ラカン雑感(2)

 

高橋ヒロヤス

 

以下に書くことは私自身がジャック・ラカンを読んでつらつらと思い浮かべた雑感(かなりの暴論)であって、ラカンの解説ではない。ラカンの精神分析とその思想について知りたい人はきちんとした解説書を読むべし。

 

ラカンは「フロイトに帰れ」をスローガンとして、フロイトの原典を常に指針にしていた。しかし彼がそこから生み出したものは、フロイト自身の思想とはおよそ似ても似つかぬものであった。それでもラカンは自分の仕事をフロイト思想のアップデートであると自負していた。

 

外面的には似ても似つかぬものでも、そこに同じ精神(スピリット)が宿っているならいいのだと考えていた節がある。その意味では、ラカンの思想から似ても似つかぬものがそこから出てきても、本質が同じならいいのではないか、などと無責任に思ったりする。

 

ラカンを読んでいると、しばしばクリシュナムルティのことが思い浮かぶ。

 

例えばクリシュナムルティに関して抱いていたある一つの謎が解けたような気がする。

 

それは、クリシュナムルティは自分で「頭の中にイメージが浮かばない」と言っていたこと。彼は通常の人が四六時中頭の中に浮かべるような思考、妄想、想念の連なりのような精神活動を持たなかったという。また夢もめったに見なかったらしい。

 

そんなことがありうるのか、とも思うが、ラカンの考え方を知って少し腑に落ちた。

 

それは、

「シニフィアンはイメージに先立ち、シニフィアンがイメージを生み出す」

というものだ。

 

これだけでは何のことか分からないので少し説明する。

 

シニフィアンというのは、言葉のことである。ただし、言葉そのものではない。

 

というのは、言葉には「記号」と「意味」の二つの側面がある。

 

「うみ」という言葉は、「うみ」という記号と、そこから生じる意味(イメージ)からできている。つまり「海」という言葉から思い浮かべるイメージを抜いたら、ただの「うみ」という無意味な記号(音響)が残る。

 

「うみ」という記号(シニフィアン)は「海」でもあるし「産み」でも「膿」でも「倦み」でもあって、文脈抜きではどれを意味するか分からない。

 

フロイトは、夢の中では「意味(イメージ)の連鎖」より「シニフィアンの連鎖」が重要であると考えた。つまり「うみ」というシニフィアンから生まれる多義性が夢の中にイメージとして現れるというのだ。分かりやすくすごく適当なことを言えば、顕在意識の「佐藤さん」が夢の中では「砂糖(シュガー)」のイメージになって現れたりする。

 

ラカンはそこからさらに進んで、「無意識はシニフィアンの構造で成り立っている」と言った。無意識の世界は「イメージ」ではなく「シニフィアン」の機能によって動く。だから無意識の働きではイメージよりもシニフィアンが優先され、シニフィアンからイメージが生み出される。

 

何となくお分かり頂けただろうか?

 

クリシュナムルティの頭の中には「イメージ」がないと述べた。ラカンの考えで言うと、イメージが浮かばないということはシニフィアンの連鎖がないということで、それは「無意識というものがない」ということでもある。

 

クリシュナムルティは常々、精神分析が「意識」と「無意識」を区別するのはナンセンスだと言っていた。どちらも「意識」であり、意識は過去の記憶の集積であると。

 

フロイトは、無意識は抑圧によって生じると言った。抑圧とは、意識したくないもの、見たくないものを意識の奥底に押し込めることである。そして意識の光が当たらないところに押し込められたものが「無意識」となって心の中に闇のような部分を形成している。

 

クリシュナムルティは、「受動的な凝視」によって意識に上るものをすべて見つめることを勧めた。それは何物も抑圧しないことを意味する。これを常に実践していると、抑圧が生じないから、無意識の領域が生まれない。したがって無意識におけるシニフィアンの連鎖として生じるイメージ形成も起こらない。

 

もちろん、無意識は抑圧されたものだけで成り立つのではないとフロイトは言っている。抑圧以前の、幼児期の言語化されない体験なども無意識を形成する。

 

われわれの思考というのは、ほとんどの場合、能動的なものではなく、受動的な思考、つまり白昼夢や妄想のような自動連想によって占められている。それはある意味で無意識的な思考である。無意識的な思考にはイメージが伴う。

 

もちろんそういう思考があってはいけないとか、ない方がいいなどとは思わない。そういう思考が豊かな発想につながることもある。ただクリシュナムルティには頭の中のイメージがなかったという説明がラカンで腑に落ちたというだけの話である。

 

そしてこの説明が正しいという保証はどこにもない。

 

(MUGA第141号掲載)

 


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