ブログをご覧の皆さま
いつもありがとうございます
真崎です
3日前の深夜
真崎@福岡でした
以前ブログでも書きましたが
Teach For Japanの学習支援事業
「寺子屋くらぶ」にて
学生教師をしているところだったからです
金曜日が指導最終日で
ちょうど指導案を練っているときに
母からメールが来ました
「お父さんが大変やから早く帰ってきて。」
「大変やから」
の意味が
分かるようで分かりませんでした
立て続けに届いた兄からのメールで
状況が掴めました
父が、精神疾患みたいになっていること
話せなくなっていること
一部異常行動が見られること
「とにかく帰ってきて、手伝えることあったら手伝ってほしい。切実に。」
その時の自分の思考も行動も
びっくりするくらい鮮明に覚えています
連絡を受けて
しばし呆然としたのち
最初に考えたことは
「あ、お父さんにメール返してない」
でした
そこからはもう
堰を切ったように
泣き叫んでた記憶があります
遠方組で一緒に泊まっていた学生教師の人たちがびっくりして
近くに来て抱きしめて落ち着けてくれて
彼女たちの腕の中で
泣き叫びながら呼吸が変になっていくのを感じていました
お父さんに
メールを返していませんでした
福岡出発直後に来たメールでした
「帰ってくるのはいつやったかな?気をつけて行っといでな」
「行っといでな」の後には
真崎ですらつけたことない
お父さんなんてもっと縁のないであろう
慣れないデコメがついていました
バスのデコメでした
最近
父の白髪が
急に増えた記憶があります
朝早くから夜遅くまで仕事をして
介護が必要な祖父のお世話のために
ほぼひとりで毎日病院や実家へ通い
認知症の祖父が病院でも暴れてしまって
病院からの苦言をいつも受け止め
家族全員
仕事やそれぞれの活動で
あまり夜みんなで家に揃う事がないから
家に帰ってもご飯がない日々が続き
自分で黙々とご飯をつくって食べて寝て
見るからに疲れていました
「あ、お父さんにメール返してない」
真崎は元々「外弁慶」でした
外では活発で友人も多く
自分で言うのもおかしいのですが
様々な活動の中で活躍していて
その一方で
家ではほとんど口を聞かず
特に親と話をするのが最近は嫌で
話かけられても受け答えするのが精いっぱいでした
(真崎が外ではコミュ障ではないことを、母は最近知ったそうです)
元々父とは
ふたりで温泉旅行行くくらい仲良くて
真崎も父が大好きでした
だけど
内定辞退して再度内定してから
父も母も
TFJの活動や就職先について良い反応を示さず
口を開けばその話で
話すだけで否定される感覚がして
どんどん家族に心を閉じて
さらに家にいる時間が減って
それによって家の手伝いする事が減って
父がしんどそうな様子なのを
すごく感じてはいたけど
それに対してなにかをするわけでは決してありませんでした
そんな中でも父は
真崎の事を気遣って
なんだかんだ声をかけてくれて
大した説明をすることもなく
「1週間福岡で先生してくるわ」
みたいな意味不明な言葉を残して飛び出した真崎に対して
「帰ってくるのはいつやったかな?気をつけて行っといでな」
と、送ってくれたメールを
真崎は無視していました
「父がいなくなる」
と思いました
「父がいなくなる」
と怖くなりました
「どうしようどうしようどうしよう」
とパニックになりました
「自分のせいだ自分のせいだ自分のせいだ」
と吐きそうになりました
「父がいなくなる」
本当に恐怖でいっぱいでした
父は、精神疾患ではなく
「脳出血」のようでした
失言症のような症状も
軽度の異常行動も
脳出血の際にどこかの細胞が死滅?したことが原因でした
一部記憶もなくなっているようでしたが
お見舞いに行ったときに
小さな声で
「帰ってきたんか」
と言っていたので
真崎が福岡に行っていたこと
いつ帰ってくるか分からかったこと
それは覚えていたみたいでした
この数日間だけで
随分たくさんの後悔をしました
精神疾患だと聞かされた時
「もしあの時ちゃんとメールを返していれば」
「もし家できちんと父に話していれば」
「もし普段から家で手伝いをしていれば」
「もし普段から晩御飯をつくってあげていれば」
「もし普段から父の話を聞いていれば」
「もし介護のお手伝いをしていれば」
父は
いろんな事をひとりで抱えこまず
もっと気持ちを楽にできたのではないか
自分のひとつひとつの行動が
父を追い詰めていたのではないか
父を孤独にしていたのではないか
自意識過剰かもしれませんが
本当にそう思いました
こういう経験を通して
「家族を大切にして下さい」
「当たり前に感謝して下さい」
みたいなメッセージをしたい
的なことは、微塵も思わないです
というか
してもあんまり意味ないと思っています
FacebookやTwitterなんかで
よくシェアされている
「身近な人を大切にしよう」
的な事を伝えたいという目的の
感動的な記事のシェアも
個人的にあんまり意味ないと思っています
そういうメッセージは
その時に得た感動は
その後短期的に
その人の思考や行動を変容させる力を持っていると思います
だけど
「感動」は所詮「劇薬」で
効力が切れると元に戻ります
目の前には
たくさん魅力的なことがあります
やりたいことがたくさんあります
会いたい人がたくさんいます
やらなきゃいけない事もたくさんあります

「重要」且つ「緊急」
真崎の日常は
常にその2つを同時に満たすものを実行することに追われていました
そして
「重要」だけど「緊急でない」もの
日常・人生において言うなら
「人間関係」
もっと言えば
「大切な人を大切にする」
分かっているのに
疎かにしてしまう
真崎にとって
一番難しいところでした
真崎自身のことを
過度に一般化しすぎかもしれませんが
そう思います
「大切な人を大切にする」
これが
「緊急でない」
という保証はないのだと知りました
「孤独を抱える人のそばにいること」
真崎の大切にしたい生き方です
「「いる」という事をしたい」
そう言い続けています
2年前
加藤秀視さんの講演会に行って
自分の家族に対する態度を反省して
初めて母の誕生日に
プレゼントと手紙を渡した時
母の嬉しそうな顔と
一方で
少し皮肉的に言った言葉
ここにきて思い出します
「こんな特別なことしてくれんでええから、ちゃんと家にいて手伝いしてほしいな。」
父や母の口から
それを意味する言葉を直接聞いたわけではありませんが
すごく感じることは
真崎が「いる」ことを必要としているのは
今いちばん必要としているのは
もしかしたら今までもずっと
真崎の「いる」が必要だったのは
『家族』
だったのかもしれない
ということです
分かっているのにしないこと
しないままに失うこと
失うときに悔いること
そんな「後悔」は
ただただ、愚かだと思いました
そして
口で伝えているだけの間は
本当の「感謝」は伝わらないと感じました
とりあえず
3月は、家にいることにしました
父が動けなくなった分
祖父の介護は他の家族で協力しながらやっていきます
昨日は真崎が行ったのですが
孫の顔をおそらく若かりし祖母と見間違えたのか
祖父から執拗なまでのプロポーズを受けました
人生初でした
祖父だけでなく
入院してリハビリに励む父の元にも
できる限り行こうと思っています
(あとは「この機会に家にこもって料理でも練習しろ」と母と兄に言われているので頑張ります)
とりあえず
しばらく真崎家は結束してる予定です
人にあんまり会わなくなるので
たまに構ってくれると嬉しいです
今日のところはそんな感じです
真崎




