5/22「補足」更新・生島足島神社・昔の呪いって、結構複雑なんです | むがいちぜん(夢我一全)スピリチュアルガイド・相談鑑定・神社や神様徒然話

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本業は祈祷師。最近は、お弟子ちゃんが仕事に行ってくれるので副業でやっていた占い師を「電話」占い師に変えて活動中。
スピリチュアルな話、不思議な話、自分の話、祈祷師の話。そして電話占いの宣伝(笑)をメインにブログを、細々と書いていこうかなと思います。

さて「生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)」です。

 

前記事からの続き

 

 

最初に言うと、ここに祀られる二柱の神「生島大神(いくしまのおおかみ)」「足島大神(たるしまのおおかみ)」は、「建御名方(たけみなかた)」が、諏訪の地に向かう際に立ち寄った地の神とされています。

 

また、この二柱の神は宮中にも祀られている事から皇室とも深い関係を持つ神とも言われています。

 

 

ただ実際に行けばわかる事なのですが、宮中云々の前に出雲系の神です。

 

建御名方(たけみなかた)が諏訪に行く前に立ち寄った話を素直に受け取れば、自分と同じく出雲(もしくは出雲に近い・・・)を出自とした豪族を諏訪に下るにあたって現実的に頼ったのだと思います。

 

また宮中に祀られている神の、ほとんどが皇室から見て怨霊神である事を考えると「生島大神」「足島大神」も、例外ではないのかなと思います。

 

ここの神は入念に封じられ呪われています(朝廷に)

まず説明するにあたって頭に入れておいて欲しいのは、大昔の日本では「同じ音」は「同じ意味」を持っていましたし、良い意味の文字を悪い意味の文字と掛け合わせて「悪い意味」に持っていく言霊(ことだま)の技とも言える呪が多く用いられた時代でもあります。

これは現代でも言われる「四」は「死」に通じると同じ概念です。

ちなみに出雲大社の「四拍手」は、この意味から来ています。

 

「生」「島」大神

「生」は「往く(逝く)=死ぬ」

「島」は「水に囲まれた何処にも行く事の出来ない土地。隔離された土地(広義では死者の地)」

 

これで「生」島大神の「生」も、呪に転じます。「生」者が死んで「往」く場所にいる神=死者

 

「足」「島」大神

「足」とは古来、「葦」の字を良い言葉に見せる時に使う文字の一つです。

古代日本を治めたとされる天津神が住まう場所を、高天原。

そして、天津神に土地を奪われ殺されて言った神達が住んでいた場所が「葦原中国(あしはらのなかつくに)」

読んで字の如く「葦の原っぱ」です。

芦原は、そのまま天津神から見れば世の果て「死者の国」と同義でもあります。

 

また「足」を「たる」と読む場合、それは「樽(たる)=酒樽」と同じ意味になります。そして「樽」の部首である「木」を「足」に変えると「蹲る(うずくまる)」となり、これも呪として成立します。

つまり、樽(たる)のように手も足もなく動けず蹲(うずくま)る、死者の国に居る神。

それは、蹲(うずくま)って死んでいるという事を表わしています。

もしくは、そのまま死体を樽(たる)に押し込まれたのか、樽に押し込められて、それこそ池などの水に落とされ水死させられたのか。

 

 

 

死んだ後も何重にも呪をかけて「お前は、死者」だとしつこくしつこく繰り返される神。

よっぽど大きな勢力を持っていたのだろうなと思います。

この二柱の神を単純に宮中に祀られている神だから皇室と縁が深い神とだけ説明しているのを見ると、少し寂しくもなります。

 

神社の公式ページからの転載文章ですが

「生島神は生国魂大神、足島神は足国魂大神とも称され、共に日本全体の国の御霊として奉祀され、太古より国土の守り神と仰がれる極めて古い由緒を持つ大神であります。」

 

これを、どちら側の神として見た方がシックリくるのか、です。

 

 

神橋

 

大きな池の真ん中に浮かぶ島に社殿が作られています

 

島の対岸には諏訪神社

 

ここで、金運代理参拝参加者様の事を参拝しろと言われて諏訪神社→生島足島神社の順番で参拝します。

 

思いがけず代理参拝に入ったので結構時間が無くなってしまい、車に戻って「どうするかー?」と今回のメインガイドの建御名方(たけみなかた)さんに聞きます。

 

「穂高神社(ほたかじんじゃ)に行く。途中で、ガソリン入れてな」

 

ガソリン(笑

 

うちは普段は、皆さんも知っての通り子供神なので「ガソリンスタンド」とか「ご飯」の面倒(指図)は、まあしてくれないので新鮮です。

 

とりあえず、着く頃には夕方だな・・・と思いつつ「穂高神社(ほたかじんじゃ)」に出発です。

 

ちなみに生島足島神社は、神社を囲む池の周囲にある末社も忘れずに回るのがお勧めです。

 

どれもエネルギーが高く静かで、時間を掛けて参拝する価値があります。

 

 

つづく

 

 

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