 

(以下引用)

 

続きまして集英社すばる文学賞を受賞されました大田ステファニー歓人さん、

 

お願いいたします。

 

 

 

うぇい

 

えい

 

えっとー、実はですね、自分先日

 

結婚しました

 

(会場拍手)

 

えっと、うーん

 

これから頑張って いこうかなって感じです

 

もっと 寿ぎ案件 話しちゃっていいすかね?

 

このまま日本が平和に、うちとかおりんが順調に生きて行けば、

 

来年、親になるかもしんないっす!

 

(会場大拍手)

 

なので、えっと これから頑張っていかなきゃいけないんで、

 

自己紹介させてもらおうと思います。

 

自己紹介の詩を書いてきたので ちょっと朗読させてもらいます

 

(拍手)

 

うち ステファニー

 

早寝早起き 歯食いしばり

 

辛いゴミ拾い に従事

 

愛するかおりん Family にFriends

 

仕事仲間もとい みんなの支え

 

肥やしに 日々 水やり sense栽培

 

育ったつぼみ くだき 言葉 売買

 

一服したらまたね バイバイ

 

夜 帰り道 深く かぶり 顔隠す

 

championのhoodie

 

って感じの うちがステファニー

 

In da buildhing yeah

 

「みどりいせき」 2月に単行本出るんで

 

よろしくお願いします!

 

裁くの任せる 集英社

 

これから稼がせる うちら共犯者

 

余裕が出たら募る 他誌編集者

 

一緒になろうよ億万長者

 

(会場笑い)

 

みたいな・・・

 

堂々としてたいんすけど、実際今のは

 

ちょっと強がりっていうか

 

本当は気軽にハッピーなことだけ書いて

 

お金稼いで 家族養ってってやっていけたらなって

 

思ってたんですけど、なんか

 

いざデビューしてみると

 

なんか そんな成功って ぶっちゃけつまんなそう

 

始まってもないのに普通に不安

 

すばる販売されても前途は多難

 

書く前に人間 

 

生きるのは苦難

 

11月号販売の翌日からイスラエルでハマスのテロ

 

「みどりいせき」へのレビュー増えれば増えるほど

 

比例して増すガザへの報復の惨状の報道

 

わけもわからず20分おきに死んで行く子ども

 

生きてるだけで罪悪感

 

社会の傷 もう見たくない

 

世界の裏を知りつつも 目を伏せ綴る平和な日常

 

そんなくだらないの書いて意味あんの?

 

小説家って社会に何の役に立つの?

 

歩みを止めて自問自答

 

虐殺を止められない国際社会の一員 それがウチ

 

あんまなめんじゃねえ

 

くだらんから消すことになった2作目50枚半

 

とにかくなりたくない恥知らずな作家

 

sell out 金儲け 惨めなcocksucker

 

そんなん恥ずかしいだけのただの馬鹿

 

赤に見せらんない 欺瞞まみれ 親父の背中

 

無理って言われても勝手にやる試行錯誤

 

自分なりのスタイルで

 

レペゼン dope 吉祥寺 from cyber hippie

 

ピース ハオ 中指

 

うちが大田ステファニー

 

(拍手)

 

最後に、そこの車いすの、お母さんなんすけど、

 

えーまあ、なんだかんだうちの両親が

 

育ててくれなかったら、こういうおめでないものもなかったと思うんで

 

最後、偉大な息子をmakeした親に拍手お願いします 笑

 

(拍手)

 

(引用終わり)

 

「みどりいせき」が読みたくて「すばる」のバックナンバーを図書館で探したのだがどれも10人以上の予約待ちになっていて本屋でも売り切れの為、2月に単行本が出るのを待つしかないようだ。

 

2024年はどんな年になるのだろうか。

 

(MUGA第150号)

 

 


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