『クリシュナムルティがいたとき』(12)

メアリー・ジンバリストによる回想

 

高橋ヒロヤス

 

『クリシュナムルティがいたとき』(原書『In The Presence of Krishnamurti』、メアリー・ジンバリスト著)という本の中で、特筆すべき部分を紹介する。

 

この本は、クリシュナムルティ(以下単に「K」ともいう)が70歳のときから91歳で亡くなるまで彼の同伴者として付き添ったメアリー・ジンバリストという女性が、彼女自身の日記を元にインタビューに答える形で詳細に回顧した記録であり、原文(英語)はインターネット(http://inthepresenceofk.org/)でも読める。

 

日本語も出版されているが、上巻・下巻ともに百科事典のようなボリュームがあり、全部読み通すのはかなりの時間と労力がかかる。これだけの量を翻訳してくれた方の労には感謝したいが、正直、読むのが少々困難な個所もある。

 

この膨大な記録の中から、ほとんどの読者にとってはどうでもよい瑣事は避けて、Kの人となりやKの教えを知る上で興味深い部分のみを、年代順に紹介してみたいというのがこの企画の趣旨である。

 

1977年7月24日、スイス、ザーネン講話の最終日。この第7回目の講話でKは、条件づけられた精神の空間と、自己も中心もない無限の空間について語った。メアリーはそれを聞きながら、「彼が語るにつれて、私は彼がその無限の空間に生きているのが見えた―残りの私たちは自分たちの囲いに縛られている。しかし講話の中で彼は聴く者を山々を超えて空に持ち上げているようだった」と感じた。講話の終わりにKは両手を合わせて、聴衆に「もう行ってもいいですか」と言って立ち去った。メアリーは道路で人々に取り囲まれたKを車に拾って走った。

 

7月25日、Kを古くから知っているオランダのアンネッケ・コンドルファーと、ラージャゴパルが支配するK著作協会のイギリス代表だったドリス・プラットとの食事の際に、Kはなぜ彼女たちがラージャゴパルを止めようとせず、彼が何をしているかを見ようとしなかったのかと訊ねた。ドリスは狼狽し、Kの言葉を遮って取り乱した。

 

アンネッケは1920年代の神智学時代からの仲間で、陽気な人物であったが、Kについてはこんな風に述べている。「Kは一つの現象であり、渦巻く火のようで、近づくものは必ず焼かれる。私たちが焼け死んでもそれは私たちの問題で、Kは関知しない……彼は一見矛盾に満ちているが、彼の言うことは真理そのものだ。私はいつの日か、彼に近づくのを止めて、彼の本を読むだけの幸せな人たちの一人に戻ると思う」。

 

スイスで何回か討論会を開いた後、8月には英国に飛び、ブロックウッドに滞在。

 

Kはそこでも講話を行ったが、ブロックウッドへはほとんど公共交通機関がなかったので、講話に参加する人々のために何台かバスを貸し切る必要があった。メアリーはテントで交通整理を手伝った。9月2日にメアリーは母親が亡くなったとの連絡を受けた。

 

ブロックウッドには精神的に不安定な若者たちがいて、スタッフはそうした人々への対処もしなければいけなかった。Kの基金への寄付を募るのもメアリーたちの仕事だった。

 

Kがピーター・ジェンキンズ氏の小さな娘の白血病を治した、とこのときの日記にある。

 

9月にKはブロックウッドの学校の職員や学生と何度も対話の機会をもった。テーマは学生たちのセックスの問題、智恵をもって生きるとはどういうことか、自己の不在とはどういうことか、楽しみ(個人的な快楽)が人を孤立させることについてなど。

 

Kが気絶しそうになることがしばしばあり体調を病院で検査。特に問題なし。

 

10月22日、ロンドンでデビッド・ボームと精神科医R.D.レインに会う。レインは『引き裂かれた自己』などの著書で知られ、精神分析家として統合失調症の隔離治療に異を唱え、ガタリやドゥルーズなどの思想家にも影響を与えた。

 

10月末、メアリーは一人でニューヨークへ行き、母の亡くなった後のことをして、ロサンゼルスのオーハイに向かう。Kは一人でインドに向かった。Kはほとんど毎日メアリーに手紙を書いたが、インドの郵便事情が悪く、何週間も届かなかった。

 

Kは翌年(1978年)1月末までインドに滞在し、それからロンドンに向かい、2月5日にメアリーの待つロサンゼルスに着いた。彼はエネルギーに満ちていて、11月にインドに発って以来に起きたこと全てをメアリーに話したがった。

 

Kはインドで、あなたは誰に対して話をしているのかと訊ねられたと言った。彼は、誰にでもないと答えた。自分は誰にも語りかけていないし、結果を追い求めてもいないから、そこにはより大きなエネルギーがあると。

 

2月16日、Kは若い人々が続けていくことを切迫した問題と感じ、成人のためのセンターの必要を訴えたが、当時それを担っていたフリッツ夫妻は不適任だと考えていた。Kは仏陀には自らの教えを本当に理解する弟子が二人いたが、どちらも仏陀よりも先に亡くなったと語った。メアリーはその話を聞いて泣いてしまった。

 

神智学協会のラーダ・バーニアがオーハイに来ていて、ラージャゴパルを訪問してKのアーカイブの問題などについて話し合おうとしたが、まともな話にならなかった。

 

3月、K財団の理事たちとデヴィッド・ボームも交えた議論。成人のためのセンターを運営しようとしていたフリッツ・ウィルヘルムの方針に対して理事たちは疑念を持っていた。フリッツの主催するグループ・ディスカッションは、一種のグループ療法のようなもので、Kの教えとは関係がないと理事たちは感じていた。一方のフリッツは自信たっぷりだった。

 

この頃、デヴィッド・ボームがロンドン大学を退職してブロックウッドの近くに住む計画があり、それについて話し合われていた。Kのボームに対する期待のほどがうかがえる。

 

4月1日、公立学校のホールで第1回オーハイ講話が開かれた。悪い場所ではないが、Kは樹々の下でやるほどにはよくない、といって少し物足りなそうだった。

 

翌日の第2回の講話で、Kは思考が停止され、洞察と智恵がそれを引き継ぐことについて語った。それをKは「思考から出る転換のカミソリの刃」と呼んだ。なぜ人々にそれが見えないのか自分には分からないと言った。

 

思考は常に古く、知識は過去であり、思考が自らが制限されていることを見るとき、洞察が起こる。<見る>ことで思考が洞察と智恵に引き継がれる。人間は言語を用いているのではなく、言語に用いられていること、理想に圧迫されていることについてKは話した。

 

翌日の講話では、「観察する者は観察されるものである」ことについて話し、「大変なエネルギーを注いだ」とKは帰りの車で語った。

 

講話の後、散歩しながらKはメアリーに、聴衆は自分の言うことを理解しているだろうかと訊ねた。メアリーは、真剣に集中して聴いている人たちもいるように見えたと答えた。でも彼の言うことがすり抜けていくように見える人もいた。

 

「観察する者は観察されるものである」という言葉は、おそらくほとんどの人には掴みにくいかもしれない、とメアリーが言うと、Kは「他に何?」と訊ねた。それ以外に何と言えばいいのかとでも言いたげだった。

 

メアリーは、人々は心理学的な用語や言い回しに慣れているが、Kのはそうではないと言い、人々は自分の理解を<投影>すると言った。精神は、自分の蓄積した思考や知識を、自らが観察するものに<投影>し、それで彩ってしまうので、それにより見えなくなる。

 

Kはメアリーの説明を聞いて、自分もこれからは<投影>という言葉を使おうと言った。

実際にはそうしなかったのだが。

 

その夜、テレビでヒッチコックの映画を見ているとき、突然Kは、「私は生まれて、直接<見る>ことができていたに違いない。私は決して<そのすべて>を経たことがない」と言った。

<そのすべて>とは、通常の人間が持つ思考やイメージや分割といったもののことである。メアリーは日記に「彼(K自身のこと)はどうしてこのすべてを知っているのか」というKの言葉も記録している。

 

ここからは私個人の考察になるが、Kはしばしば「自分は思考を持ったことがない」と言い、通常の人間が抱く思考やイメージ形成を幼い頃からまったくしてこなかったと語っている。

 

その言葉を真に受けるなら、Kという人間はやはり一種の「心理的変種」であり、通常の人間には理解できない存在であるということになってしまう。そうであればこそ、Kの言うことが何十年経っても誰にも伝わらなかったという事実に説明がつく。

 

上のメアリーとの会話でも、明らかに話が噛み合っていない。

 

Kにしてみれば、「自分にとってはこれほど明白なことが、どうして他の人には理解できないのか」ということなのだろう(しかし思考をもたないKは、そのことで悩むことはない)。

 

グルジェフの教えをまとめた『奇蹟を求めて』で有名なウスペンスキーは一度Kと会ったことがあり、その後で「クリシュナムルティはいわば(通常の人間の段階を)飛び越えてしまっている」と言ったそうだが、そんな「飛び越えた人間」の言うことに耳を傾けるのは、果たして意味があることなのだろうか、という疑問が生じる。

 

その一方で、Kは「すべての人が最初に電気を発明したエジソンである必要はない」とか「コロンブスはアメリカを発見するのに何十年もかかったが、今は飛行機で行ける」とも語っている。

 

人類の文明が行き詰まり、破滅の淵にまで至っている現在、人類が生き延びるためには、思考にしがみつくのではなしに、「洞察と智恵」を生じさせることのできる「新人類」が一定数誕生する必要があるのではないか。

 

Kのような人は、その先駆けとして、「変種」として、人類の未来の方向を指し示すために存在したのかもしれないと思う。

 

つづく