一時期 宝くじのロト祈願で有名だった西叶神社の、ほど近く。
裏道を進むと「鎮西八郎疱瘡神神社」があります。
コロナウィルスが大流行していた時期に書く地域にある疱瘡神社が注目されました。その中に三浦半島の三浦総鎮守「海南神社」内に末社として疱瘡神社もありました。
そこで祀られているのが「源 為朝(みなもとのためとも)」です。
その生涯を戦い通しであった豪勇。
流罪で流された先の伊豆を平定してしまったのは有名な話ですね。そんな為朝を祀る神社が何故に横須賀にあるかと言うと「鎌倉殿の13人」ですっかり認知度の上がった「三浦氏」が関係してきます。
大河ドラマでは山本耕史が「三浦義村」を、演じていたので頭に浮かぶ人多いと思います。
その三浦氏が何故、関係してくるかと言うと。為朝は頼朝の叔父にあたるため時代は少しだけ上がります。当時伊豆七島を制圧してしまったために朝敵として攻められ戦いの末に最後は日本で最初の「切腹」と言われている自害をしてその生涯を終えました・・・とされていますが実は三浦市の手引きによって横須賀の浦賀に逃げ延びた伝説が。
実際、これは本当の事かなと思います。為朝の生母は摂津の江口(現在の淀川たり)遊女だったと言います。
これが、本当か本当でないかは置いておいて。生れに「遊女」とわざわざ出て来ると言う事は、為朝は当時「差別」されていた(朝廷から見てなので、もちろん武士も含みます)人達の仲間ですよ。と、言う意味。
そして差別されている人たちには独自のネットワークや仲間意識もあり「海の三浦氏」としては、当時から崇拝されるほどの豪勇と、そちらのネットワークも持っている為朝を助ける事は誉れであり、利益にもなる一石二鳥。
あと、力だけでは流罪で流された伊豆を治めるなんてできないですから性格がも人から好かれる良い性格だったのだと思います。
伊豆でも為朝を祀る神社があるのが「愛されていた」証明でもありますし。悪い殺され方をしたから、鎮めるために祀るという意味合いから見ても世の中の人が源為朝をどう思っていたのかがわかります。
さて、そんな為朝さん。海南神社では末社として小さなお社で祀られていますが。こちらでは主祭神として祀られています。
影が薄いのは叶神社の兼務社として鎮座しているので、神社庁の公式だと叶神社しか表示されないため、ネットで探しただけの情報を載せている所では紹介され辛いです。
疱瘡とは「天然痘」の事です。
天然痘とはウィルスによる感染症ですから、疱瘡神とは感染症に対抗する神様の事です。