~カバラの原典を詠む~ Sefer HaBahir(光の書)2 | 魂レベルの治癒をめざして【人間力を高めるムドラ瞑想】

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皆さん、こんにちは。

まごころ教育研究家のMasaです。

 

 

今日は、セフィール・ハバヒール(Sefer HaBahir「光の書」)という、超自然科学神秘思想における人間教育を研究するカバラ(Kabbalah)の古典的文献の原文から紹介します。

 

 

אמר ר' נחוניא בן הקנה: כתוב אחד אומר (איוב ל"ז כא) ועתה לא ראו אור בהיר הוא בשחקים, וכתוב אחד אומר (תהלים י"ח י"ב) ישת חושך סתרו ואומר (תהלים צ"ז ב) ענן וערפל סביביו קשיא, בא הכתוב השלישי והכריע ביניהם (שם קל"ט יב) גם חשך לא יחשיך ממך ולילה כיום יאיר כחשיכה כאורה: אמר ר' ברכיה מאי דכתיב (בראשית א' ב) והארץ היתה תהו ובהו מאי משמע היתה, שכבר היתה תהו, ומאי תהו דבר המתהא בני אדם, ומאי בהו, אלא תהו היתה וחזרה לבהו, ומאי בהו דבר שיש בו ממש דכתיב בהו בו הוא: ומפני מה התחיל התורה בבי"ת כמה דאתחיל ברכה ומנלן דהתורה נקראת ברכה, שנאמר (דברים ל"ג כ"ג) ומלא ברכת ה' ים ודרום ירשה, ואין ים אלא תורה שנאמר (איוב י"א ט) ורחבה מני ים, מאי ומלא ברכת ה' אלא כל מקום שנאמר בי"ת הוא לשון ברכה כדאמרינן בראשית, ואין ראשית אלא חכמה שנאמר (תהלים קי"א) ראשית חכמה יראת ה', ואין חכמה אלא ברכה שנאמר ויברך אלהים את שלמה וכתיב (מלכים א ה כו) וה' נתן חכמה לשלמה, משל למלך שהשיא את בתו לבנו ונתנה לו בחתונה ואמר לו עשה בה כרצונך: ומאי דההוא ברכה לישנא דברוך הוא דילמא לישנא דברך הוא דכתיב (ישעי' מ"ה כג) כי לי תכרע כל ברך, מקום שכל ברך כורע, משל למה הדבר דומה למבקשים לראות את פני המלך ואינם יודעים אנה ביתו, שואלים אנה בית המלך תחלה ואח"כ שואלים אנה המלך, לפיכך כי לי תכרע כל ברך ואפילו עליונים, תשבע כל לשון: ישב ר' רחומאי ודרש מאי דכתיב (דברים ל"ג כג) ומלא ברכת ה' ים ודרשה ירשה, אלא בכל מקום בי"ת מבורך הוא, כי הוא המלא שנאמר ומלא ברכת ה' ומשם משקה הצריכים, ומן המלא נטלה עצה תחלה, משל למה"ד למלך שרצה לבנות פלטרין שלו בסלעים חזקים קצץ צורים וחצב סלעים ויצא לו מעין מים גדול מים חיים, אמר המלך הואיל ויש לי מים נובעים אטע גן ואשתעשע בו אני וכל העולם, הה"ד (משלי ח' ל) ואהיה אצלו אמון ואהיה שעשועים יום יום משחקת לפניו בכל עת, אמרה תורה אלפים שנה הייתי בחיקו של הקב"ה שעשועים שנאמר יום יום, ויומו של הקב"ה אלף שנה שנאמר (תהלים צ' ד') כי אלף שנים בעיניך כיום אתמול כי יעבור, מכאן ואילך לעתים שנאמר בכל עת, והשאר לעולם שנאמר (ישעי' מ"ח ט) ותהלתי אחטם לך, מאי ותהלתי דכתיב (תהלים קמ"ה א) תהלה לדוד ארוממך, מאי תהלה, משום דארוממך, ומאי רוממות' משום דאברכה שמך לעולם ועד:

 

 

ラビ・ネホニヤ・ベン・ハカナ(Rabbi Nehunya ben HaKana)が言いました:

「ある箇所には『そして今、彼らは光を見ない。それは天にある』(ヨブ記37:21)

と書かれており、別の箇所には『彼は暗闇を彼の隠れ家とした』(詩篇18:12)と書かれており、さらに別の箇所には『雲と濃霧が彼を囲む』(詩篇97:2)と書かれています。

 

これらの間には矛盾がありますが、第三の箇所がそれを解決します。

 

それは『暗闇もあなたから隠れず、夜も昼のように輝く。暗闇と光は同じです』(詩篇139:12)と書かれています。」

 

ラビ・ベレキヤが言いました:

「創世記1:2に『地は混沌としており、空虚であった』と書かれているが、『あった』とは何を意味するのか?それはすでに混沌としていたという意味です。

 

『混沌(תהו(トーフ))』とは何を意味するのか?それは人々を混乱させるものです。そして『空虚(בהו(ヴォーフ))』とは何か?

それは実体があるものです。

 

つまり、地は混沌としており、再び空虚となったのです。そして『空虚』とは何か?それは実体があるものです。『空虚』とは、その中に何かがあるものを意味します。」

 

「なぜトーラーはベート(ב)で始まるのか?それは祝福で始まるからです。

トーラーが祝福と呼ばれることはどこからわかるのでしょうか?

それは申命記33:23に

『そして主の祝福が満ち、南の土地を相続する』と書かれているからです。

海とはトーラーを意味します。

 

ヨブ記11:9には『その広さは海よりも広い』と書かれており、主の祝福が満ちていると書かれています。

したがって、ベート(ב)は常に祝福を意味します。創世記の最初の言葉、ベレシート( בראשית)もそうです。

 

初め(ראשית)とは知恵を意味します。詩篇111:10には『知恵の始まりは主を恐れること』と書かれており、知恵は祝福を意味します。

ソロモンを祝福した神の言葉(列王記上3:12)からわかります。王が娘を息子に嫁がせるように、トーラーは祝福として与えられました。」

 

「この祝福がどのように言語的に祝福(ברוך)を意味するのか?

それは膝を曲げる(ברך)という言葉から来ています。イザヤ書45:23に『全ての膝が私に屈する』と書かれています。

膝を曲げる場所、王の前に行くためにはまずその場所を尋ねるように、主の前には全ての膝が屈するのです。」

 

ラビ・ラフーマイが教えを説きました:

「申命記33:23に『そして主の祝福が満ち、南の土地を相続する』と書かれています。

 

どの場所もベート(ב)で祝福されているのです。ベートは満ちているものです。

王が堅固な宮殿を建てるために岩を切り出し、水の源を見つけるように、神はトーラーを創造し、そこから全ての必要なものを引き出します。

 

箴言8:30に『私は彼のもとにあり、日々彼の楽しみだった』と書かれているように、トーラーは神の楽しみとして存在しました。

詩篇90:4には『千年は神にとって昨日のよう』と書かれており、トーラーは神と共に千年の間存在していました。その後も永遠に存在します。」

 

1. 光と暗闇のパラドックス

ラビ・ネホニヤ・ベン・ハカナの言葉は、光と暗闇の間の矛盾を解決しようとしています。

これに対する自然科学的な考察は以下の通りです。

  • 光の物理学: 光は電磁波の一種であり、私たちの目に見える範囲は可視光線と呼ばれます。
    光はエネルギーの形であり、物理的には粒子と波の二重性を持っています。

    暗闇とは、光が存在しないか、非常に少ない状態を意味します。しかし、完全な暗闇は存在しません。宇宙には背景放射と呼ばれる微小な光が常に存在しており、絶対的な暗闇は理論的にはありえません。

     
  • 光と暗闇の相対性: 物理的な意味での光と暗闇は、相対的な概念です。例えば、人間の目が捉えることのできない光(赤外線や紫外線など)は、別の感覚器官や技術を使えば「見える」ものとなります。

    このことは、神の視点から見ると、私たちが暗闇と感じるものも実際には見えている、というラビ・ネホニヤの教えに通じます。
     

2. 混沌と秩序の創造

ラビ・ベレキヤの教えは、混沌(תהו(トーフ))と空虚(בהו(ヴォーフ))の間の関係を探ります。

  • 宇宙の始まり: 現代宇宙論によれば、宇宙はビッグバンから始まりました。ビッグバンの瞬間、宇宙は非常に高温で高密度の状態にあり、混沌としたエネルギーの塊でした。
    このエネルギーが冷却し、膨張する過程で物質と反物質が生成され、やがて星や銀河が形成されました。
    この過程は、混沌から秩序が生まれるという考え方と一致します。
     
  • エントロピーの法則: 熱力学第二法則であるエントロピーの法則によれば、閉じた系のエントロピー(乱雑さ)は常に増加します。
    しかし、局所的にはエネルギーの投入により秩序が生じることもあります。これは、創造の過程で混沌から秩序が生まれる現象を科学的に説明する一つの方法です。
     

3. 祝福の象徴

ラビ・ラフーマイの教えは、トーラーの始まりの文字「ベート(ב)」が祝福を象徴していることを説明します。

  • 言語の進化とシンボル: 人間の言語は進化の過程で発達してきました。特定の文字や音が象徴的な意味を持つようになるのは、文化や歴史の積み重ねの結果です。ヘブライ語の「ベート(ב)」が祝福を意味するようになったのも、こうした言語進化の一環です。

    シンボルとしての文字は、私たちの認知科学や神経科学的な研究により、脳の特定の部分で処理されることがわかっています。
     
  • 認知科学と象徴: 象徴的な言葉や文字は、脳の高次認知機能に関連しています。祝福や知恵といった抽象的な概念は、脳の前頭前皮質や海馬などで処理され、意味を持つようになります。

    これは、トーラーの文字が持つ象徴的な意味を理解する上で重要です。

4. 水の象徴と創造のプロセス

ラビ・ラフーマイの教えは、創造における水の役割を強調します。

  • 水の科学: 水は生命に不可欠な物質であり、その化学的性質は非常に特異です。水の分子構造はH2Oであり、氢結合により他の水分子と結びつきます。

    この性質により、水は液体の状態で広範な温度範囲を持ち、生命が存在するための基盤となります。水の浄化能力や溶媒としての役割も、生命の維持に重要です。
     
  • 創造の象徴: 水は多くの文化で創造や再生の象徴とされています。聖書においても、洪水や洗礼などの儀式において水は重要な役割を果たしています。

    科学的にも、水は生命の起源と深く関わっており、その象徴性は自然科学と一致しています。

結論

カバラの教えは、深遠な霊的洞察を提供し、自然科学的な視点と結びつけることで、その理解がさらに深まります。

光と暗闇のパラドックス、混沌から秩序への移行、祝福の象徴、そして水の役割など、これらの教えは現代の科学と調和する形で新たな視点を私たちに与えてくれています。