24年間生きてきて
いろんなことを経験してきたけれど
バレンタインに足湯
生まれて初めて
いろいろ記念日だった
んまー、雪
もうね、雪
10年ぶり?
14年ぶり?
40年ぶり?
よく分からんけど
関東ではなんぞご無沙汰な大雪が
先週突如やってきたと思ったら
バレンタインにまさかの再来で
さらに水曜日にまた来るとか言ってる
もうお腹いっぱい
というかブーツが水でいっぱい
でよ
「いつの日から雪を喜べなくなったのだろうか…」
Twitterとかで拡散されてた
なんか共感呼びそうな感じがぷんぷんするこのフレーズ
雪を見てはしゃいでいた
あの頃の気持ちは…
的な、大人の憂いシリーズ
なんかねー
もうねー
こういう書き込み見る度に
とてつもなく物申したい
なに憂いてんのーて
つーかそれなに憂いなのーて
その憂いいるのーて
やばい「憂」がゲシュタルト崩壊してきた
「大人」だの「子ども」だので
カテゴライズして一般化してこーゆーもんだっつー話は嫌いだけど
憂いてる人たちいるし
あえて分けて書いてみる
歳を重ねれば「初めて」は減るわ
感じるままに感情を出さずに空気と理性で抑制する力もつくわ
抑制してしまうストッパーも装備されるわ
重ねてるんだから、仕方なくね?
って思ったりする
生きるほどに
たくさんの出会いと経験と感情に出会う
嬉しいことも
悲しいことも
楽しいことも
悔しいことも
腹立だしいことも
人と繋がる喜びも
人がいない虚無感も
人を傷つける苦しさも
傷つけられたと叫び散らす苦しさも
生きて走り続けたい活力も
いっそ消え去ってしまいたい衝動も
たった24年の人生だけど
しっかり出会ってきたわけで
子どもの頃に感動できたこと
子どもの頃に言えたこと
子どもの頃に感じたこと
が
大人になって感動できなくなったり
大人になって言えなくなったり
大人になって感じなくなったり
んなもん、あるっしょ
って感じで
「大人ににっても「初めて」にはたくさん出逢える」とか「大人だって子どもみたいな人もいる」だとか
その通りだけど
今回書きたいのはそっちじゃなくて
なんかさ
子どもの頃には泣けなかったけど
今「フランダースの犬」の最終回見たら号泣しちゃうの
雪ん中教会来て
ずっと見たかった絵を見て
そこにパトラッシュが来て
「なんだかとても眠いんだ」で
天使が降りてきて
「ふーん」
て感じで涙腺カラッカラだったけど
今は無理
なんの涙か分からんが
心が反応して、無理
いろんな歌に共感するようになった
歌詞やメロディーから受け取るものが増えた
映画だって小説だってそう
誰かの表現や芸術は
子どもの頃に見たり聞いたりした時より
今の方がずっとずっと楽しめてる
今すごくしたいのが
中学ん時話題になって読んでみたけどさっぱり良さが分からなかった「蛇にピアス」と「蹴りたい背中」を読むこと
13歳の自分は受け取れなかったなにかを
24歳の自分の感性はなんかしら拾ってくれんじゃないかって
その点に関してのみ
自分に対して絶大な信頼を持ってる
それは多少なりとも
なにかを重ねてきたからだと思う
雪を見て喜ぶ子どもの感性と姿は
純粋に人の心を癒す力があると思うし
それとは、また別で
いろいろ重ねて
いろいろ受け取るようになった大人の感性は
めんどくさいこともあるけど
それはそれで、人に優しくできたり、それこそ誰かの心を癒す力を持ってるって思うんだ
めんどくさいけど
んもう超絶めんどくさいけど
でもぶっちゃけ
私は昔よりも今の自分の感性の方が気に入ってる
「子どもの頃は」って憂いてる
そんな複雑な大人ごころを
どっかの誰かのためになんかしら還元できたら
それは大人のみなさんの
すげー武器になると思ってる
なんか、上手く書けないけど
「子ども純粋、大人残念」的な投稿が
千も万もリツイートされてる状況が気持ち悪かったので
衝動的に書きました
まあ24歳つっても
24年生きたってだけでまだまだ中身はガキ小娘だけど
雪見て喜べないことが
一体なんだってんだ、って感じです
(家の横の駐車場に積もった新雪にダイブしたけど)
真崎