「生」とか「死」について書くので
苦手な方は
「←」押してスルーして下さい
先週の土曜日
おじいちゃんが亡くなった
朝9時頃にお父さんから電話がきて
「おじいちゃん、さっき、亡くなったから。」って
ちなみに
お父さんの、お父さん
薄情かもしれないけど
聞いた時別にびっくりしなかったし
溢れるような悲しさに襲われたわけでもなかった
去年の今頃くらいに倒れて
ICU運び込まれた時に
「もう持たない」
と医者に言われてから約1年
この1年間
お父さんも含めて家族全員
常に心の準備はしてて
それが、来た、って感じだった
帰っておじいちゃんと対面した時
おじいちゃんの左目が少し開いてて
どっかの誰かが言うには
「死んでもなお目が開いているのは、最後まで"誰か"に逢いたかったからだよ」
家族親戚一同
満場一致で
「死んだおばあちゃんだよね」
って
去年ICTに運び込まれた時
おじいちゃんは82歳
そこから1年間生きて
亡くなった時おじいちゃんは83歳
「わしは83歳まで生きて死ぬ」
おじいちゃんはずっと言い続けていて
お父さんに理由を聞くと
「死んだおばあちゃんが「あなたは83歳まで生きるわよ」って生前言ったらしくて、それからずっとそう言ってる。笑」
とのこと
どんだけーて
もうどんだけおばあちゃんのこと好きなのーていつも思ってた
おじいちゃんは
もうだいぶ前から認知症で
私の事が誰か分からなくなったのは
もうずいぶん前の事になる
若かりしおばあちゃんだと間違われて
床に伏しながら手を握られて
本気でプロポーズされること2回
「ご両親にも挨拶しに行きます」
って言われたけど
すごい斬新な三角関係
お父さんあなたの息子ですからーて
そして私の人生で初めて受けたプロポーズ
まさかの人違いっつー
あといっかい米兵にも間違われてる
間違え方に世代差感じる
話とんだけど
大好きなおばあちゃんの言葉を信じ
「83歳まで生きて死ぬ」って言ってたから
変な話
去年ICTにいた時は
まだ大丈夫って思ってたし
そこから生きて生きて
たぶん今年だと思ってた
7年前の七夕になくなったおばあちゃんと
たぶん今頃一緒にいると思う
今回書きたいのは、そこじゃなくて
そんなわけで
実家に帰ってきて
おじいちゃんと対面した時も
お通夜でもお葬式でも
私は泣かなかった
ただの一滴も
おじいちゃんとは仲良かったし
もちろん悲しかったけど
でも、泣かなかった
ただ
いっかいだけ、めっちゃ泣いた
お葬式が終わって
今から焼き場に向かうってなって
「故人様のお顔を見られるのは、今が最後の時になります。」
司会っぽい人がそう言って
みんなで献花持っておじいちゃん囲んで手合わせてた
そしたらその時
お父さんが
おじいちゃんの隣に立って
泣くでもなく
話しかけるでもなく
黙ったまま
じっとおじいちゃんの顔を見て
そっとおじいちゃんの顔さわって
じーっとしてた
その姿見た瞬間
ウッて急になにかが込み上げてきて
今まで全然流れなかった涙が
すごい勢いで目から流れ落ちてきた
「あ、これダメだ」
って思った
お父さんが
その時なにを感じていたのか
自分には分からないけど
ただ事実として
亡くなった親を
子どもがじっと見つめる構図がそこにはあって
考えてしまって
置きかえてしまって
涙が止まらなくなってしまった
多分今までの人生で
ただの一度も言ったことなくて
ただの一度も自覚したことなかったけど
自分は、親が大好きなのだと思った
「見つめる側」に行きたくない
考えてしまったし
考えただけで悲しすぎた
だけど、その一方で
それがたとえいつになろうと
「見つめる側」にいなきゃって思った
2か月前
仕事がつらかった
本当に行きたくなかった
でも逃げるのも怖かった
毎朝溜め息ばっかりついてた
んで
恥と非難を恐れずさらすなら
「事故ったら楽かな」
と思って毎朝自転車こいでた
毎朝ホームに立って電車見つめてた
「親を看取るのが子の役目だ」
なんてキレイな一般論は
正直どうでも良くて
ただ私は
私の親を
「見つめる側」にいなきゃいけないってすごく思った
私の親を
「見つめる側」に立たせちゃ絶対いけないってすごく思った
お父さんは
もう四捨五入したら還暦
2月に大病してから随分元気がない
とりあえず年末年始に温泉でも行こうかと誘ってるところ
お母さんは
相変わらずバイタリティMAXで
気付いたら有給とって外国行ってて
「やりたい事やりつくしたらアンタらに迷惑かけずさっさと逝く」みたいな事言ってる
年末年始はひとりでイタリア行くらしい
3兄弟で一番好き勝手して
親にも迷惑かけ通しな末っ子だけど
ちょっとは大人になったので
これからはもうちょい堂々と
親のこと大切にしようと思った
ってゆー
話を書いているそばから
「どうせ金ないんやろ」と
お金振り込んだとお母さんから連絡がくる
ほんと敵わない
真崎


