せめて、真崎らしく。 -42ページ目

せめて、真崎らしく。

そんな感じです。



ブログをご覧の皆さま
いつもありがとうございます
真崎です












3日前の深夜


真崎@福岡でした








以前ブログでも書きましたが

Teach For Japanの学習支援事業
「寺子屋くらぶ」にて
学生教師をしているところだったからです








金曜日が指導最終日で

ちょうど指導案を練っているときに






母からメールが来ました













「お父さんが大変やから早く帰ってきて。」















「大変やから」




の意味が


分かるようで分かりませんでした









立て続けに届いた兄からのメールで



状況が掴めました












父が、精神疾患みたいになっていること

話せなくなっていること

一部異常行動が見られること









「とにかく帰ってきて、手伝えることあったら手伝ってほしい。切実に。」



















その時の自分の思考も行動も


びっくりするくらい鮮明に覚えています







連絡を受けて


しばし呆然としたのち










最初に考えたことは







「あ、お父さんにメール返してない」




でした












そこからはもう



堰を切ったように
泣き叫んでた記憶があります





遠方組で一緒に泊まっていた学生教師の人たちがびっくりして

近くに来て抱きしめて落ち着けてくれて


彼女たちの腕の中で

泣き叫びながら呼吸が変になっていくのを感じていました














お父さんに

メールを返していませんでした









福岡出発直後に来たメールでした








「帰ってくるのはいつやったかな?気をつけて行っといでな」








「行っといでな」の後には




真崎ですらつけたことない

お父さんなんてもっと縁のないであろう




慣れないデコメがついていました

バスのデコメでした














最近





父の白髪が


急に増えた記憶があります









朝早くから夜遅くまで仕事をして




介護が必要な祖父のお世話のために

ほぼひとりで毎日病院や実家へ通い




認知症の祖父が病院でも暴れてしまって

病院からの苦言をいつも受け止め





家族全員

仕事やそれぞれの活動で

あまり夜みんなで家に揃う事がないから

家に帰ってもご飯がない日々が続き

自分で黙々とご飯をつくって食べて寝て









見るからに疲れていました















「あ、お父さんにメール返してない」














真崎は元々「外弁慶」でした




外では活発で友人も多く

自分で言うのもおかしいのですが

様々な活動の中で活躍していて





その一方で




家ではほとんど口を聞かず

特に親と話をするのが最近は嫌で

話かけられても受け答えするのが精いっぱいでした





(真崎が外ではコミュ障ではないことを、母は最近知ったそうです)











元々父とは


ふたりで温泉旅行行くくらい仲良くて


真崎も父が大好きでした








だけど







内定辞退して再度内定してから

父も母も

TFJの活動や就職先について良い反応を示さず




口を開けばその話で

話すだけで否定される感覚がして




どんどん家族に心を閉じて

さらに家にいる時間が減って

それによって家の手伝いする事が減って




父がしんどそうな様子なのを

すごく感じてはいたけど

それに対してなにかをするわけでは決してありませんでした












そんな中でも父は





真崎の事を気遣って


なんだかんだ声をかけてくれて





大した説明をすることもなく

「1週間福岡で先生してくるわ」

みたいな意味不明な言葉を残して飛び出した真崎に対して










「帰ってくるのはいつやったかな?気をつけて行っといでな」










と、送ってくれたメールを



真崎は無視していました














「父がいなくなる」


と思いました







「父がいなくなる」


と怖くなりました








「どうしようどうしようどうしよう」


とパニックになりました







「自分のせいだ自分のせいだ自分のせいだ」


と吐きそうになりました
















「父がいなくなる」




本当に恐怖でいっぱいでした





















父は、精神疾患ではなく


「脳出血」のようでした






失言症のような症状も

軽度の異常行動も

脳出血の際にどこかの細胞が死滅?したことが原因でした







一部記憶もなくなっているようでしたが





お見舞いに行ったときに

小さな声で




「帰ってきたんか」




と言っていたので






真崎が福岡に行っていたこと

いつ帰ってくるか分からかったこと






それは覚えていたみたいでした

















この数日間だけで


随分たくさんの後悔をしました






精神疾患だと聞かされた時




「もしあの時ちゃんとメールを返していれば」

「もし家できちんと父に話していれば」

「もし普段から家で手伝いをしていれば」

「もし普段から晩御飯をつくってあげていれば」

「もし普段から父の話を聞いていれば」

「もし介護のお手伝いをしていれば」







父は




いろんな事をひとりで抱えこまず

もっと気持ちを楽にできたのではないか




自分のひとつひとつの行動が

父を追い詰めていたのではないか

父を孤独にしていたのではないか










自意識過剰かもしれませんが



本当にそう思いました




















こういう経験を通して




「家族を大切にして下さい」

「当たり前に感謝して下さい」




みたいなメッセージをしたい








的なことは、微塵も思わないです



というか



してもあんまり意味ないと思っています









FacebookやTwitterなんかで
よくシェアされている


「身近な人を大切にしよう」


的な事を伝えたいという目的の
感動的な記事のシェアも


個人的にあんまり意味ないと思っています








そういうメッセージは

その時に得た感動は





その後短期的に



その人の思考や行動を変容させる力を持っていると思います










だけど





「感動」は所詮「劇薬」で


効力が切れると元に戻ります










目の前には




たくさん魅力的なことがあります

やりたいことがたくさんあります

会いたい人がたくさんいます

やらなきゃいけない事もたくさんあります







$せめて、真崎らしく。










「重要」且つ「緊急」



真崎の日常は

常にその2つを同時に満たすものを実行することに追われていました








そして






「重要」だけど「緊急でない」もの






日常・人生において言うなら



「人間関係」







もっと言えば



「大切な人を大切にする」









分かっているのに


疎かにしてしまう








真崎にとって



一番難しいところでした










真崎自身のことを

過度に一般化しすぎかもしれませんが

そう思います















「大切な人を大切にする」






これが






「緊急でない」
という保証はないのだと知りました



















「孤独を抱える人のそばにいること」



真崎の大切にしたい生き方です







「「いる」という事をしたい」



そう言い続けています










2年前



加藤秀視さんの講演会に行って

自分の家族に対する態度を反省して



初めて母の誕生日に

プレゼントと手紙を渡した時






母の嬉しそうな顔と



一方で



少し皮肉的に言った言葉






ここにきて思い出します












「こんな特別なことしてくれんでええから、ちゃんと家にいて手伝いしてほしいな。」














父や母の口から

それを意味する言葉を直接聞いたわけではありませんが






すごく感じることは










真崎が「いる」ことを必要としているのは



今いちばん必要としているのは



もしかしたら今までもずっと



真崎の「いる」が必要だったのは









『家族』



だったのかもしれない








ということです
















分かっているのにしないこと


しないままに失うこと


失うときに悔いること








そんな「後悔」は



ただただ、愚かだと思いました









そして








口で伝えているだけの間は



本当の「感謝」は伝わらないと感じました















とりあえず


3月は、家にいることにしました








父が動けなくなった分


祖父の介護は他の家族で協力しながらやっていきます






昨日は真崎が行ったのですが

孫の顔をおそらく若かりし祖母と見間違えたのか

祖父から執拗なまでのプロポーズを受けました

人生初でした










祖父だけでなく


入院してリハビリに励む父の元にも


できる限り行こうと思っています






(あとは「この機会に家にこもって料理でも練習しろ」と母と兄に言われているので頑張ります)













とりあえず


しばらく真崎家は結束してる予定です








人にあんまり会わなくなるので


たまに構ってくれると嬉しいです








今日のところはそんな感じです






真崎







ブログをご覧の皆さま
いつもありがとうございます
真崎です













$せめて、真崎らしく。







福岡なうです




月曜~水曜@横浜

木曜@京都

金曜~日曜@福岡




な感じの1週間です





とりあえず
夜行バスは二夜連続で乗るものではないと思います


首は鉄柱みたいになってます

大臀筋がしびれてます

ケツです






以前ブログでも書いていた
自身が所属している
Teach For Japanという教育NPO



学習支援事業「寺子屋くらぶ」で


学生教師をできることになりました


やっほい@福岡です





今回は
そのプログラム前に行われる
2日間の「事前研修」に参加するために
福岡に来ております




と言っても


研修は明日からで
友人との食事の約束も夜からで
観光するにも雪で激萎えで
今いるスタバの店員さんが可愛くてすごく良い人なので



スタバこもって

今日は可能な限り
ブログ更新しようと思っています





というのも



月曜~水曜@横浜





『FACE』というプログラムを受講して





なにしろ感じた事が多かったので

この辺りで出すもの出しとこうと思います










「「why」に関するお話です」



という記事を以前に書きましたが





このFACE記事第一弾でも


「why」をテーマに書こうと思います





because





「「why」を明確にする」

が『FACE』のwhyだからです






(ここから説明に不備があったらさりげなくメールとかで教えて下さいSHINさん)
















$せめて、真崎らしく。






サイモン・シネック

という方が言っている


『ゴールデンサークル』


というやつです





「what」

「how」

「why」







「what」

つまり

「何を」



これは、誰もが知っているらしいです





「大学に行っている」

「国際関係学を勉強している」

「研修講師をしている」

「セミナーを受けている」

「就活をしている」

「〇〇という企業に勤めている」




的なsomethingです







「how」

つまり

「どうやって」




これは、分かってない人もいますが

わりと知ってる人は知ってます

ここの説明は苦手だから省きます



















「why」



つまり



「なぜ」












自らが持つ


本当の「なぜ」を知っている人は


ほとんどいないそうです







「なぜ大学に行くのか」

「なぜ国際関係学を学ぶのか」

「なぜ就活をするのか」

「なぜ働くのか」

「なぜ生きるのか」






的な

somethingです











就活を見てても

企業のPRを見てても

CMなんかを見てても







多くは


「how」「what」を説明しているものです







「学生団体の代表をしています」

「教育NPOで学習支援をしています」

「成功する方法を教えます」

「大手企業各社のコンサルをしています」

「創業以来ずっと増収し続けています」

「人気企業ランキング〇位です」

「今なら20%値下げしています」

「最薄・最軽量です」










世の中を変えてきた



所謂「リーダー」と呼ばれた方々は



「why」から語ります







キング牧師の


『I have a dream.』


から始まる演説は

きっと誰もが一度は聞いたり読んだりしたのではないかと思います




ライト兄弟
スティーブ・ジョブズ


今真崎が学びを享受している
SHINさんやマサさん


Teach For Japanの代表理事
松田悠介という人も


真崎が思う

「why」から語るリーダーです






『すべての子どもの可能性が最大限活かされる社会の実現』


という「why」があり



Teach For Japanを立ち上げ
情熱ある若者を巻き込み
学習支援事業や
今春開始のNext Teacher Programの実施


という「how」「what」があります





講演会では


最初に絶対「why」から語ってはります





今関わっている

多くのスタッフや学生教師が



松田さんの「why」に

心を動かされてここにいたりします



というか真崎です














前ブログにも書きましたが






「why」は誰でも持ってます


言語化できてないだけらしいです


すごい人に与えられた特権ではないです








ひとりひとりが持つ「why」を

明確に言語化する







『FACE』のwhyは


シンプルにここだけみたいです
















今回受けてみて



やっぱり

たくさんの大学生にFACE受けてほしいって思いました






ここからは

真崎の経験を通して思った事なんですけど






特に


「就活」


というものを



していく
している
した



という人に、来てほしいです












「内定はゴールじゃなくてスタートだ」

「就活は自分の夢を叶える手段だ」




みたいなの、あると思います


真崎だって思ってました












あるんですけど




正直、結構、そうはなってないと感じます









明確に

正確に



「why」を言語化できている人は

なかなかいないけど








でも少なからず



「自分は、こんな事がしたい、かも」



みたいなのは

多くの人が持っていた気がします








例えばそれが「why」だとして





『自分の「why」』



『就活の「why」』









相関関係にあるはずで




そうはなってないのを、よく見ます

















真崎は


子どもの為に働きたいと思っています







「孤独」

「安心感」

「子ども」




が、真崎の「why」のキーワードです









『本気で子どもの為に働きたいって思うなら、その前にもっと自分が社会を知ったり成長しなければいけない』



そう思って、2度目の就活をしました





『自分の「why」』



『就活の「why」』




一見、相関関係でした










今だから

確信して言えることがあります





真崎の『就活の「why」』



「子どもの為に、社会を知り成長する」


という

よくある
あまり筋道通ってない

この思いの裏には








「不安を払拭したい」



「親を納得させたい」








という



至極弱気で内ベクトルな自分がいました











そんな弱気な思いを打ち隠す為に



「子どもの為に、社会を知り成長する」



という「whyっぽいもの」を

自分の『就活の「why」』に結び付けていました











就活の途中で
SHINさんに出会い


「SHINRIで一緒に働かないか」


というお誘いを受けました





『自分の「why」』に生きるなら

間違いなくSHINRIだと

心では完全に思っていました








だけど、決心できませんでした








最終面接を控えていて

社員さんが良い方々で

人事や営業部長にも気に入っていただけて



基本給が高くて

福利厚生が良くて

土日が休みで



このままいけば絶対内定もらえる



と思える、会社があったからです






そこなら


ある程度充実して働けて
経済的にもある程度安心で
だから親も納得できる


『就活の「why」』を


十分に満たしてくれそうな環境がありました












結果から言えば


最終で落ちました






最終目前まできて

どうしても志望動機が言えない



「ビジネスの手段としての人材紹介」

という

最終面接での社長の言葉に対する違和感







器用なタイプではなく

考え方に融通利かない真崎は




「『就活の「why」』改め「自分の「whyっぽいもの」」では、進路を決めることはできないタイプの人間だ」




だと思いました










SHINさんが真崎を誘って下さったのは



「ピュアな想いを持った人を、汚い世界から守るため」



だそうです

(語弊があったらメールとかでさりげなく教えて下さいSHINさん)







「むっちゃんは、社会に出たら潰される」



SHINさんに言われます

自分でもなんとなく分かります





ここからは
社会というものをよく知らない真崎の考えも多く入るので

「黙れ小娘」と感じた方はすいません
しばらく黙れません











多くの企業(曖昧な表現ですが)は


個々の「why」を実現・表現する場にはなり得ない気がします







利潤追求
TOP層の理想の実現


それらの目的の為に
企業というハコの中に人を入れていく


極端なケースでは
社員を「駒」「歯車」と呼ぶところもある


その企業の理念に共感して入る人もいるし
入社後に同じ思想に染めていく場合もある
その時「why」がすり替えられる


社会人になった友人の話を聞いていても
求められるのは「結果」と「数字」
力を持つのは「結果を出す人」


「社員の幸せを」というのは
給与と福利厚生に裏付けされるもの
もしくは「やりがい」というよく分からないもの


ぶっちゃけ個々の「why」など関係なく
上記2つの目的の為に
従順に働く人が欲しい











どうしても、そんな感じがしてしまいます





自分が信頼していた会社が
すごくそうだったから


余計に感じてしまいます








もちろんそうじゃない場合もあると思うし

それを分かった上で、自分の「why」とビジョンをきちんと見据えて就活してる人もいると思います







SHINさんは


学生時代に一緒に夢を語り合って頑張っていった仲間が、社会・会社の中で潰されていくのを見てきたと言っています




だからこそ

仲間が、本当にその夢・「why」に生きる環境を自分がつくる

そして自分が本当にやりたい教育をやる




その為に

SHINRIを設立しはりました










真崎が、社会に潰される


というのは、すごく納得しています





違和感を無視できない性格で

「汚いこと」が大嫌いで

だけど声をあげる勇気も行動にうつす勇気もないビビりだからです


















話が、たくさん逸れました








真崎の周りには




すごく大切な人たちがたくさんいます


すごく素敵で純粋な想いや志を持った人たちがたくさんいます


だけどその実現の方法が分からずに最善の手段を深く考えず時に見誤って就活という手段を選んでいる・選ぼうとしている


『就活の「why」』が『自分の「whyっぽいもの」』になっている人たちが、正直たくさんいる気がしてしまいます


(就活のアドバイスが本当に苦手なので、ここに関して断定はできないのですが)










真崎は







言語化しきれていないけど純粋な想いや夢を持った人たち

不器用だけど真っ直ぐな人たち

なにより、大切な人たちに









すごく幸せになってほしいです



志を貫いてほしいです



夢を実現してほしいです



社会に潰されてほしくないです



繋がって支え合いたいです











全部真崎の願望ですが




とにかく「自分」という人間を生ききってすごく幸せになってほしいです












その第一歩が



自分の「why」を知ること

明確に言語化すること



だと思っています







そして





その「why」に生きる為に


具体的に必要なサポート・支える事ができるひとりとして


SHINさんがいると思っています










だから




就活生に

多くの大学生に

特に真崎の大切な人たちには








『FACE』を受けてほしい



って思っています











金になるかならないか

自分の利益になるかどうか




利害関係に基づく繋がりは
本当に脆いです


自分の利益・メリットになるかどうかで人との繋がりを取捨選択する人は、すごく胡散臭くて魅力に欠けます



「what」「how」だけで繋がろうとするのは、そういう感じらしいです










すごく抽象的な表現ですが





人と人とが「本当に」繋がるには

それぞれが自分の本当の「why」を知る必要があるみたいです







「繋がりたい」



ってのは、そういう事です

卑猥な方じゃないです









3月

4月・5月は大阪開催もあります

真崎はフル出場する予定です







是非繋がりたいです


いっぱいの人に
「why」見つけてほしいです







FACEに関してもし質問などあれば




Facebook : 真崎
Twitter : muttYaaaaaaaan3





気軽に連絡下さい


基本的にはすごく嬉しいスタンスです






受講の障害が参加費だけ

っていう人がいたら

それはそれで絶対連絡下さい

真崎もお金ないですけどとりあえず相談したいです













とりあえず

FACEで感じたことでまだいろいろ書きたいことがあるので








第一弾はこれくらいにして


第二弾の執筆に入る


その前に温泉入ってこようかと思います







福岡はなおも順調に雪です




真崎








ブログをご覧の皆さま
いつもありがとうございます
真崎です



















$せめて、真崎らしく。










絵が下手です


わりと絶望的にです





上記の絵は
部屋を掃除していて発見した
小学校低学年くらいの時に使用していたと思われる落書き帳なのですが



直視できなかったです


ましてや
自画像なんて認めたくなかったです










小学校の時からずっと


図画工作
美術


という教科がとても苦手でした





過去のブログ記事にも書いたのですが


真崎は
答えのないものを
自分で生み出すことが非常に苦手で



「自分の好きな通りにつくってみましょう描いてみましょう」



みたいな

いわゆる「創作」が
大嫌いな子でした


















$せめて、真崎らしく。








真崎の片割れ的な存在の人が書いた
ポスターです


過去に漫画家を目指していた彼女は
真崎とは対照的で非常に絵が上手い子です




今は千葉で
塾の教室長として活躍しているのですが



一方で

「描く」

という事も
自分に与えられた才能として
なんらかの形で発揮し続けたいと言っていました


















『冷たい熱帯魚』


という映画があります






ここにリンク貼っていいのか
分からないくらい



ものっそいグロい映画です

(R-18指定)







真崎はといえば


『SAW』シリーズを
1作あたり3分の1も目を開けて見ていられないくらい

グロ系は苦手です
非常に苦手です





この映画を知った背景としては





「黒い家」「悪の教典」

などを書いた作家
貴志祐介さんの本を読んでいて





感情・共感性が著しく欠如した

「サイコパス」

という存在に興味を持って

(というかその存在を信じられなくて)







薄暗い部屋の中で


「サイコパス」


でググって検索結果を読み漁るという
傍らから見たら少し危ない感じの行為に没頭していた時があったのですが






その時に


『冷たい熱帯魚』に出会いました









実際にあった事件を題材にして


詐欺と殺人に興じる
高級熱帯魚販売店の経営者夫婦と
彼らに巻き込まれた幸薄い家族の模様を描いた


と、思われる作品です

(勇気がないので観ていません)








「なぜ、この映画ができたんだろう」

と思い



監督の園子温さんに興味を持ちました









『非道に生きる』

という本を出している園子温さん





ここで言う『非道』とは


『究極の個人主義』


という意味合いらしいです







「なんで服を着て学校に行かなくてはいけないんだろう?」


と疑問に思い
ふるちんで登校した


のが小学生時代






小学校の校内新聞で

「ただれた女の手記」

という題名の淫らな団地妻の話を書いた



のも小学生時代








「どんな小学生ですのん」


と思わずにはいられなかったのですが









「周りと同じは嫌だ」


みたいな

ちょっとイキり交じりの
尖ったものではなく






文章から感じられた彼は



至極ナチュラルに

「自分」を生きている



そんな気がしました








「たとえ他の奴がマスターベーションだのナルシストだのいったところで、平気のへいちゃらで自分のおもしろいと思うものだけを追求すること。それが非道の生き方です」








全然空気を読まない人


だと感じました






ふるちん登校も
淫乱な記事も

個人的には
「まじかい(引)」という感じなんですけど





「自分」という人間を

これでもかというくらい愚直に生きていて




自分が描きたいと思ったものを

妥協なく表現した先にある彼の作品は




その過激さゆえに賛否両論はあれど



「空気を読む」

という風潮が蔓延した空気に風穴を開けるような、一種の爽快感めいたものを感じさせる気がします






空気を読まず

タブーな空気漂う原発問題を描いた
『希望の国』
という映画を撮ったみたいです




文章でしか
彼の言葉を感じられていないのですが



本当に


真っ直ぐな"表現者"だと思いました
















真崎と同じく

「書く」が生業の友人のブログから




「安藤裕子」


という歌手の存在を知りました






そのブログに貼ってあったPVを見て


「あー結構いい歌だなあ」


みたいな事をぼんやり感じていたのですが








歌よりもむしろ




その下に書いてあった彼女の言葉に惹きこまれました








*******************




「どういう音楽を歌うべきだ、作るべきだと思いますか?」


という問いに、彼女はこう答えている。






「今いる音楽仲間と、『面白いね』『楽しいね』というワクワクがあるものを作れればいいと思いました。「つまんない」と思うならやりたくないし。

音楽に希望がほしいんですよね。それは『頑張ろう』とか『夢を持とう』とか、そういうクソくだらないことじゃなくて。作ることに希望を持ちたい。



人の人生って、たいしたことないじゃないですか。たいしたことなく生まれて、たいしたことなく死んでいく。

でも、思い出の一曲を持っておくと、その人の後の人生をすごく励ましてくれる。
『俺、大学の時にこれを聴いて友達とバカやってたな』とか『恋人に振られたな』とか。
音楽があることで、その人が主役の映画のようなものが生まれる。

作る私にもそれを楽しみにしたいし、聴く人にもそれがあってほしいと思う。だからパッケージ(CDやDVD) も私は大事だと思うし。

モノがあるから、過去の自分が実在するし。モノがなければ、過去の自分もなくなってしまう。
写真もそうですよね。紙に焼かないと、過去はなくなってしまう。そういう風に、ちゃんと実在したものを刻んだ音楽を作りたいなと思う。」





*******************







真崎が大好きな

飾り気のない言葉だなあと思いました





少しだけ感じられる「諦念めいたもの」も個人的には率直で潔くて大好きで



その中で



「音楽」に希望を抱き

その「音楽」を通して

とても真っすぐに自分を表現している人なんだと感じました






















すごく脈略のないままに


3人の方々の事を書いてみたんですけど







共通点は



『真崎が尊敬する"表現者"である』



ということです









絵を通して

映画を通して

音楽を通して





「自分」を表現し


「自分のメッセージ」を表現し


「自分の表現したいもの」を真っすぐに表現する










その姿に


真崎が一方的に憧れている方々です










「自分を表現する」



という事は

真崎の関心分野です





「自分を表現する」と言うと
なんだかすごく大層な事に聞こえますが





「言いたい事を言う」

「伝えたい事を伝える」

「食べたいものを食べる」

「逢いたい人に逢う」

「書きたいものを書く」

「描きたいものを描く」

「撮りたいものを撮る」

「創りたいものを創る」

「やりたい事をやる」








そんな感じのことです









もちろん周囲への配慮は
多少なりとも必要だと真崎は思っています
やっぱりズボンは必要だと思います






だけど

例えば





「空気を読む」

「周りの目を気にする」

「周りに合わせる」





という事が

過度に意識されすぎた時






「自分を表現する」





ということが

必要以上に難しいことになったりします













「就活への不安感」なんかも


「自分を表現する」ことの
妨げになり得るなあと感じました






『ロボットのような就活生たち』

みたいな構図ができ上がる背景だと思います










"前にならえ"



な空気は





楽で無難で画一的で



閉塞的で排他的で息苦しいです












そういう空気って、あります



あるって感じます









だからこそ

その中ででも



自分なりの手段で

自分を表現している人は




真崎の目に本当に輝いて映ります

















真崎は、絵が下手です(前述)





絵で「自分を表現する」ことは多分できないです









映画も撮れません

音楽もできません



というか、あんまりやりたい願望がありません














「書く」



というのが、真崎の自己表現です










饒舌ですが、話すのは苦手です




「書く」言葉が

いちばん自然な真崎です







過去の経験から


「過度に人目を気にする」
「過度に評価される事を恐れる」


という癖を持っているのですが






小中学校時代の

ハブ・いじめがきっかけで





「独り」になる恐怖から



自分の言いたい事も言わず

自分のやりたい事もやらず



ただただ周りの友達に合わせる

ただただ男子の目に入らないように過ごす









「自分を表現する」ことが


一番できなかった


一番息苦しかった時期でした








だから






あの時から状況が変わり


自分を受け入れてくれる空間と


加えて「書く」という武器を手に入れた今








「自分を表現できる」


ということの素敵さを知り







「自分を表現できない」



という人に対する共感と

「自分になにかできないか」
という想いが芽生えています







書く
描く
撮る
歌う



「自分を表現する」術を
持っている人は強いなあと思います






これは真崎の考えですけど



ひとりひとり

なにかしらの形でその術を持っているんじゃないかって思っていて






その方法を見つけるお手伝いなのか



自分が持っているモノをなにかしらの形にして提供していくことなのか







その方法は
まだこれからなんですけど


なんかしたいと思っています









とりあえず


内定先の(株)SHINRIの大学生向けプログラム『FACE』を今日から受講するので

なにかヒントを得てこようかと思います

横浜なうです







社長のSHINさんが
満を持してリリースしたプログラムです



徹底的に自分と「向き合う」ってやつです

自分の「why」を徹底的に言語化するってやつです

例えば「how」「what」のみでパフォーマンスを上げてきて且つ変にプライド高い方とかにとっては吐きそうになるプログラムなんじゃないかと勝手に想っています







最終的には

プレゼンテーションを通して




「自分を表現する」




というプログラムだと思います








とりあえず3日間



たくさん自分を表現してこようと思います





















あ、最後宣伝になったんですけど











$せめて、真崎らしく。








とりあえず絵は嫌いです





この絵は母らしいです





真崎